青山七恵
1983年埼玉県生まれ。2005年「窓の灯」で文藝賞を受賞してデビュー。07年「ひとり日和」で芥川賞、09年「かけら」で川端康成文学賞を受賞した。他の著書に『やさしいため息』『魔法使いクラブ』『お別れの音』『わたしの彼氏』『あかりの湖畔』『花嫁』『すみれ』『快楽』『めぐり糸』『風』がある。
『繭』青山七恵(新潮社 2015年8月31日)
美容師として念願の自分の店をもち、専業主夫の夫に支えられ、しあわせな結婚生活を送っていたはずなのに。気づくと愛する夫を傷つけている舞。ある晩、夫を殴打し部屋を飛び出した舞は、帰らぬ彼をひとり待ち続けている希子と出会う。白いマンションのなかで渦巻く孤独、次第にもつれる男女の愛と渇き。息をもつかせぬ渾身長篇。
─新刊『繭』拝読させていただきました。三人(舞、希子、ミスミ)の男女の一筋縄ではいかない関係性が描かれた作品はとても読み応えがありました。まずは、今回の物語を書かれたきっかけからお伺いできますでしょうか。
自分が30歳を過ぎた頃、学生時代からの友達がそれぞれあからさまに違う人生を歩み始めていることがよくわかってきました。でも、やっぱりどんな生き方を選んだ友達の話を聞いても、その選んだ道なりの辛さやしんどさや悩みがあるのは変わらないんですよね。同じように私自身もそういう、言葉には明確にできない漠然とした不安を感じていました。だからその頃、文芸誌「新潮」(新潮社)で連載のお話をいただいたときに、同世代の人が読んで元気が出るような小説を書きたいと思ったんです。それまではわりと、自分が書きたいものを一作一作違う作風で挑戦しようと思って書いていましたが、今回は、どんなことを書くかというよりも根本にそういう気持ちがありました。ただ、実際に書いてみると、こういう不穏で複雑で不自然な関係を描く小説になったというところが「私だな。」という風に思います。
─「私だな。」というのは?
読んで元気になる小説を書こうとするときに、読者の背中を真後ろから押すような、イケイケドンドンのポジティブなものを書くという発想がないんです。嫌だという意味ではなくて、あからさまな嘘のように感じられて抵抗があります。私にとって信じられるのは真逆の、全くポジティブではない、歪んでいたり複雑な感じのするものです。確証はありませんでしたが、そういう小説を書いていく中で、不穏で不自然ながらも、人間がもともともっているエネルギーをさらに揺すぶって、増幅させる力が生まれるような気がしたんです。
─『繭』を書く際、参考にしたもの、影響を受けたものは何かありますか。
私が好きなアメリカの作家フラナリー・オコナーの作品は、文章自体は本当にパキパキ音が鳴りそうなくらい明晰なんですけど、極端な暴力が描かれています。おじいちゃんが孫を殴り殺したり、突然ギャング団がおばあちゃんを撃ったり、トラクターで人を轢いたり。そういう衝動的な暴力に、単純な嫌悪感とはまた別の次元で何か惹きつけられてしまっている自分がいて、その不可解なひっかかりは何なんだろうとずっと考えていたということはあります。
ただ、今回は暴力そのものを書きたかったわけではなくて、暴力というものを使って、支配-被支配の従属関係を作ろうとすることの嫌らしさ、そこにある罪悪感や自責の念を含めての関係性のきしみを集中して書こうと思いました。
─舞の言葉に、「その人と希子さんは、対等なんですか?」とありましたが、人と人の“対等な”関係とは何かについて考えさせられました。青山さんはどのようにお考えでしょうか。
舞は、「対等な関係」というものにすごく拘り、それを実現しようという気持ちがとても強い人間です。だから、現実と理想の間で苦しんでいる。でも、私自身は対等な関係というのは幻みたいなものだと考えています。対等な関係とはどういう状態なのかというと、「相手を尊重して、かつ自分を尊重する」という関係だと私は思うんですけど、そこに完璧な均衡なんてありえないような気がします。ただ、その理想の状態に近づけるように努力すること、同時に、完璧な対等はありえないと諦めること、一人の人間のなかでその反対方向の感情の運動があるからこそ、人と人はより深く関係できると思うんです。
─なるほど。
人と人との関係は、固定されたものではなくて、微妙な力のバランスが働いて、重心が常に移動していますよね。いまはどちらかがすごく影響を与えるばかりで、もう片方はそれを受ける一方の関係だったとしても、何ヶ月かするとそれが逆になったりすることもあるでしょう。そういう流動的な関係は健全でいいなと感じますね。
─物語は前半と後半で一人称の視点が切り替わります。これは最初から計画していたことでしょうか。
そうですね。最初は、どこで変わったのかわからないように、気づけば切り替わっている、という風にしようと思っていたんですけど、書いているうちに、あるところから仕切りがパタンと折り返されるように切り替わるというイメージになりました。
前半は舞の比重が大きく、私の中でも現実味を持って存在感を増していきました。だから、視点を切り替えてしまうと、その舞が消えてしまうような気がして、迷いもあったんです。でも、やっぱり希子というもう一つの鏡像を書くことで、舞という人間を書くことになると思うし、逆に、舞という人間を書くことで、希子という人間がわかるという部分もあったので、そこは意識的に変えましたね。
─ミスミの印象も、舞から希子へ視点が移ることでガラリと変わりました。
ミスミは、私が感じている「人間のわからなさ」の総体みたいな人物です。彼については、今までどんな経験してきたか、とか、どんな人生を送ってきたか、というふうに後づけの説明を与えることもできるかもしれません。でも、人間の不可解さはもっとずっと根が深いと思うんですよね。誰もが同じような価値観やモラルを持って生きることは不可能です。多数派の価値観からあぶれてしまった恨みのようなもので他者を傷つけるという方向に生き方を見出してしまう人もいますけど、そこまで極端な行動には表れなくても、何か根本的に違う感覚を持って生きている人がいて、その感覚には触れようとしても触れえない。ミスミは、そのわからなさをデフォルメして書いたような人物です。
─希子とミスミの関係もわかるような、わからないような関係のように感じました。
私は作家になってから人に会う機会が減りましたが、それでも時々会う人に色々な話を聞くと、わかるけどわからない、ということだらけです。「その人にとってはそれがいいんだろう。」という形の納得の仕方しかできない。でも、自分がそういう風に思っているということは、逆に、誰かからそう思われているということでしょうから、きっとみんなが不可解(笑)。そういう個々人の中途半端な納得で世のなかが成り立っているんだろうなと思います(笑)。
─タイトルの『繭』に込めた思いを教えてください。
私がイメージしたのは蚕の真っ白な繭ですね。すごく居心地がよくて自分を安全に包んでくれる場所というイメージがまず最初にありました。漢字一文字で潔いし、タイトルにしようと決めて繭についての本を読むと、確かに繭は、蛹が成長するために安全な場所を提供してくれるものなんですけど、その昆虫がそこから出るときには、自分から突き破らなければ出ることができずに死んでしまう、と書いてありました。
─そうなんですね。
それで、自分が強く大きく生きるために作った安全で居心地の良い場所を、自分で破壊して出て行かなければ死んでしまったり、行き詰まってしまうということは、人間にも起こりうるだろうな、と気づきました。それで、やっぱりそういう時というのは、理屈で考えるのではなくて、生き物としての衝動や直感が知らせてくれるのではないかなと思ったんです。『繭』は、そういう時を迎えた人のお話だったんだな、と書いている途中にわかりましたね。
─今のお話は、物語のラストシーンに繋がっているような気がします。青山さんはどのような思いで最後の場面を書いたのでしょうか。
これがハッピーエンドになるのか、バッドエンドになるのか、読んだ人によって受け取り方は本当に様々だと思うんですけど、私の中でこのラストは、すごく解放感がある場面です。マンションが轟音の中、崩れ落ちていくようなイメージですね。
─話題が変わりますが、私たちブックショートは、「おとぎ話や昔話、民話、小説などをもとに創作したショートストーリー」を公募する企画です。
青山さんは、文芸誌「群像」(講談社)2015 年2月号で『鉢かづき』の、とてもキャラクターがユニークなバージョンを書かれていました。先行作品を題材に、新しい作品を書くことについて、お考えを教えてください。
昔話を下敷きにして小説を書いたのは、「鉢かづき」が初めてだったので、どうやればいいんだろうと試行錯誤しながら書きました。
原作の「鉢かづき」はすごくおめでたいお話なんですよね。鉢かづきさんははじめ不幸な目に遭うんですけど、一つそれが解決したと思ったら、その後またおめでたいことがあって、さらにめでたいことがあって……と、私の感覚では物語の半分くらいはめでたい続きになっています(笑)。それで、やっぱり私は、そういう幸せの連鎖が恐怖で「本当かな?」と疑ってしまうんです。ただ、読者としてはすごく気持ちが良いわけですよね。「わー、めでたいし良かったね!」とは思う。けれど、鉢かづきさんが読者の幸福のために犠牲にされているような気がしてならなくて、それがなんだか申し訳なくて、私の書いた「鉢かづき」はそういう思い入れから始まりました。単純なことですけど、こういう原作への思い入れは言葉の強い牽引力になると思います。
─最後に、小説家を志している方にメッセージいただけますでしょうか。
私は今、幸いこうやって小説を書く場所にいられて、今でも、純粋に小説を書きたいから書くという気持ちはあります。ただ、仮に誰からも依頼されていない作品を書くときでも、「この小説はあの編集者に見せたら喜んでくれるかな。」とか、まず編集者さんの顔が思い浮かぶだろうし、雑誌掲載から出版に至る流れや、その先にいる読者の存在が、無意識に前提になってしまっている。デビュー前は、全くそういうことがありませんでした。出版社の人がどういう人なのかなんて全然知らなかったし、その小説を誰に向けて書いているのかもわからなかった。そこにはなんともいえない幸福感みたいなものがあったような気がします。もちろん今も、小説を書ける幸せを感じていますが、デビュー前のあの幸福感はすごく素朴でもう二度と味わえないもので、無性に恋しくなることがあります。でも、やっぱり当時はそれがわからなかった。だから、私が一つ言えるとしたら、その限られた今だけの幸福感をぼんやり感じて欲しいということですね。
それから、小説を書く理由は人それぞれで色々あっていいと思いますが、できれば「書いてもしょうがないけど、自分はこれしかできない」というような否定重ねの気持ちではなくて、「自分はいいことをしているんだ。」という思いを持って書く人が増えればいいなと思います。
─ありがとうございました。
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