綿矢りさ
1984年京都府生まれ。2001年『インストール』で文藝賞受賞。早稲田大学在学中の2004年『蹴りたい背中』で芥川賞受賞。2012年『かわいそうだね?』で大江健三郎賞受賞。ほかの著書に『夢を与える』『勝手にふるえてろ』『ひらいて』『憤死』『大地のゲーム』『ウォーク・イン・クローゼット』などがある。
『手のひらの京』綿矢りさ(新潮社 2016年9月30日)
おっとりした長女・綾香は31歳、次第に結婚への焦りをつのらせる一方、恋愛体質の次女・羽依は職場で人気の上司と恋仲になり、大学院で研究に没頭する三女・凜はいずれ京都を出ようとひとり心に決めていた。生まれ育った土地、家族への尽きせぬ思い。奥沢家三姉妹の日常に彩られた、京都の春夏秋冬があざやかに息づく、綿矢版『細雪』。
─新刊『手のひらの京』とても楽しく拝読させていただきました。本の帯には、“綿矢版『細雪』”とありますが、この作品はどのようなきっかけで生まれたのでしょうか。
『手のひらの京』は、『細雪』を読んで感動して、その影響を受けて書き始めた作品です。『細雪』は、“姉妹もの”で大阪や東京といった色々な都市を振り返るという手法が素敵だなと思いましたし、物語が豪華絢爛で、でも、おっとりと進んでいく雰囲気にも惹かれて。同じ頃、川端康成の『古都』も読んで、こんなふうに京都を書けるといいなとも考えていました。それで、現代の京都で暮らす姉妹ならどんな話になるんだろうと思ったんです。
─ご自身が生まれ育った京都を舞台に小説を書くのは今回初めてですよね。
そうですね。東京を舞台にした小説は、自分自身が上京して一人暮らしをしていたので、主人公も一人で住んでいる場合が多かった(笑)。京都だと、高校生まで家族と一緒に過ごしていた思い出が呼び起こされて、家族が中心の話になりました。
─『細雪』は四姉妹でしたが、『手のひらの京』は三姉妹でした。
人物自体はあまり影響を受けていなくて。『細雪』の姉妹は、すごく魅力的で好きなんですけど、やっぱり今とは時代が違いますから。私は、自分のなかにある現代の姉妹像、今を生きる20代初め、20代半ば、30代初めの三姉妹を書きました。それぞれ悩みを抱えつつ和気藹々としていて、本音でぶつかっているけどあまり喧嘩しないという。私には弟がいるんですけど、姉妹はいないのでだいぶ理想が入っているかもしれませんけど(笑)。
─素敵な姉妹だなと思いました(笑)。物語のなかで描かれる京都の四季折々の風景がとても魅力的で、読んでいたら京都に旅行したくなりました。
よかったです(笑)。
─その京都を出て、東京に行きたがっている三女・凛の「私は山に囲まれた景色のきれいなこのまちが大好きやけど、同時に内へ内へとパワーが向かっていって、盆地に住んでいる人たちを優しいバリアで覆って離さない気がしてるねん」という言葉が印象的でした。綿矢さんも凛と同じように感じることがありますか?
長年京都に住んでいると、やっぱり凛と同じように感じることがあります。京都だと、たとえば大学や就職で東京や別の土地に行こうとすると、周りがみんな、「なんでわざわざここから出る必要があるの?」とか「京都になんでもあるでしょ」って(笑)。最初のステップが飛び越えにくいんです。京都から出ていこうと思わなかったら全くそんなことは感じないんでしょうけど、出ようとするとすごくエネルギーがいる。だから、「こんなに出るのが大変だったらまあ出なくていっか」と思う方が楽な感じの空気が漂っているような気がするんです。わざわざそこまでして出る必要ないんじゃないかって。
─綿矢さんご自身は大学で上京されたんですよね。
ええ。やっぱり親にも反対されましたし、周りの友達にも、「なんで?」って聞かれました。大学なら京都にもあるでしょって。たとえ、純粋な気持ちで東京に行きたかったとしても、京都では「なんや、ここが嫌なんか」という風に周りの人は受け取ってしまうような。私の場合は、凛よりも言いたいことをはっきり言うタイプなので少し雰囲気は違いましたけど、少しすったもんだはありました。
─私は大学に入る時に岐阜から上京したんですけど、岐阜からも出にくかったですね。「名古屋の大学でいいだろ」って(笑)。
きっと各都道府県で全部違うんでしょうね。住まないとわからないこともあるから、そういう話は面白い。京都以外のことも知りたいし、色々な都道府県の物語を読んでみたいです。
─京都ならではでいうと、凛は京都の歴史の集積や地形からも何かの力を感じていましたね。
京都は歴史的な積み重ねがすごくあっていろいろなものを抱えています。感受性の高い凛は、そういう力を察してしまうから余計京都から出にくいのかもしれないです。羽依のような普通の感覚の人は、「そんなんどっか行きたかったら行って、帰ってきたくなれば帰って来ればいいやん」って思えるけど、京都の歴史は本当に深いので、凛がそれくらい感じてもおかしくないと思います。
─ええ。
地形的にも、京都は山に囲まれた小さな国のようになっているので、より出にくいというところもあるのかもしれません。
─タイトルにもつながりますが、凛が「まるで川に浮いていたのを手のひらでそっと掬いあげたかのような、低い山々に囲まれた私の京」と感じた北大路橋からの描写はとても素敵でした。ここは名所なんですか?
全然名所ではないんです(笑)。鴨川が流れているだけのなんの変哲もない橋。だけど、住んでいる人にとっては、そういう場所の景色はしみるだろうなと思って。私も好きなところです。
─タイトルの「手のひらの」という表現がとてもいいなと思いました。
たとえば神戸だと、「100万ドルの」夜景がすごく綺麗ですよね。京都の場合、普通に暮らしていると気づかないですけど、少し高いところから見ると本当に街全体が山に埋もれているみたいなんです。それが手のひらに乗っているようで。それに、京都って小さいのに大きな温かみがあって、でも、逆にそのせいで離れるのが辛いということもあるのかなと思っていて、そういうイメージが手のひらみたいだと感じたのかもしれません。
─素敵ですね。
冬の夕方に、ロープウェイで比叡山に登るとすごくいい夜景が見られます。比叡山って高いので、京都を一望できる。そうすると、「あ、なんか小さい場所なんだな」って感じます。
─その他にも、夜の嵐山など、素敵な描写がありました。
そういう場所は全部、自分が京都で生活してきたなかで集めてきたものです。大学で東京に行ってその後また京都に帰ってきたりするなかで、いかにも人が集まりそうな金閣寺や清水寺といった場所のほかにも、京都には知って欲しいところがあると思ったんです。
─母の手料理、鮎の塩焼き、アイスキャンデーといった料理や食べ物の描写が多くて、とても美味しそうでした。
ありがとうございます。自分のなかに、「この風景にこの食べ物があったらおいしいな」という組み合わせがあって。たとえば、祇園祭だったらやっぱり屋台のなかでも鮎の塩焼きが一番好きです。
家族で食べる女の人の手料理は、綾香だったらこういうのを作って欲しいなとか、凛だったらこうだろうなというイメージがありました。お母さんが作る料理はちょっと凝っていて京野菜が入っています。京野菜って有名だし人気がありますけど、実は私、何が京野菜なのかよくわかっていなくて(笑)。だから、京野菜を自然に使っている家庭料理を書きたいなという気持ちがありました。
─「いけず」という言葉も印象的でした。
京都生まれだと言うとよく「いけずすんねやろ」「いけず言うんやろ」って言われるんです。それで意識しちゃって。現代のいけずを書いてみたいなと。いけず言う人は、仕返しがこないことを前提に言っているから、ちゃんと返しのパンチがある描写を書きたいなと考えていました。
─先ほどのタイトルの話にもつながりますが、作品の随所に「京都の空はどうも柔らかい」「ふいに入ってきた新しい空気に家がぱんと張り、膨らみ、ドアが閉まると同時にしぼむ」「綾香はがんばっていると、だんだんミッフィーの顔つきになってくる」などの比喩が素敵でした。こういった表現はどんな風に思いつくのですか?
ありがとうございます。そういう表現は、話を考えていくなかで浮かんでくるものです。時々、こういう表現が使いたいなって、先に一文だけ浮かんだりすることもあるんですけど、すぐに物語に使えるかというと難しいですし、言葉が浮かぶたびに物語を考えるのもすごく大変なので。物語のなかで見つけていっています。本当は少しずつ貯めて使えればいいんですけど、それもなかなか難しくて。
─『手のひらの京』のラストは、『細雪』とはまた違った印象でした。
『細雪』のラストは本当にすごいなと思っています。あれだけ書いていると、もっと物語に意味を持たせたくなって、大事件があったあとにまた何かが起きて……という風に書きがちです。なのに、『細雪』では、ようやく縁談がまとまったのに当人が喜んでない。そういう味のある話は自分には書けないなと思いました。『手のひらの京』は、最初はあまり結末を考えずに書いていきましたが、凛が上京するあたりで少し方向が変わっていくだろうなという予感がありました。ただ、凛が出て行って全員がいきなり変わるというよりは、それまでの積み重ねがようやく表に出たのがそのタイミング、という感じにしたくて。今回、最後まで書いて改めて、『細雪』の良さがわかりましたし、自分が書いたらこうなるんだということもわかりました。
─私たちブックショートは、「おとぎ話や昔話、民話、小説などをもとに創作したショートストーリー」を公募する企画です。先行作品をもとに新しい作品を作ることや二次創作について、お考えがあれば教えてください。
『手のひらの京』は『細雪』に影響を受けて書いた作品なので、二次創作という意味合いではなかったですけど、二次創作というのは、私たちが知らなくても、あるいは意識していなくても実はすごく多いのではないかなと思います。たとえば私は、大学の卒論で太宰治の『走れメロス』について書いたときに二次創作的な部分を感じました。太宰は、ドイツの詩人シラーが作ったメロスを讃える詩に、「メロスは走っているときに一回諦めそうになった」とか「友達のことなんてどうでもいいと思った」といった、英雄にも魔がさすときがあるという現代的な心を加えて『走れメロス』を書いた。そうやって、今の時代から昔の作品を見て、登場人物の感情の描写を増やしたりするのは面白いですよね。
─ええ。
『桃太郎』であれば、すごく単純な物語ですけど、現代の人がもっと桃太郎に共感出来るようにするためにはどうしたらいいのかを考えてみたり。人間の歴史が昔話の時代よりずっと進んでいるなかで、どの気持ちやどの行動に光をあてるか。そういうことを考えていくと、二次創作って無限に作れるような気がします。
─森見登美彦さんは現代の京都を舞台にメロスを書いていましたよね。
あれは面白いですよね(笑)。
─また、ブックショートの大賞作品はショートフィルム化されます。綿矢さんの作品では『インストール』や『夢を与える』が映像化されていますが、ご自身の作品の映像化について、お考えをお伺いできますでしょうか。
私は、映像作品を自分の作品とは思わないのかもしれないです。わりと観客のような気持ちで観ます。そうすると、楽ですね。やっぱり自分の作品として観ると、「あの場面はどうなっているんだろう」と不安になったり、「こういうことを言いたかったんじゃないのに」と感じたりすることがあるのかもしれない。だけど、別の人の作品として観ると、全く違う印象を受けたりするので。自分の小説が映像化していただけるのは嬉しいですけど、映像作品は自分の作品というよりは、また別の人の才能によって作られるものだと捉えています。
─最後に、小説家を志している方にメッセージいただけますでしょうか。
やっぱり、最後まで書くことがすごく大切です。どんなに面白いアイデアが頭に浮かんだとしても、最後まで書かないと作品にならないですから。私もめちゃくちゃ面白い感動作みたいなものが頭に浮かんだりするんですけど、大抵最後まで書き上げられることはなくて(笑)。そういう未完の大作よりも、どんな物語でもいいから、最後まで書くことに意義があると思います。
─途中で書けなくなるときというのは、何も浮かばなくなるんですか?
そういうときもありますし、自分の物語への期待感が大きすぎるときにも書けなくなります。「もっと面白くなるはずなのに……、もっと膨らむはずなのに……」って。だからとにかく、どれだけ短くてもいいから最後まで書く。そしたら、それは作品になるから。そういう作品をいっぱい書いていくといいかなと思います。
─ありがとうございました。
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