中村文則(なかむら・ふみのり)
一九七七年、愛知県生まれ。福島大学卒業。二〇〇二年『銃』で新潮新人賞を受賞しデビュー。〇四年『遮光』で野間文芸新人賞を受賞。〇五年『土の中の子供』で芥川賞を受賞。一〇年『掏摸スリ』で大江健三郎賞を受賞。『掏摸スリ』の英訳が米紙ウォール・ストリート・ジャーナルの二〇一二年年間ベスト10小説、米アマゾンの月刊ベスト10小説に選ばれる。一四年、ノワール小説に貢献した作家に贈られる米文学賞デイビッド・グディス賞を日本人で初めて受賞。作品は世界各国で翻訳され、支持を集めつづけている。その他の著書に『悪意の手記』『最後の命』『何もかも憂鬱な夜に』『世界の果て』『悪と仮面のルール』『王国』『迷宮』『惑いの森~50ストーリーズ』『去年の冬、きみと別れ』『A』『教団X』『あなたが消えた夜に』がある。
『私の消滅』中村文則(文藝春秋 2016年6月18日)
このページをめくれば、
あなたはこれまでの人生の全てを失うかもしれない。
一行目に不気味な文章が書かれた、ある人物の手記。
それを読む男を待ち受けるのは、狂気か救済か。
『掏摸 スリ』『教団X』を越える衝撃。
中村文則が放つ、新たな最高傑作!
─新刊『私の消滅』とても楽しく拝読させていただきました。タイトルとも呼応している一行目「このページをめくれば、あなたはこれまでの人生の全てを失うかもしれない」はとても印象的でした。
冒頭の一行目はものすごく気にしますね。作品を書くときに僕は、助走をしないんです。徐々に筆が盛り上がっていくような書き方ではなく、最初からトップギア。出だしから物語に引き込みたい。それはどんなジャンルでもそうじゃないですか? 映画も最初のシーンは重要だし、ショートストーリーなんて特にそうですよね。冒頭で、その作品が面白いかどうかある程度わかると思います。
─今作は、過去や記憶が大きなテーマになっていると感じました。
本質的には、“そもそも論”みたいなことですよね。「なんで人は嫌な目に遭わなければいけないのか。どうしてそれを記憶の中にとどめて、その後の人生にまで影響を受けなければいけないのか」という。神でさえ過去を変えることはできない。でも、人間はこうすれば変えられるのではないか、という問いかけがこの作品の核としてあります。「生きているってなんだろう?」と考えると、それは結局、記憶の集積、積み重なりとも言えるわけです。じゃあ、自分が全く経験していないことが脳に記憶されていたとしたら、人生ってなんだろう? ってなりますよね。他人の記憶を操作したり弄って何かの影響を与えるということはそのまま、その人の人生そのものに影響を与えることになる。不思議なものですし、非常に面白いテーマだと思います。
─とても面白かったです。
ただ、記憶や洗脳をテーマにすると、どうしてもフィクション性が強くなってしまう。今回、そこにどうリアリズムを持たせていくかを考え、洗脳の歴史や記憶の仕組みをノンフィクションのように取り入れました。実例を挙げたのは、そういう効果としても良かったかもしれません。
─宮崎勤についての分析もノンフィクションのようでとても印象的でした。
もともとノンフィクションを書きたいという思いもあったんですよ。ノンフィクションで、犯罪者の心理の奥の奥、誰も入っていないような領域までたどり着きたいと考えていた。でも、僕にくるのは小説の原稿依頼ばかりなので、そこでノンフィクションを書きたいとはちょっと言いづらい。だから、合体させようかなと。書いてみたらすごくこの作品にしっくりきて、むしろ宮崎勤の部分が無かったら成立しないくらいの物語になっていきました。
─どうして宮崎勤を選んだのですか?
宮崎勤を選んだ理由は、犯罪者の中でもっとも内面が複雑で、難しそうな対象だと感じたからです。どうせやるなら一番難しい相手を書きたいと思って。彼が起こした事件は、現代的な犯罪の走りだったのかなという印象もあります。バーチャルな世界という要素もありますが、「相手性」という言葉が。彼は、相手に少しでも「他者」を感じると傷ついてしまう。今、人はどんどん傷つきやすくなってきていますよね。宮崎勤はおそらく、犯罪者史上もっとも傷つきやすい犯罪者の一人だったのではないかと思います。
─「外側の世界が入ってこないよう、ビデオテープに余白をつくらずびっしり録画していた」という宮崎勤のエピソードが心に残りました。
そこは本当に僕もなるほどな、と感じました。非常に文学的ですよね。本来なら意味がわからないことですけど、納得してしまう。こういう話はメディアではあまり報じられないので、多くの人が知らないことでしょうね。
─子供時代の宮崎勤にいじめを行った者たちの悪意が、彼の犯行に繋がっているかもしれないという分析もありましたね。
人生って遠くから眺めてみると、人と人が繋がり合った線の網のように見えるんですよね。誰かの悪意は別の誰かに伝わり、その悪意がさらにまた別の誰かに伝わって……という風に連鎖してしまう。犯罪者の過去を調べてみれば、その多くが何かの連鎖を受けて罪を犯していることがわかります。もしかしたら自分の小さな悪意が巡って、誰かが死んでいる可能性だってある。これを読むと改めてそういうことがわかってもらえるのかなと思います。
─特にインターネットにそういう傾向が顕著に現れているような気がしますね。
インターネットを見ていると、「相手にどう伝わるか」ということしか考えていない人が多いような気がします。「伝わった相手が何をしてしまうのか」ということにまでは思い至っていない。その傾向は、どんどんひどくなってきているように思えます。自分の些細な悪意がとんでもない方向に行って何かを誘発しているかもしれないという自覚はあった方がいいでしょうね。例えば、韓国では、インターネットの誹謗中傷が原因で芸能人が自殺してしまったというケースまである。書き込んだ人はどんな気持ちなんでしょうね。おそらく、自分だけじゃないからいいやと思っているんでしょうけど。
─ええ。
作品にも書いたように、人間には攻撃欲動というものがあります。だから、自分の発言や書き込みが、本当にその人に対して言っているのか、自分の内面の攻撃欲動の代償に過ぎないのか、よく考えた方がいい。本当は悪口を言う相手は誰でもよくて、ただ、自分の攻撃欲動を満たしたいだけということなら、やめた方がいいですよ。人って自分が善だと意識するときには、内面の悪意を躊躇なく解放してしまいますから。みんなが線でつながっているとすると、一人一人がそういうことを少し抑えるだけで、世の中がかなり良くなるような気がしますね。攻撃欲動をどうコントロールするかが大事です。
─悪意という話でいうと、精神科医の吉見は強烈なキャラクターでしたね。
「悪の系譜」というのが僕の小説にはあって、色々と悪い奴が出てくるんですけど、今回の吉見は、「老人の悪」ですね。老人の退屈さから生まれてしまった歪み。年齢を重ねた結果、出てきた悪。今回はそういう悪を書いてみたかったんです。
─また、ECT(電気痙攣療法)のように、記憶をコントロールする技術が発展していったら、倫理的な問題が出てくると感じました。「現在」が軽くなってしまうというか。
そうですね。試しにやってみて、駄目だったら記憶を消せばいいやとなってくると、人生の価値観が一変します。それに、みんなの記憶を消すことができれば、都合の悪い歴史は無くなってしまいますから。脳を弄れるかどうかで、人生という概念、生きる意味も変わってきてしまう。
─恋愛というものについても考えさせられました。
結局、恋愛ってもともとが不確かなものなのではないでしょうか。好きだと思っているけど、本当は、そう思い込んでいるだけかもしれないし、友達に彼氏ができたから自分も欲しくなっただけかもしれない。そうなってくると、人ってなんだろう? ってわからなくなってしまいます。だから、まさに『私の消滅』という小説は、読むと「私が消滅します」という物語なんですね。
─よくわかりました。さて、話題が変わりますが、私たちブックショートは、「おとぎ話や昔話、民話、小説などをもとに創作したショートストーリー」を公募する企画です。先行作品をもとに新しい作品を作ることについて、お考えがあれば教えてください。
僕が初めに書いた小説がまさに二次創作でした。小学生のときに授業で作った「浦島次郎」という絵本。浦島太郎の弟である次郎が、兄の仇をとるために復讐に行くというお話です。次郎は、亀を脅迫して竜宮城まで連れて行かせようとするんだけど、途中で亀の策略にあって溺死してしまう。それで、白骨化した次郎の死体が、おじいさんになって砂浜でがっかりしている浦島太郎のところに流れ着いてくる、というストーリーでした(笑)。
─小学生のときですよね?
小学校でちょっと問題にはなりました(笑)。あとは、『A』(河出書房新社 2014年)という短編集に収録されている「妖怪の村」も二次創作と言えるかもしれません。主人公が、芥川龍之介の「河童」みたいに変な村に迷い込んで、「猿蟹合戦」や「鶴の恩返し」、「金太郎」といった様々なおとぎ話に遭遇する短編です。そのときは、おとぎ話を一つ入れるだけでは面白くないと思って、たくさん合体させて複雑にしました。
二次創作をやるのなら、おとぎ話のようにシンプルで曖昧な物語がいいのかもしれないですね。完成された文学作品だと、オリジナリティを生かす余地が少ない。どんな風にでも解釈できるお話で二次創作をすれば、自分の個性を出しやすいのではないでしょうか。
─また、ブックショートの大賞作品はショートフィルム化されます。中村さんの作品では、「最後の命」(2014年公開 /松本准平監督)や「火」(2016年8月 公開予定 /桃井かおり監督・主演)が映画化されていますが、ご自身の作品が映像化されることについてお考えをお伺いできますでしょうか。
映画と小説は全く別物です。小説の世界をそのまま映画にできるわけがないですから。でも、自分の小説が映画化されるときには、本質をつかんで欲しいと思います。「最後の命」と「火」はどちらも、作品の本質をつかんでくれているんですよね。たとえば、僕が力を入れている言葉にちゃんと気づいて、使ってくださっている。脚本を読めばすぐにわかります。本質さえつかんでくだされば、内容が変わっても僕は構いません。だから、「最後の命」と「火」は、僕の小説が原作の映画でありながら、松本准平監督の映画、桃井かおりさんの映画になっているという、本来矛盾することが両立しています。これはすごいことです。
─原作ものだと色々な議論がありますが、中村さんの場合は幸せな映画化ですね。
今のところそうですね。結局、規模が大きくなればなるほど、大変になってきますよね。製作委員会とか(笑)。日本では、映画監督の地位が低すぎるんだと思います。海外みたいに、映画監督の地位をもっと上げた方がいいですよ。誰々が主演だからお金が集まるとかヒットするというよりも、この物語だからお客さんが入る、この監督だからお金が集まる、という環境になるのが理想的でしょうね。
─ショートショートフィルムフェスティバル & アジアにもたくさんの若手監督が応募してくれていますが、みなさん色々と課題や苦労があるようです。オリジナルで魅力的なストーリーを作るのは難しいですよね。
もしかしたら、オリジナリティというのは、30代くらいから出てくるものなのかもしれないですね。20代の若い頃は、何かの模倣や影響のなかで揉まれて、30代くらいでオリジナルが熟してくるというように。だから、自分が何に影響を受けたのかということは、もっと前面に出してしまった方がいいのかもしれない。
─ええ。
ただ、みんなが観ているような映画ばかり観ていては、そういうものしか作れなくなってしまうので、自分のバックグラウンドを珍しいものにしておく必要があります。バックグラウンドが特殊だったら、自分も個性的になりますから。結局、人間の能力って実はそんなに変わらないんですよ。じゃあ何が人を変えるかといったら、「何に触れているか」。触れているものがつまらなかったら、面白いものは作れない。だから、本質的なものにちゃんとたくさん触れるといいと思います。まずは、映画で名作と言われているものはやっぱり観る。それは鉄則だと思います。
─小説もそうですよね。
そうです。文化というのは、初めは背伸びして接するものなんです。だから、今、若い人向けの読みやすい作品がたくさんあるのは、逆にすごくかわいそうだなと思います。そういう身の丈に合ったものだけを読んでいてはあまり成長しないですから。映画も、小説も、音楽も、若い頃に背伸びして触れることによって、得ていくものがある気がします。難しいと感じても、そういう作品の方が、頭の体操になるし自分のバックグラウンドが面白いものになる。若いうちにそういうものをどんどん吸収して、咀嚼できるようになった結果として、30代くらいで本物の個性になるのかもしれないですね。
─最後に、小説家を志している方にメッセージいただけますでしょうか。
難しいことですけど、重要なのは、自分の作品を客観的に読む努力をすることだと思います。小説家には書く能力に加えて、読む能力も必要なんです。なぜかというと、読む能力があれば、自分が書いたものを読んで、悪い部分を見つけて直すことができるから。読む能力は重要です。
自分の作品を客観的に読むための具体的な方法としては、PCの画面上で読み返さないことです。一回プリントアウトして、しばらく寝かす。それで、久しぶりに読んでみる。すごく冷静に。そうすると、客観的になれます。そこで読む能力があれば、自分の書いたものが全然駄目だ、と感じた時に、なんで駄目なんだろうか、どこが駄目なんだろうか、どうしたら駄目じゃないんだろうか、と考えることができます。その繰り返しですね。
─客観的に読む力が必要。
僕が作家志望の方の作品を読んで一番足りないと思うのは、その部分ですね。客観性が無いなって。自分のことをすごいと思いたい気持ちは非常によくわかるんですけど、客観的になる時期は必要です。自分の作品を客観的に判断できるかどうかが、プロとアマの境目なんです。僕も昔、自分で書いた小説がすごいと思っていたけど、賞に応募しても全然駄目で、その次に送った作品もやっぱり一次予選で落ちてしまった。そういう現実に直面したとき、僕はそれを誰かのせいにはしませんでした。何が悪いかを自分で考えてみようという作業があった。そういう時間が無いとプロになるのは難しいです。
─自分の作品の何が悪いかをじっくり考える。
あと、作家志望者のなかには、「誰々の作品はどうだ」というようなことをインターネットに書き込む人もいるようですが、そういうのは一回控えるといいかもしれませんね。そういう他者への攻撃欲動は、小説を書くエネルギーに転化したほうがいい。プロになる時って、ものすごい集中力で書く時期が必要なんです。僕が、デビュー作となった「銃」という作品を書いていた時は、プロになりたいという考えは一旦脇に置いて、時代性がどうとかも一切関係なく、本当に自分がやりたいことを真正面から全力でやればいいんだとものすごく集中しました。そういうときには、周りのことなんて気にしていられない。だから、他人の小説の悪口とかをネットで発表している人は一回やめて、自分の作品に集中するのがいいと思います。そっちの方がその人のためになるので。
─ありがとうございました。
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