山田詠美(やまだ・えいみ)
1959年、東京都生まれ。85年に「ベッドタイムアイズ」で第22回文藝賞を受賞してデビュー。87年に『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』で第97回直木三十五賞、89年に『風葬の教室』で第17回平林たい子文学賞、91年に『トラッシュ』で第30回女流文学賞、96年に『アニマル・ロジック』で第24回泉鏡花文学賞、2001年に『A2Z』で第52回読売文学賞、05年に『風味絶佳』で第41回谷崎潤一郎賞、12年に『ジェントルマン』で第65回野間文芸賞、16年に「生鮮てるてる坊主」で第42回川端康成文学賞を受賞。著書に『放課後の音符』『ぼくは勉強ができない』『無銭優雅』『学問』『賢者の愛』など多数。
『珠玉の短編』山田詠美(講談社 2016年6月21日)
★第42回川端康成文学賞受賞作「生鮮てるてる坊主」収録!★
恋愛、友情、自尊心――人間の欲望の行き着く先は、グロテスクでブラックで愛おしい。詠美ワールド全開の11編の絶品をご堪能あれ。
─新刊『珠玉の短編』とても楽しく拝読させていただきました。11編の短編が収録されている今作ですが、執筆の際、全体を通して意識されたことはありましたか。
今回は、「最初に言葉ありき」の短編集を作ろうと思って、言葉を特に意識しました。私の小説には、人間関係の様々なエピソードや場面をピックアップして、それを言葉で埋め尽くすという作品など、色々なタイプがあるんですけど、今回は、本当に最初に言葉ありき。言葉が一番面白いツールである、という思いで書きました。そうしたときに、やはり最初に題名が浮かんできたので、その題名に向かって言葉を駆使して、原稿用紙30枚の世界をどのように構築できるか、という感じでしたね。
─川端康成賞文学賞を受賞した収録作「生鮮てるてる坊主」は、タイトル、内容ともに印象深い作品でしたが、この短編はどのような着想から生まれたのでしょうか。
「生鮮てるてる坊主」の場合は、私がてるてる坊主を見て、「これが生きていたら怖いだろうな」という感覚を持ったのが最初です。そこから、男女の友情という要素が出てきたので、どういうメタファーでそのタイトルと付き合っていくかを考えながら言葉を使い込んでいきました。だから、この作品がああいうホラーな結末に至るということは、自分でも最後までわからなかったんです。初めから最後の情景が浮かんでいたわけではなくて、最後の場面を書いた瞬間に、「あ、だから、この題名で、この一行目の書き出しだったんだ」とつながりました。
─不思議ですね。
短編小説では必ずそういうことがあるような気がします。ただ、もしかしたら、自覚していないだけで、体の中には初めから最後の場面が入っていたのかもしれないですね。それが書いているうちに段々引き出されてきて、書き終えた後に気づくという。
─「生鮮てるてる坊主」では、男女の友情について書かれていますが、山田先生ご自身は、性的な関係を超越した男女の関係は存在するとお考えでしょうか。
確かに存在すると思いますよ。ただ、私は、初めて会ったときに少しでも邪な劣情やセックスアピールを感じてしまった異性とは、友情は育たないし、成り立たないと考えています。そういうものを感じないところから友情って始まると思っているので。何かの間違いで友達と寝てしまうことだってあるかもしれないですけど、それとはまた別の話で、性的なイメージの外で語り合える男女の関係ってきっとある。ただ、こればっかりは、存在すると思っている人が、しないと思っている人に理解してもらおうとしてもすごく難しい。おそらく永遠に交わらないでしょう。性癖のようなものだから、私たちは説明する言葉を持たないんです。
─「生鮮てるてる坊主」の奈美と虹子も交わりませんでした。とても難しい問題ですね。
虹子は、夫と奈美の友情を理解してあげられない自分に劣等感を持っているんですよね。自分は二人に、少し劣った人種だとみなされているのではないかって。男女間の友情というテーマは、これからも永遠に語られていくのでしょうけど、私は、虹子のように男女間の友情という概念を持ってない人に対して、それを持っている人は気を使うべきだよねと思います。だって、男女の友情を額面通りに受け取れない人にとっては、それが深い嫉妬や憎しみを生む原因となる可能性があるし、その結果、不幸が訪れることだってある。だから、気を使うことが必要。でも、そういうことを気にかけない人がいるから、「生鮮てるてる坊主」のような結末や、世の中の三面記事に載るような事件が起こってしまうわけなんです。
─たしかにそうですね。続いて、表題作「珠玉の短編」では、主人公が“珠玉”という言葉に取り憑かれます。山田先生も、ある言葉に取り憑かれ、定義を突き詰め、それを作品世界に反映していくということはありますか。
作品でもありますし、日常生活でも一つの言葉を面白がることは結構あります。「この言葉が本当に字面通りの意味だったらどうなるの?」みたいな話から、言葉を冗談でコーティングしていくような遊びを夫と一緒によくやるんです。
「珠玉」という言葉については、実際に私がデビューした時から、すごく激しいセックスの話を書いても、掲載誌の目次に「珠玉の短編」とつけられることが続いていたんです。当時はカチンときていたんですけど、キャリアを積んだ今なら、「だったら徹底的に珠玉という言葉で遊べるんじゃない?」って思える。そうやって楽しめるようになったという面白さもあるんですよね。
─『ジェントルマン』(講談社 2011年)も、一つの言葉の定義を突き詰めていった作品のような印象でした。
『ジェントルマン』もそうでしたね。言葉の正確な定義って、本当は一つなのかもしれないですけど、現実には人によって全然違いますから。ある人にとっては正確な定義であっても、別の人にとっては違うという場合が大いにありうる。『ジェントルマン』のときは、主人公にとっての「ジェントルマン」ってどういう定義なんだろうと考えながら書いていきました。世間で認識されている言葉の定義とのズレを書くことが小説家としての腕の見せ所だと思うので、人によってズレている言葉の定義をいつも気にしているところはありますね。
─言葉の定義も言葉でせざるをえないから大変ですよね。
そうですね。私、数式は苦手なんですけども、言葉って数学的なものでもあると思うんです。命題について、その人なりの言葉を数式のようにどんどん構築していくという。それが、小説家の個性を形作っていくような気がします。
─この作品のなかでは、死語もいくつかピックアップされていました。
それもまた面白がるものの一つですね。私、死んだ言葉が大好きで、わざわざ使うんです。それを蘇らせて、徹底的に遊ぶ。お墓の中のゾンビを引っ張り出すみたいに(笑)。ゾンビ映画ってそういう感じで作れてしまうわけですよね。言葉でもそういうやり方で、新しい種類の作品が作れるのではないかと思っています。
─「サヴァラン夫人」では冒頭に、ブリア=サヴァランの「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人であるかを言いあててみせよう」というアフォリズムが引用されています。作品中では、憧れの人と同じものを食べてその人のようになりたいと願う主人公の少女が印象的でした。食ベ物と心、体の関係について、お考えをお伺いできますでしょうか。
たとえばアメリカだと、男女でディナーを食べたらあとはもう当然ベッドに行くでしょ、という成り行きがあるように、やっぱり食べ物って人間を結びつける重要な手段だと思うんです。そこから、いくらでもドラマができる。体内に取り込むという意味では、セックスと一緒ですからね。
─なるほど。
以前、ある知り合いの作家と話していたときに、食べ物を徹底的に書く作家と洋服を徹底的に書く作家って分かれているよね、という話題になったことがあって。特に女性の作家はそういう傾向が強い。私は食べ物を書くタイプで、色々なディテールを出すんですけど、主人公の洋服はほとんど書いたことがありません。反対に、主人公の描写をするときに洋服を書く作家は、食べ物のことをあまり書かない。先ほどの男女の友情の話と同じように、そこは通じていない部分があるんですよね。でも、通じてないからこそ、お互いに感化されていったりして面白いんですけど。
─その違いは何なんでしょうね?
結局、食べ物を書くかどうかというのは、内臓を書きたいか書きたくないかということだと思います。英語で「内臓」を意味する「guts(ガッツ)」は、心という意味も持っていますからね。ガッツを書きたいか書きたくないか。ストーリーを追うか追わないかというよりも、人間の内面を探って小説を書いていくかどうかの違いのような気がします。
─夏子は若月という男性を味わって人間が大きく変わりましたが、どんな味だったのか気になりました(笑)。
馬鹿な松茸(笑)。夏子の場合は、今まで自分が大切に思ってきたことや信じてきた価値観を大きく変えられてしまうような相手に出会ったということなのではないかと思います。高価で手の込んだ料理というよりも、自分の価値観を変えてくれるという味。夏子はそういう真新しい、今までに経験したことのない味を知ってしまった。それもまた、一種の美味ですからね。
─「自分教」の主人公 美子が設立した、自分自身が神と教祖と信者を兼任するという“みこちゃん教”が、とてもユニークだと感じました。このアイデアはどんなところからきたのでしょうか。
私は、「一人なんとか」ってことを考えるのが好きなんです。色々なことが、雌雄同体のミミズのように全部一人で完結していたら面白いのではないかと思って。小説家もある意味「一人宗教」なんですよね。取材するのも、書くのも、読むのだって自分自身ですから。そうやって全部一人で世界を構築するということは、本当に自分勝手な快楽だと感じています。そういう「一人なんとか」を作品にしたら面白いかもしれないなと思ったのが「自分教」の最初でした。
─美子は、烈しいいじめではなく同情されることで耐えられなくなって、特殊能力が開眼したのが印象的でした。
「かわいそう」という同情によって最後の砦だった自尊心が破壊されるということは、一番の屈辱だと思うんですね。同時に、最後の場面では、同じ言葉が、男女間の快楽の装置になっていたりもするわけです。もっとも屈辱的な場所に突き落とされる言葉と、もっとも快楽で高みに昇らせてくれる言葉が同じ「かわいそう」。たとえば、「馬鹿」という言葉だって、知らない人に言われたら屈辱ですけど、恋人に言われたら屈服する快楽のようなものを感じてすごく気持ち良いじゃないですか(笑)。発する人次第で、言葉の意味が変貌する。そういうことを表現したかったんです。
─「最初に言葉ありき」という11編の作品全体に通じているものはありますか?
一つの言葉からエスカレートして止まらないこと(笑)。現実にある話には一切御構い無しで、全部、言葉だけで進めていくという。言葉は、おかしさやばかばかしさと同時に、人にインパクトを与えるパワーを持っています。短編集全体で、言葉ってこんなに馬鹿みたいで、面白くて、重要で、という色々な可能性を感じてもらえたらと思います。
─短編を書くときと長編を書くときの違いについて、山田先生はかつて別のインタビューで、“短篇を書くのって、Sの歓びかもしれない。長篇はMの歓び。”とおっしゃっておられました。今回の短編集を執筆されたときも同様の感覚でしたか。
それはやっぱり今回も変わりなかったですね。言葉に翻弄されながらも、その言葉を手篭めにしてやるという感覚でした。「自分教」ともつながるかもしれないですけど、「書いているのは私なんだから」という気持ちで。だけど、はねっかえりみたいな言葉もあって、結局、そこからはみ出してくんですよね。そこに面白さが出てくるのではないかと思います。
─私たちブックショートは、「おとぎ話や昔話、民話、小説などをもとに創作したショートストーリー」を公募する企画です。山田先生は、今回の『珠玉の短編』に、佐野洋子さんの絵本『100万回生きたねこ』をモチーフにした「100万回殺したいハニー、スウィート ダーリン」が収録されていますし、谷崎潤一郎の『痴人の愛』を下敷きに『賢者の愛』も書いておられます。先行作品をもとに新しい作品を作ることについて、お考えをお伺いできますでしょうか。
これは「自分教」にならないから難しいところではありますね。リスペクトしながら喧嘩を売るという高等技術が必要です。リスペクトだけに偏っても、ケンカを売っているだけでも駄目。そのバランスを上手くとるように意識して書きました。
─バランスをとるのは難しそうですね。原作に引っ張られ過ぎてしまったり。
元の作品に沿おうとすればするほど、自分の中の「私は違う」という感覚が出てくるのではないかと思います。それにちゃんと向き合わないと、オマージュするつもりが、オマージュさせられていたという失敗になってしまう。不遜だとわかっていても、絶対に負けないという気持ちで書かないといけないんです。私がその作品にもう一度息を吹き込む、という挑戦の気持ちを持たないと。私が『賢者の愛』を書いたときは、「谷崎にケンカ売ってやるくらいの調子で書くよ」って担当編集者に伝えました。そこまで真剣に取り組むと、負けても気持ち良いというマゾヒズムの快楽が出てくる(笑)。勝敗は関係ないんだなって思えるようになるんです。
─では最後に、小説家を志している方にメッセージいただけますでしょうか。
読書しないと駄目ですね。ほどんどの日本人が字を読み書きできるから勘違いしやすいんですけど、トレーニングしてこないと小説は書けません。二十歳になってからプロ野球選手やバレリーナを目指したって無理ですよね。それと同じ。だから、結局、作家になれるかなれないかって、小中学校時代の読書量で決まってしまうのかもしれない。だけど、一つ可能性があるとすると、小説の世界って80歳の新人がいてもいい世界なわけです。黒田夏子さんのように70歳を過ぎて芥川賞を受賞する人だっている。たとえトレーニングを始めるのが遅くても、心と体の柔軟体操がちゃんとできていればそこからでもまだ間に合うと思います。何歳までに何かをしなければいけない、という制限が全くない世界なので。
─たしかにそうですね。
それで、私が新人の小説を読んで思うのは、自分の作品を客観視できない人が多いということ。「自分教」のように、書き手の自分が読み手にもならないと。そうすると、「自分の小説下手だな」ってわかるようになるときがきます。そこからが本当の始まり。デビュー前の私は、なまじ読書少女だったから、自分が下手だってことはわかったわけです。だから、一枚目を何年もずっと書いていました。そうしたら、あるとき、読者としての自分が、「この小説だったら読む価値あり」って思える一枚が書けた。読者の自分が書き手の自分を許せる瞬間がきたんです。そこから一気に100枚書きました。書き終えたのが新人賞の締め切り当日だったので、郵便局まで人生で一番全速力で走りましたね(笑)。その作品がデビュー作です。
─「ベッドタイムアイズ」はそうやって生まれたんですね。読者として自分の作品を許すことができるまでに何年も。
すごくたくさん書いて、すごくたくさん読まないと、そこまで辿り着けないですよ。何歳でそういう手ごたえが得られるのかもわからないですし。だけど、デビューを焦る人って多い。特に若いうちは、デビューさえすれば……と思っている人が多いけど、それは何の得にもならないよって教えてあげたいですね(笑)。この先、長いんだから。10代でデビューして、その後も続けていける人なんて本当に一部の人だけ。
─その後も長く書いていける人と一作で終わってしまう人の違いはどんなところにあるのでしょうか。
それは、謎なんです(笑)。謎。どうして綿矢りさちゃんは綿矢りさのままずっと書いてこれているのかとか。それはもう、悲しいけど才能なのかもしれない。同時に、向き不向きも。作家である特性を持っている人と持っていない人、作家という生き物になっている人となっていない人の違いが。これはもうしょうがない(笑)。わからないんですよね。
─ありがとうございました。
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