島本理生(しまもと りお)
1983年生まれ。2001年『シルエット』で第44回群像新人文学賞優秀作を受賞。2003年『リトル・バイ・リトル』で第25回野間文芸新人賞を受賞。2015年『Red』で第21回島清恋愛文学賞を受賞。『ナラタージュ』『アンダスタンド・メイビー』『よだかの片想い』『匿名者のためのスピカ』『夏の裁断』など著書多数。
『イノセント』(島本理生 2016年4月26日)
幼い息子とふたりきりで生きる女性・比紗也は、対照的な性質の二人の男と出会う。複雑な過去を抱えた比紗也を、二人はそれぞれの想いから救おうとするのだが──。鮮烈な印象を残す傑作長編小説。
─新刊『イノセント』楽しく拝読させていただきました。島本さんはtwitterで、“四年前に函館で、雪の坂道を上りながら一ページ目が浮かんだのが、ぜんぶの始まりでした。”と書いておられましたが、この作品の着想についてお伺いできますでしょうか。
第一子を出産した翌年の2012年に、久しぶりに一人旅をしたんです。産後、育児でバタバタしていたので、少し一人になれる時間が欲しくて。それで、たまたま選んだ函館で、雪のなか八幡坂を上っているとき、ふと振り返ったら港が大きく開けて見えたんですね。その景色がとても素敵で、ここから始まる物語を書きたいなと思ったのがきっかけでした。
─そこからどんな風に物語が広がっていったんですか。
函館を舞台にしたいなと思いつつ、2011年に自分自身が出産したこともあって、震災から続く日本の少し不安定な動向も気にかかっていました。さらに、実際に私が生活しているのは東京だったので、それらを全部混ぜて書こう思い、函館、仙台、東京という三都市を舞台に小説を構成していったんです。
─今回はキリスト教も大事な要素でしたね。
この小説を書くにあたってキリスト教を一から学ぼうと、大学の先生のところに通ったんです。何ヶ月かおきに大学に行って教えてもらい、自分で勉強して、また疑問点があったら通ってということを数年間繰り返しました。そうやって実際に聖書の解釈を聞いて、私が考えたことや思ったことが作品に反映されているんだと思います。
─過去の罪を背負い神父として生きる如月歓と、本気で女性を好きになったことがなくやや軽薄に生きている真田幸弘は対照的なようでいて、少し似ているような気がしました。
比沙也も含めた三人が少しずつ似ているという印象は私も書いていてありました。今回は、王道のラブストーリーを書こうと思ったのと同時に、思春期や青春期に異性ときちんと恋愛したり、本気で人を好きになったりという経験を踏まなかった大人たちが、もう一度その頃をやり直す「大人になってからの青春、初恋」というテーマもありましたね。
─如月神父についてはどのような印象をお持ちですか。
如月神父は、14歳くらいで時が止まっているような人物です。 “中二病”という言葉があるのは、それくらい男性にとって多感で重要な時期だということでもあると思うんです。如月神父はそんな少年期の純粋さやある種の抑圧、暴力性を全て抱えたまま、それを隠し続けて生きてきた男の人というイメージです。
─如月神父は頭の中で声が聞こえます。
最初、如月神父は頭の中の声が聞こえるがゆえに生き辛いという設定でした。だけど、書いていくうちに、私自身がだんだん変化してきたんです。実はその声は、神父の幼少時代の孤独を唯一支えてくれた相手のようなところもあって、一概に悪の部分とも言い切れない。時々、味方のようなことも言いますし、根っこの部分では、如月神父に寄り添っているような気がします。
─一方の真田さんはどのような人だとお考えでしょうか。
一見、恋愛慣れしてそうで、でも実は深く相手に入れ込んだことがない真田さんのようなタイプは、都会の独身男性に多い印象ですね。女性にもお金にもそこまで困っていないので、適当に遊んでるうちにどんどん時間が過ぎていって、いざ本気なったら意外と恋愛の仕方が分からない……という。出版業界にもけっこう多いと思います(笑)。モテるけど結婚となるとなかなか……というタイミングで比紗也と出会ったらどうなるんだろう、と想像して作っていった設定でした。
─少し鈍い部分もありますよね。
真田さんは、マニュアル世代を意識して書きました。マニュアル通り、無難かつスマートに「こうすれば女の人は喜ぶだろう」と考えて行動するので、7割方はうまくいく。だけど、その分、相手に深く踏み込んだ経験がないので、残りの3割が足りない(笑)。慣れているようでも、実はそういうタイプの男性は多いのかなと感じていたので、そういうところで男女の内面や考え方の違いを書いたら面白いのではないかなと思いました。
─そんな真田さんは、大きなしっぺ返しを食らいます。
そこは最初から構想にありました。この物語の登場人物は、何かしらの過去が追いかけてくるという共通点があるんですね。比沙也であれば家族のことですし、如月神父であれば思春期の頃に自分が異性に対してやってしまったこと。じゃあ、真田さんはどうだろうと考えたときに、きっとこの人には、今までの女性関係のツケがどこかしらで回ってくるんだろうなと(笑)。人間って、良くも悪くもいきなり大きく変わるのはなかなか難しいので、一度はちゃんとしないといけないなというところから出てきた流れですね。
─比沙也と義理の父親の関係はとても暗いものでした。そして、それでもそんな義父のもとに戻ってしまう比沙也に闇の深さを感じました。
恋愛関係や友人関係とは違う意味で、親子関係というのは非常に難しいと思います。個人的な好き嫌いを超えて子供の頃からずっと一緒にいるので、良くも悪くも人格にその生活が染み付いている。どうしても、ある種の親近感というか独特の情を持ってしまうところがありますから。そうした中で、比沙也と義理の父親の絶対によろしくない関係性を、一体どうやって断ち切ったらいいのだろうという問題は、今回の大きなテーマの一つでした。
─ひどい父親でありながら同情できない部分がないではなかったです。
勧善懲悪の物語にはしたくなかったんです。如月神父の頭の声もそうですし、お父さんもそうですが、100%悪い人間というのは、表面的にはいるかもしれないですけど、やっぱり根っこの部分でそうなってしまうまでの過程があると思うので、そこは気をつけました。
─父親とのことを比沙也から聞いた藤野シスターの「ひどいことをひどいって、かわいそうなことをかわいそうって誰も言わなかったら、本当の愛との区別がつかなくなるから」という言葉は心に残りました。
勧善懲悪の物語にはしたくないけれど、じゃあ、全てフラットでいいのかというとそうでもない。お父さんにも同情の余地があるとはいえ、どうしたってひどいことはひどいこととしてあります。でも、比沙也は全然本音を語らない主人公だったので、私は、彼女の心の声を別の誰かに叫んで欲しかった。藤野シスターは最後の方で、パッと出てきました。それまで比沙也は男性に助けられることが多かったんですけど、女性同士だからこそ言えることがあるのではないかなと思ったんです。
─ラストに近い場面での、如月神父と真田さんのやりとりは少し笑えて、とても温かい気持ちになりました。
これまで、精神的に救われたり解放されたりという小説は書いてきたんですけど、物理的に主人公を救うというお話は書いたことがありませんでした。だから、今回は、物理的、現実的に主人公を救う方法を考えて小説で書こうという思いが強かったんです。それで、最後の方はどうやったらうまくいくかなと試行錯誤して、そういう細かいところまで書いていますね(笑)。
それに、今回は、震災や過去の家庭環境、女性が一人で子供を抱えていくことといったシリアスになりがちな要素が多かったので、ところどころ明るい場面や少し力が抜けるようなシーンを入れようと意識したところもあります。
─そして、エンディングはとても美しく、幸福感に溢れていました。結末は、最初から見えていたものだったのでしょうか。
函館の八幡坂で始まって、函館の八幡坂で終わるというのは、最後のセリフも含めて最初からがっちり決まっていました。ただ、途中の展開はかなり変わっています。もともとは三角関係のイメージでしたが、書き終えてみれば、やっぱり如月神父は、職業を超えて神父であるということが本人の人格や人生の核になっていた。だから、途中からは、如月神父がイエスの弟子として比沙也をなんとか救済するという役回りにどんどん変化していきましたね。
─タイトルの「イノセント」も当初から決まっていたのですか。
そうですね。タイトルは如月神父のイメージが強いかもしれないです。良くも悪くも純粋なまま時間が止まっていた男性が一人の女性と出会い、自分の力で彼女を救う、という大きなストーリーの構想が最初にあって、それがタイトルにも繋がったのだと思います。
─話題が変わりますが、私たちブックショートは、「おとぎ話や昔話、民話、小説などをもとに創作したショートストーリー」を公募する企画です。島本さんの作品には、宮澤賢治の「よだかの星」をモチーフにした「よだかの片想い」がありますが、先行作品をもとに新しい作品を作ることについてのお考えがあれば教えてください。
「よだかの片思い」もそうですが、ちょうどいま、「ラプンツェル」の現代版を書いているところなんです。ベースになる作品があって書く場合、個人的には原作に寄せすぎない方がいいかなと思います。自分がパッと読んだ時に、「あ、これはこういうお話なんだ」という印象を持ったら、あとはそのイメージから自分の好きな物語を自由に広げていくのがいいかと。小説ってストーリーや構成も大事なんですけど、なにより作品に対する読み手の印象が一番大きいものだと思うので、そこさえちゃんと捉えていれば、あとはもう自由に作った方が面白いのかなと思います。
─「ラプンツェル」は、島本さんご自身で選ばれたんですか。
そうですね。童話なら「ラプンツェル」がいいなと。実は私は子供の頃から、いつの間にか王子様が迎えに来てくれるというお姫様ものが苦手で、あんまりピンときていなかったんです。その中で、「ラプンツェル」は過酷すぎるストーリー展開がすごく印象的だったんです(笑)、ただ女の人が選ばれて幸せになるお話では全然ないので、現代版にしてもリアリティがあるかなと考えて選びました。
─最後に、小説家を志している方にアドバイスをいただけますでしょうか。
大きく二つ言うと、「量を書くこと」と「完結させること」ですかね。まず、書くほどにやっぱり上達するので、分量は大切。できれば毎日書いたほうがいい。書かない間は、本を読んだり映画や舞台を観たり、という風にインプットとアウトプットのどちらかは常にやっているとどんどんうまくなると思います。
─まずは、「量を書くこと」。
私自身もデビュー前から毎日書いてました。中学生の頃から2〜300枚程度の中編を何本か完成させたりして。そうすると、実際仕事になっても、そのペースに慣れているということが役に立ちます。プロになると、そんなにたくさん書いていなさそうに見える作家さんでも、実はかなりの分量を書いていますから。
─もう一つは、「完結させること」。
小説って途中のいいところまでは誰しも名作を書けるんです。でも、完結させてみたら全然駄目だったということが結構あります(笑)。やっぱり小説は、後半からラストが一番難しいので、そこを鍛えないとテクニックはつきません。後半に辻褄を合わせて、なおかつ最後にきっちり落とすということが大切なので、そこで初めて、「あ、意外とラストまで書いたら印象が違った」等、実感することも含めて、とにかく完結させることが重要です。そうしないと結局、その作品がいいのか悪いのか自分でも全然わからないままなので。
─ありがとうございました。
*賞金100万円+ショートフィルム化「第5回ブックショートアワード」ご応募受付中*
*インタビューリスト*
馳星周さん(2019.1.31)
本谷有希子さん(2018.9.27)
上野歩さん(2018.5.31)
住野よるさん(2018.3.9)
小山田浩子さん(2018.3.2)
磯﨑憲一郎さん(2017.11.15)
藤野可織さん(2017.11.14)
はあちゅうさん(2017.9.22)
鴻上尚史さん(2017.8.31)
古川真人さん(2017.8.23)
小林エリカさん(2017.6.29)
海猫沢めろんさん(2017.6.26)
折原みとさん(2017.4.14)
大前粟生さん(2017.3.25)
川上弘美さん(2017.3.15)
松浦寿輝さん(2017.3.3)
恩田陸さん(2017.2.27)
小川洋子さん(2017.1.21)
犬童一心さん(2016.12.19)
米澤穂信さん(2016.11.28)
芳川泰久さん(2016.11.8)
トンミ・キンヌネンさん(2016.10.21)
綿矢りささん(2016.10.6)
吉田修一さん(2016.9.29)
辻原登さん(2016.9.20)
崔実さん(2016.8.9)
松波太郎さん(2016.8.2)
山田詠美さん(2016.6.21)
中村文則さん(2016.6.14)
鹿島田真希さん(2016.6.7)
木下古栗さん(2016.5.16)
島本理生さん(2016.4.20)
平野啓一郎さん(2016.4.19)
滝口悠生さん(2016.3.18)
西加奈子さん(2016.2.10)
白石一文さん(2016.1.18)
重松清さん(2015.12.28)
青木淳悟さん(2015.12.21)
長嶋有さん(2015.12.4)
星野智幸さん(2015.10.28)
朝井リョウさん(2015.10.26)
堀江敏幸さん(2015.10.7)
穂村弘さん(2015.10.2)
青山七恵さん(2015.9.8)
円城塔さん(2015.9.3)
町田康さん(2015.8.24)
いしいしんじさん(2015.8.5)
三浦しをんさん(2015.8.4)
上田岳弘さん(2015.7.22)
角野栄子さん(2015.7.13)
片岡義男さん(2015.6.29)
辻村深月さん(2015.6.17)
小野正嗣さん(2015.6.8)
前田司郎さん(2015.5.27)
山崎ナオコーラさん(2015.5.18)
奥泉光さん(2015.4.22)
古川日出男さん(2015.4.20)
高橋源一郎さん(2015.4.10)
東直子さん(2015.4.7)
いしわたり淳治さん(2015.3.23)
森見登美彦さん(2015.3.14)
西川美和さん(2015.3.4)
最果タヒさん(2015.2.25)
岸本佐知子さん(2015.2.6)
森博嗣さん(2015.1.24)
柴崎友香さん(2015.1.8)
阿刀田高さん(2014.12.25)
池澤夏樹さん(2014.12.6)
いとうせいこうさん(2014.11.27)
島田雅彦さん(2014.11.22)
有川浩さん(2014.11.5)
川村元気さん(2014.10.29)
梨木香歩さん(2014.10.23)
吉田篤弘さん(2014.10.1)
冲方丁さん(2014.9.22)
今日マチ子さん(2014.9.7)
中島京子さん(2014.8.26)
湊かなえさん(2014.7.18)