長嶋有(ながしま ゆう)
1972年生まれ。2001年、「サイドカーに犬」で第92回文學界新人賞を受賞してデビュー。翌年、「猛スピードで母は」で第126回芥川賞受賞。07年、『夕子ちゃんの近道』(新潮社)で第1回大江健三郎賞受賞。著書に、『ジャージの二人』(集英社文庫)、『祝福』(河出文庫)、『問いのない答え』(文藝春秋)など多数。またブルボン小林として、漫画評論家、コラムニストとしても活躍。『マンガホニャララ』(文藝春秋)など。
『愛のようだ』長嶋有(リトル・モア 2015年11月20日)
音楽が流れる瞬間、愛に気づいた――。
大切なものを失う悲しみを、まっすぐに描いた感動作。
著者初の書き下ろし。最初で最後の「泣ける」恋愛小説。
─新刊『愛のようだ』とても面白く拝読させていただきました。今回、初めての書き下ろしということですが、いかがでしたか。
まず、「書き下ろし」について考えると、「本書は書き下ろしです」と帯や広告で銘打たれているのをよく見かけますよね。ビジネス的に考えると、原稿料無しの書き下ろしよりも、連載して原稿料をもらってから出版して印税を貰う方が作家は得じゃないですか(笑)。だけど、作家のメリットは無いように思えるのにやる人がいる。それで、僕がまず思ったのは、その浮いた原稿料分は本の広告費に回してもらえるんだろうということ。いきなり世知辛い話になってますけど(笑)。でも、例えば、新聞広告の新刊案内では、「書き下ろし」と銘打たれることで他の作品よりも面積が大きくなっているような気がする。つまり、より費用をかけてもらえるということはあるんだろうと思うんです。
─ビジネス的にはそういうことかもしれませんね。
もう一つは、渾身の作品のときに「書き下ろし」が多いような印象がある。「漫然とした書き下ろし」という言葉は聞かない(笑)。そこには、気合いのようなものがあるのかもしれない。いしいしんじさんや古川日出男さんが書き下ろしで単行本を出すのは、連載ではそういうテンションで出来ないからなのかもしれないんじゃないか、と。そういうことは経験しないとわからない。どんな作家も全部のトライが初トライなんです。例えば医者は、国家試験に合格するまでに医者として最低限の教育を受けているから、なった一日目から医者だけど、作家は一つの作品で新人賞を受賞しただけで「作家」と呼ばれてしまう。作家になったと言っても何にも知らないのに。だから、一見不合理なように思えるのにトライする人がいるということで、自分も書き下ろしを一回やってみたいと思っていたんです。
─なるほど。
それで、今回初めて経験して思ったのは、自分には書き下ろしは向いていないということ(笑)。結局、一話書くごとに編集者に原稿を渡していたのでリズム的には一話ずつ連載したのに等しかったし、『愛のようだ』は、いしいさんや古川さんの作品のような分厚いページ数でもない。僕は、本が薄いな、とか、文字がスカスカだな、と言われない最低限の枚数に辿り着こうと青色吐息で(笑)。本来は、文学としての必要な枚数ということで考えるべきなのに、僕はそういう外見やパッケージを気にしてしまう(笑)。でも、例えば、料理を作るときにも成分のことよりも、汚く見えるないように盛り付けるとか、量が少な過ぎることのないように分量を考えるとか、ちゃんとしたお皿で出そうとか、外側の見栄のことも考えるはず。執筆中に作家が心の中で考えていることって、大抵俗なんですよ(笑)。
─そうなんですか。
『愛のようだ』の前段にはもう一つあります。僕は、リトルモアの「真夜中」という雑誌で2009年から連載していて、それを単行本にするという合意があった。でもこの連載が、自分で言うのもなんだけど、ノらなかった。僕は大抵、自分の書いた小説が好きなんだけど、それだけはノラなかったと言うしかない内容になってしまったんです。そうしたら、5話まで書いたところで「真夜中」が休刊になって。内心、「やったー!」と(笑)。しかも、僕は謝られる側だからラク(笑)。それで、もうその小説についてはいいやと思っていたんです。そしたら数年後、「真夜中」が復刊するかもしれないという話になって、一気に「ヤバイ」と(笑)。第6話がどうしても思い浮ばない。それでとっさに「書き下ろしを代わりに出していいですか」と前向きなこと言ってしまった(笑)。
─とっさに前向きなことを(笑)。
小説家になったのに小説についての定見がまるで持てないというところから十年やってみて自分でよくわかったのが、僕は小説を書くのが好きではないということ(笑)。本当に辛気臭い作業で(笑)。もっとも、料理に例えると、調理していて上手くいく喜びはあるわけです。いただいた食材をうまく使うことができたとか、自分なりの工夫で安直ではない料理ができたとか、美味しいと言ってもらえたとか。でも、総合的に、僕は毎日料理を作り続けるのは好きではないな、と(笑)。ただ、好きではないけど向いているんだな、と。
─内容についてお伺いすると、長嶋さんは別のインタビューで小説の書き方について、“僕の場合、まずアイテムが先行します。アイテムを元に物語の設計図を組み立てていきます。”(ダ・ヴィンチ2002年)、“はじめにプロットとか立てないで、いきなり場面から書き始めます。”(作家の読書道2002年)と語っておられました。『愛のようだ』で最初に書こうと思ったのはどんなことですか。
自分が中年になって自動車免許を取った面白さがあったから、最初に書こうと思ったのは単純に車のことです。初心者マークで40歳男はなかなかいない。それまでも車のことを書きたいと思っていたけど、免許がなかったから書けなかった。そして、教習について。今回は、教習所で出会った人物ではなくて、教習のことを書きたかったので、主人公が教習所で無味乾燥に一人ぼっちという状況を書いた。
─車や運転について、それぞれの登場人物が感じる細部が面白かったです。
グラデーションで運転の慣れや習熟度、驚き方の微差を書かなければ、色々な人が運転する面白さにはならないと思う。逆を言えば、その微差さえ書ければ、極端な個性を書く必要はない。これまでの小説でもそうやって書いてきたけど、僕は、「人間が個性豊かである」ということを信じていない。以前から構想している作品に、ジャンボジェット機の乗客300人全員のモノローグを書くという機内小説があって。「個性豊かな人間」というのは、地上での立場や役職、性別、年齢、職業などによって便宜的に生じているだけであって、全員が飛行機の機内にいて目的地も同じで、前を向いて概ね座ってなければいけない状況だとみんな同じになる。だいたい飛行機の中で考えていることは、「コーヒーにしようか。紅茶にしようか」くらいでしょ(笑)。「あ、富士山だ」とかは5歳児も大学教授も同じ(笑)。そのなかで微差を書いたほうが面白い。『愛のようだ』では、ベテランドライバーと中年の覚束ない人の運転の動作に宿る微差が、表向きの個性を捨象した本当の差になるだろうと考えた。それが抽出できれば書く甲斐があるだろうと。
─長嶋さんが車内という特殊な空間について感じていることをお伺いできますでしょうか。
音楽があんなに自由に聴ける楽しい場所は他にはないと思います。部屋で音楽を聴いていると隣の人から苦情を言われるけど、車だと怒られる間もなく通り過ぎていくので、ずっと大音量で好きな音楽をかけていられる(笑)。
「グランド・セフト・オート」ってゲームがあって。LAのような三次元の街を歩いて、他人の乗っている車をいつでも好きな時に盗める自由さがウリで。盗んだ車でドライブするんだけど、車の中で流れているカーラジオが全部違う。ゲームの中で流れているラジオ局が5つも6つもあって、ヒップホップっぽいムードのゲームなのに、ちゃんとクラシック専門チャンネルとかもある。LAのような街の海岸沿いを、車で走りながら音楽が聴けるご機嫌なゲームです(笑)。車と音楽という結びつきは絶対強いと思います。
─車内でスマホを使う場面も印象的でした。
往年の芳香剤であるポピーのある車内で、スマホの情報を後ろの座席に回すという場面をスケッチしたかったんです。
僕の小説『サイドカーに犬』が映画化された際、物語の舞台である80年代を映像として再現するために、主演の女優さんが 80年っぽい髪型やファッションにしたり、80年にはあった築年の古い建物でロケをして、大道具さんも80年頃の家具を揃えて頑張った。でも、それを試写で観た僕の父に、「いい映画だったが、1980年のアパートの部屋の中の家具が、全部1980年のものなのはおかしい。60年や70年の家具を長く使い続けている中に、80年代の家具が混じっているのが本当である」と言われて、「たしかに」と思った。「1980年を再現しなければ」という考え方だとどうしてもそうなってしまう。つまり、ウケ狙いでポピーもあるしスマホもあるという風に書かないと、2015年のことにはならないんじゃないかと。
─たしかにそうですね。また、作品中には、「女性について」、「男性について」言及する場面が多かったような気がします。
今回は意識して男女のことを書きました。車は一人ぼっちで乗るものでもあるけど、友達や恋人が一緒に乗る場合も多いわけだから。そこまで明確に言語化してはいなかったけど、「車のことだし、今回は男女のことを書こう」と。もっと言うと今回は「恋愛小説」。僕はいつも自分から特定のジャンルを書こうと思うことは無くて、細かいアイテムや場面を書いていくうちに、あるいは、そこに必然性のある人物を登場させたら、結果的に恋愛小説や家族小説になったという順序だけど、『愛のようだ』では、珍しく初期から恋愛小説を書こうと考えていました。今、恋愛小説はすっかり廃れてしまったから。今の純文学作家がエンタメ的に書くものは大抵犯罪小説だし、月9ドラマも恋愛ものは軒並み低視聴率。小説に限らず、恋愛ジャンルの需要のピークはとっくに過ぎている。僕は「だったら」と思って(笑)。これまで、恋愛小説ブームの時には全然違う作品を書くというように、ずっと逆を張ってきたので。
─恋愛小説ブームが去った今だからこそ、と。
恋愛小説ブームの当時、編集者がどうして僕に恋愛小説を書かそうとするのかわからなかった。最初は言われたことを真に受けて書いていたんです。でも段々わかってきた。「あれ、これ単に売れるからだな」と(笑)。それが今は、同じように人間の実存に関わりつつエンタメになる犯罪小説が花盛りで、誰も恋愛小説を寿がなくなった。帯の「泣ける」という言葉も、かつては僕も嫌っていた手垢のついた単語だったけど、今は誰も使わない。だから、これまで天邪鬼でやってきた僕が今やる天邪鬼は、恋愛小説を書き、「泣ける」という埃をかぶった言葉を拾うということだと思ったんです。
─なるほど。
2003年頃、文芸誌「新潮」(新潮社)で『夕子ちゃんの近道』の連載第一話が掲載された後、別の出版社のある編集者から、「これから、主人公と瑞枝さんの恋愛が深まっていくんですね」とうっとりした口調のメールが届いて(笑)。第一話だから、この先どんな展開になるのか僕にもわからなかったのに、なぜあなたにそんなことがわかるんだと(笑)。だから、絶対に瑞枝さんと主人公はくっつけないと決めて。『夕子ちゃんの近道』は、「僕」という主人公以外のところだけで恋愛が起きて、主人公だけポツンと最後まで一人、という恋愛小説からのグレイト・エスケープになった。そうやって恋愛小説の真逆に走って行ったら、大江健三郎さんしか褒めてくれない小説になった(笑)。まぁ、そのくらい尖ったつもりで書いたんです。それで気付いたら、誰も恋愛小説を依頼してこなくなった(笑)。そこからはもう僕の独壇場で、一人無法地帯(笑)。実験的なことばかりしていました。
─そうだったんですね。
たとえば今回の作品でも車のことしか書かない。伊勢神宮に行くのに伊勢神宮のことを書かないというのは『ジャージの二人』(集英社 2003年)から続く、自分の定点観測、実験の延長なんですよ。『夕子ちゃんの近道』でも、二階に住んでいる男の部屋とお店以外にはそんなに広がらない。『ぼくは落ち着きがない』(光文社 2008年)の部室もそう。「そこ」ではない場面でみんなが何をやっているかを省いて、「そこ」にいるときだけの振る舞いを執拗に書いた。だから、『愛のようだ』でも、車を降りるのがガソリンスタンドやサービスエリアがほとんどです。
─最後の『キン肉マン』の主題歌はとても泣けるシーンでした。
先ほど話したように、「料理を作りたくないな」とか「外食したいな」という気持ちで書いたのは本当だけど、そうやって作った料理でも、あのラストシーンなんかは「うまくいったぞ」という「会心の出来」感はありました。結末は体操でいうと着地ですよ。体操競技の点数配分で着地の割合がかなり高いというのは、僕にはよく理解できる。いくら上手く演技できても、着地に失敗するとみんな悔しそうな顔をするじゃないですか。逆に、上手くいくと満面の笑顔。最後が一番格好いいところであるべきなんです。
格好いいというか、僕は、あらゆる時間芸術で「終わり」は便宜だと思ってる。終わらないと、みんなトイレに行けないから終わるみたいに(笑)。音楽では、イントロ、Aメロ、Bメロ、サビをみんなは愛するけど、終わり方が愛される音楽はほぼ無い。3分位で終わらないとラジオでかからないから、便宜で終わっているんです。
─たしかにアウトロが印象的という曲は思い浮かびません。
早稲田大学で半年間授業を持っていた時に、イントロクイズをやったんです(笑)。僕のiPhoneから色々な曲のイントロを流して、トップの成績の人には賞品も用意して。そしたら、最近の曲はもちろん、今の若者が知るはずのない昔の曲でも誰かが正解した。それでその後やったのが、アウトロクイズ(笑)。正解者はほとんどいなかったです。ベートーヴェンの「運命」なら誰もがイントロの「ジャジャジャジャーン!」はわかるけど、最後がどんなメロディだったと言える人はほぼいない。特にクラシックはそうで、最後はほとんど、「ジャンジャンジャンジャンジャーン!」(笑)。PUFFYの「アジアの純真」もBBクイーンの「おどるポンポコリン」もそれ。それはつまり、終わるということに表現の上でのモチベーションが無いということ。で、僕は、だからこそ、便宜としては格好つけたり見栄をはらなければいけないと思うんです。
─便宜だからこそ格好をつける。
僕の知っている作品で小説という形式で終わりそれ自体が表現になっている作品は、サリンジャーの『バナナフィッシュにうってつけの日』だけです。あの小説の最後の一行は表現だと感じる。もっと他にも終わりが表現になっている小説もあるかもしれないし、そこで表現するのは無理だという話ではないけど、ほとんどの時間芸術は終わりの前までに言いたいことは全て言い終えていて、最後は何となく格好をつけているだけのような気がしてる。『愛のようだ』の終わりも安直といえば安直かもしれない。でも、どうせなら最後は、フェイドアウトでもなく投げやりでもなく、見栄を切りたかった。だから、仕掛けが作動したこのラストには満足がある。
それ以外にも書きたかったのは、車に乗っている時にしばしば起こる、何の思い入れもなく停まったり通った場所と自分が持っていた知識が急に実地で繋がるということ。足柄インターで降りたら本当に金太郎の人形があったり、関越道で深谷市を通り過ぎるときに、「ねぎの深谷市か」と連想したり(笑)。ちょっと嬉しい気分になるんですよね。記憶が震わされるからとか、甘い記憶だから嬉しいということではなくて、単純に知っていたことを思い出すことが嬉しい。そういうことを書きたかった。ドライブに関してはまだまだ書くことがある。というか、苦労して免許をとったんだから、もう2、3冊書かないと割に合わないです(笑)。車も買ってしまったし(笑)。
─話題が変わりますが、私たちブックショートは、「おとぎ話や昔話、民話、小説などをもとに創作したショートストーリー」を公募する企画です。先行作品をもとに新しい作品を作ることについて、お考えがあればお伺いできますか。
『日本文学全集08』(河出書房新社 2015年)に収録されている町田康さんの「こぶとりじいさん」の新訳「奇怪な鬼に瘤を除去される」は悔しかったです。あれほどすごくはないけど僕も近いことを考えていて、筑摩書房から出したエッセイ『いろんな気持ちが本当の気持ち』の中の「瘤取り考」で、「こぶとりじいさん」の鬼は「ヤンキー」だな、と書いてる(笑)。「なんか、踊りの上手いじいさんがいるな。ちょっとこっち来いよ」と、面白い人を見つけたら強引に連れてきてしまう感じがすごくヤンキーっぽい。さらに、「お前いい奴だな」と仲良くなってしまうところも(笑)。
─たしかにヤンキーっぽいです(笑)。
でも、そうやってレペゼン的な仲間感があったくせに、楽しませてくれたおじいさんを信用せずに、「お前来週もこいよ、絶対来いよ」と大事な(ものだと鬼が誤解している)おじいさんのこぶをとってしまう(笑)。それで翌週、その話を聞きつけた反対側にこぶをつけたおじいさんが喜び勇んで行くんだけど、踊りが下手だった。僕がこのお話で一番好きなのは、鬼なのにそこで寛容さを示すところ。「お前、帰っていいよ。帰れよ」と(笑)。それで、こぶを返す。自分たちとグルーヴがあったおじいさんの大事な(ものだと鬼が誤解している)こぶはとってしまったのに、自分たちにつまらない思いをさせた人には了見の広いところを示すという気まぐれさがまさにヤンキー(笑)。鬼の誤解があったから結果的にはありがたい話になっているけど、それが因果応報ではなくて、ただの皮肉であるというところもいい。これは名エッセイだと思っています。その他に今、僕が熱く語れるものは無いけど、アイデアや置き換えが面白くなるのならば、意味のある二次創作になるんじゃないかなと思います。
─ブックショートでは、大賞作品を映像化します。長嶋さんの作品では、『サイドカーに犬』『ジャージの二人』が映画化されていますが、ご自身の作品の映像化についてのお考えを教えてください。
映画化はね、アンビバレントな気持ちになるんです。小説が広まるチャンスだから、映画化はして欲しい。でも、娘が嫁いでいくような感覚で、自分の手柄だったはずの賞賛の声が映画に移っていくと、自分が蚊帳の外に置かれているような感覚になってしまう。そうすると、映画化を許しておきながら複雑な思いになる。作家が、映画製作の途中や完成後、製作側と揉めるとしたら、その原因は、新婦のお父さんに良くしなかったからですよ(笑)。新婦のお父さんは、愛情あるものを奪われる、自分の手柄を無いことにされることへの恐怖心や反発心がすごく強い。だから、結婚式でバージンロードという見せ場を用意する。同じように、原作者も大いに立てておけばいいんです(笑)。
でも僕は、原作者は映画に口出しをしてはいけないと思う。今の映画監督たちはまるで中間管理職で、黒澤明みたいに暴君のように振る舞える時代ではない。製作委員会方式で映画が作られると、監督のことを全く尊敬していない人たちが上に大勢いるという状況が起こりがちになる。でも、作品においては監督がトップであるべき。それで称賛も批判も全て監督が受ける。監督は自由であるべきなんです。それが今できるのは、宮崎駿さんと北野武さんくらいかもしれないけど。
─最後に、小説家を目指している方にアドバイス、メッセージいただけますでしょうか。
とにかく書くこと。「海賊王に俺はなる!」というセリフが漫画『ONE PIECE』にあるけど、「海賊王に俺はなりたい」ではなく「なる」。「なる」と言った人がなるんです。色々な作家が幼少期を語ったエッセイやインタビューを読んでみても、みんな「小説家になると思っていました」と書いてる。「小説家になりたいと思っていました」と言った人を僕は見たことがない。だから言語で「なる」。そうしても大抵なれないんですが(笑)、なれた人はみんな「なる」と言っていた。で、目指すのではなくて「書く」。書けばいい。
─とにかく「書く」と。
小説家になっても小説のことはわからないから安心していい。僕の場合は、新人賞を受賞して2、3冊目くらいまで、「小説ってどんなもんかね」と思いながら書いていたわけですよ(笑)。当時は、何か問題、例えば夫婦仲や家族関係といった悩みや屈託という問題が一つボトンとあって、それに対する振る舞いのなかに自分の書きたい場面があるということが小説だろうと考えていた。でも、そんな具は、あっても無くてもいいんだ、ときには全然要らないんだと段々思えてきたんです。
─そうなんですね。
例えば、住み始めたばかりの家で、前の住人がどうしてつけたのかわからない手すりがあったとして、漫然と「ここにつけたからには必要だったんだろう」と思っているのと、「こういう理由で手すりが必要だったんだ」とわかった後では違う状態ですよね。同じように、僕はある時、小説それ自体の機能が実感できたような気がする。壺や花瓶は花を生けるのに向いていて、コップは水を飲むのに向いているように、小説というツールの用途として「問題を書くことにとりあえず向いている」ということが段々わかってきたんです。向いているだけなら逆に、コップに花でもいいんだというアドリブもあるでしょう。そういうことは全部後付けだけど、僕はそれでもデビュー以来、世間から作家であることを疑われたことは一度もありません。「作家です」と言いながら後付けできるから、安心して何も知らないままでいいんです。我流でいいし、間違っていてもいい。「それに花を生けるのは無いだろう」と批判されたとしても、そんなのは嘘だから。極端な話、壺で水を飲んでもいい。でも、飲み口が大きいし、しかも重いというリスクは引き受けて(笑)。そういう感じですね。
─ありがとうございました。
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*インタビューリスト*
馳星周さん(2019.1.31)
本谷有希子さん(2018.9.27)
上野歩さん(2018.5.31)
住野よるさん(2018.3.9)
小山田浩子さん(2018.3.2)
磯﨑憲一郎さん(2017.11.15)
藤野可織さん(2017.11.14)
はあちゅうさん(2017.9.22)
鴻上尚史さん(2017.8.31)
古川真人さん(2017.8.23)
小林エリカさん(2017.6.29)
海猫沢めろんさん(2017.6.26)
折原みとさん(2017.4.14)
大前粟生さん(2017.3.25)
川上弘美さん(2017.3.15)
松浦寿輝さん(2017.3.3)
恩田陸さん(2017.2.27)
小川洋子さん(2017.1.21)
犬童一心さん(2016.12.19)
米澤穂信さん(2016.11.28)
芳川泰久さん(2016.11.8)
トンミ・キンヌネンさん(2016.10.21)
綿矢りささん(2016.10.6)
吉田修一さん(2016.9.29)
辻原登さん(2016.9.20)
崔実さん(2016.8.9)
松波太郎さん(2016.8.2)
山田詠美さん(2016.6.21)
中村文則さん(2016.6.14)
鹿島田真希さん(2016.6.7)
木下古栗さん(2016.5.16)
島本理生さん(2016.4.20)
平野啓一郎さん(2016.4.19)
滝口悠生さん(2016.3.18)
西加奈子さん(2016.2.10)
白石一文さん(2016.1.18)
重松清さん(2015.12.28)
青木淳悟さん(2015.12.21)
長嶋有さん(2015.12.4)
星野智幸さん(2015.10.28)
朝井リョウさん(2015.10.26)
堀江敏幸さん(2015.10.7)
穂村弘さん(2015.10.2)
青山七恵さん(2015.9.8)
円城塔さん(2015.9.3)
町田康さん(2015.8.24)
いしいしんじさん(2015.8.5)
三浦しをんさん(2015.8.4)
上田岳弘さん(2015.7.22)
角野栄子さん(2015.7.13)
片岡義男さん(2015.6.29)
辻村深月さん(2015.6.17)
小野正嗣さん(2015.6.8)
前田司郎さん(2015.5.27)
山崎ナオコーラさん(2015.5.18)
奥泉光さん(2015.4.22)
古川日出男さん(2015.4.20)
高橋源一郎さん(2015.4.10)
東直子さん(2015.4.7)
いしわたり淳治さん(2015.3.23)
森見登美彦さん(2015.3.14)
西川美和さん(2015.3.4)
最果タヒさん(2015.2.25)
岸本佐知子さん(2015.2.6)
森博嗣さん(2015.1.24)
柴崎友香さん(2015.1.8)
阿刀田高さん(2014.12.25)
池澤夏樹さん(2014.12.6)
いとうせいこうさん(2014.11.27)
島田雅彦さん(2014.11.22)
有川浩さん(2014.11.5)
川村元気さん(2014.10.29)
梨木香歩さん(2014.10.23)
吉田篤弘さん(2014.10.1)
冲方丁さん(2014.9.22)
今日マチ子さん(2014.9.7)
中島京子さん(2014.8.26)
湊かなえさん(2014.7.18)