重松清
1963(昭和38)年、岡山県生れ。出版社勤務を経て執筆活動に入る。1991(平成3)年『ビフォア・ラン』でデビュー。1999年『ナイフ』で坪田譲治文学賞、同年『エイジ』で山本周五郎賞を受賞。2001年『ビタミンF』で直木賞、2010年『十字架』で吉川英治文学賞、2014年『ゼツメツ少年』で毎日出版文化賞を受賞。現代の家族を描くことを大きなテーマとし、話題作を次々に発表している。著書は他に、『流星ワゴン』『疾走』『その日のまえに』『きみの友だち』『カシオペアの丘で』『青い鳥』『くちぶえ番長』『せんせい。』『とんび』『ステップ』『かあちゃん』『きみ去りしのち』『あすなろ三三七拍子』『ポニーテール』『空より高く』『また次の春へ』『赤ヘル1975』『一人っ子同盟』など多数。
『たんぽぽ団地』重松清(新潮社 2015年12月22日)
昭和の子どもたちの人生は、やり直せる。新たなるメッセージが溢れる最新長編。
元子役の映画監督・小松亘氏は週刊誌のインタビューで、かつて主人公として出演したドラマのロケ地だった団地の取り壊しと、団地に最後の一花を咲かせるため「たんぽぽプロジェクト」が立ち上がったことを知る。その代表者は初恋の相手、成瀬由美子だった……。少年ドラマ、ガリ版、片思い――あの頃を信じる思いが、奇跡を起こす。
─新刊『たんぽぽ団地』拝読させていただきました。これまでも重松さんは、ニュータウンや団地を題材に作品を書かれていますが、今回は取り壊しが決まった団地が舞台ですね。
物を作る人は皆、自分のフィールドや土俵を持っていると思います。中上健次であれば「路地」がそうかもしれない。僕の場合は、『見張り塔からずっと』(角川書店 1995年)という小説を書いて以来、団地やニュータウンが自分の作品の生まれる一番の磁場なんです。ただ、一口に団地やニュータウンと言っても、『見張り塔からずっと』から20年経った今、そのリアリティは変わっているわけです。20年前は、少年犯罪や地価高騰、バブル崩壊がニュータウンとともに語られた。だけど現在では、当時は発想もしていなかった住民の高齢化や団地の取り壊し、建て替えといったことの方がリアルですよね。
─TVドラマ「たんぽぽ団地の秘密」撮影時(1973年)の団地は、とても幸せな地域コミュニティのように思えました。
もしかしたら1973年だってバラ色の天国のようなコミュニティがあったわけではないかもしれない。だけど、現在とコントラストをつけるために、あえて当時の団地が持っていた下町風な雰囲気を書いたんです。騒音問題で揉めるニュータウンのマンションと違って、団地は周りの住民の気配や音も含めての生活でした。そういう昔確かにあったものが、現在どんどん失われていっているわけです。
─同じく団地が舞台の『トワイライト』(文藝春秋 2002年)では、団地を指して、「寂しくてたまらないときに帰りたい街のことを、ふるさとって呼ぶんだよ、おとなは。」という言葉がありました。
子供の頃、引っ越しばかりしていたからか、「ふるさとってなんだろう」というテーマを一貫して持っているんです。じゃあ、ニュータウンや団地はふるさとになり得るのか。僕の作品では、やっぱり十分ふるさとだよ、という結論になっていると思う。少年時代の思い出の詰まった団地が取り壊され、ゴーストタウンになっていくことには寂しさを感じますよね。
─取り壊しが決まった現在のたんぽぽ団地は、未来が見えないように感じました。
未来だけ奪われたらもう、後ろ向き、ノスタルジアでいいわけです。だけど僕らは、未来が見えなくなったのと同時に、帰っていくべき思い出の場所、懐かしいふるさとも同時に失っているのかもしれない。都会でも田舎でもそう。そうするとノスタルジアに浸ろうにも、もはや昔の農村や団地、ニュータウンではないから、後ろにも戻れないし、前にも進めない。それが今の僕たちの大変さなのではないかと思うんです。
─『たんぽぽ団地』では、「お話の世界」と「現実の世界」が交錯していきます。
最近の自分の作品には、そういう二重構造が多いんですよ。僕の小説は評価されるとき、「ノンフィクションみたいにリアル」と言われることが多いのだけれど、だったら自分はどうしてノンフィクションじゃなくてフィクションを書いているんだろうな、と考えるわけです。それで僕はやっぱり、現実はしんどくても、それを乗り越えるときにお話の力を信じたいなという気持ちがある。どんなに苦しい状況になっても人間は、物語を作ったり、歌を歌ったり、絵を描いたりするわけだから。そういう気持ちで、意識的に二重構造を書いています。
─物語に登場する時空パトロール隊の任務は、かつての“悪者を捕まえること”から、“後悔や心残りのある人を、過去に連れて行ってやり直させてあげること”に変更になりました。
子供の頃は、正義の味方の役目は敵を倒すことや平和を守ることだったわけです。当時の僕は、それがやっぱりヒーローだよな、と考えていた。だけど今はそうではなくて、敵を倒さなくてもいいから、例えば、落ち込んでいる子供がいたら「大丈夫だよ」と言ってあげる大人の方がヒーローだよなと思ったりするんですよね。
─それで、後悔のある人を過去に連れて行ってあげるヒーローを。
後悔というのは、人間にしかできないことかもしれないですよね。それに、子供の頃は無くて、長く生きていけばいくほど増えていく。そうなると、後悔をどう書くか、後悔とどう折り合いをつけていくかということは、小説や映画で追いかけていく大きなテーマになり得るのではないかなと思います。
─「ひとの一生で、いちばん最高のときって、いつ……何歳頃なんだろうね」というナルチョさんの問いも印象的でした。
その問いの答えは本当にわからない。例えばスポーツ選手なら、ピークがいつかというのはわかりますよね。会社だと、出世とか収入で考えれば、ある程度までは年齢と比例して、うまくいけば歳をとればとるほど右肩上がりで良くなるということになる。でも、最前線でバリバリ仕事するのが黄金時代だとすれば、それは一番下っ端のときかもしれない。僕は今、50前半だから、人生でまだもっといいことあるだろうな、という感じだけど、あと20年経ったら、もうこの先何もないなという気持ちになる可能性もある。だから、わからないんです。でも、わからないからこそ、追いかけて行きたいテーマですね。
─わからないですよね。
映画の世界もそうかもしれないけど、「年齢」や「老い」というテーマはまだ開拓し尽くされていないんですよね。昔はみんな若死で、長生きした人間が少ないから。夏目漱石も49歳で亡くなっているし、太宰治なんて30代、と考えていくと、しっかり年老いて、現役で老人を書いた作家は、谷崎潤一郎と永井荷風くらいかもしれない。でも、この二人だって79歳で亡くなっていますから、80代を知らない。映画監督でも、小津安二郎は60歳で亡くなっています。山田洋次さんのように80代で現役という人はいなかったんじゃないかな。でも、きっとこれからそういう人がどんどん増えていくでしょう。そうなったとき、老人が年齢や老いについて書けることはまだまだあるはずだから、このテーマはどんどん面白くなってくると思います。
─楽しみですね。
逆に言えば、「青春」というものは書き尽くされてしまっているわけですよ。若い子たちが書いた作品には、時代設定で昔なかった小道具があったりはするけど、根っこの部分は昔と変わらない。ヤリたいとかね(笑)。
年を重ねていくと視野が広がるから、小学生から老人まで色々な世代が書けるようになります。僕は昔、新人賞の選考委員をやっていて痛感したんだけど、若い子たちの小説には同世代ばかりが登場するんですよね。その部分の描写はとても繊細でうまい。でも、上の世代を書くと急にステレオタイプな表現になってしまう。だから、同世代以外をうまく物語に取り込むだけで、すごく世界が広がると思うんですよね。
─『たんぽぽ団地』では、70歳の徹夫さんがとても魅力的だと思いました。
人の手触りのある団地が取り壊されるということは、言い換えれば、ああいう昭和の職人気質の人が年老いていって、世の中からいなくなるということなんです。
─たんぽぽ団地からは“たんぽぽの綿毛”のように子供たちが羽ばたいていきました。主人公 杏奈の一家が暮らすような近所付き合いの少ない最近のニュータウンからも、同じように子供たちの新しい歴史が生まれるとお考えでしょうか。
きっと生まれるよ。大丈夫。今回、団地対ニュータウンという構図のなか、僕は団地の側についた。でも、たとえば、一戸建てから見て「ニュータウンやタワーマンションなんて駄目だよ」と言われたら、きっとタワーマンション頑張れ!という小説を書くと思う。先ほどのノンフィクションかフィクションかの話とも繋がるけれど、ニュータウンの悪いところを挙げていったらきりがないわけです。でも、そんな話は新聞にたくさん載っている。せっかくお話を書くのに、新聞と同じ結論なんだったら最初からノンフィクションを書けばいい。数字やグラフでも並べておけばいいんですよ。僕がフィクションを作るのは、何かを肯定するためなんです。明日になったら現実の厳しさに負けてしまうかもしれないけど、これを読んでいる間の一晩くらいはお話の力で現実に勝ってもいいんじゃないか、こういうお話を読んでいる時の気持ちよさくらいは僕たちに許されてもいいじゃないかと思うんです。
─話題が変わりますが、私たちブックショートは、「おとぎ話や昔話、民話、小説などをもとに創作したショートストーリー」を公募する企画です。先行作品をもとに新しい作品を書くということについて、お考えがあればお伺いできますでしょうか。
2013年度の新聞広告のコンテストで最優秀賞を獲った作品は、「桃太郎」の話を、鬼ヶ島の鬼の子どもからの視点でした。「僕のお父さんは桃太郎という奴に殺されました」とね。そういうアイデアはすごく面白いと思う。リミックスを作るのはいいトレーニングにもなるし、フリーハンドで「いいものを待っています」ではなくて、ある種の課題、縛りを与えて、というやり方もすごくいい。だからまずは、色々な構造でたくさん数をこなすことが大事でしょうね。例えば「竹取物語」から、視点変え、設定変え、結末変えみたいに色々なリミックスバージョンを作ってみるみたいに。
─同じ作品から複数のリミックス作品を。
昔話のようなしっかりした構造の物語に乗っかるのは楽なんです。思いつきで上手く書けてしまうこともある。でも、プロの作家はガイドラインの無いところからオリジナルを作っているわけです。ガイドラインがあるということは、そういう一番難しいところをスルーしているわけだから、じゃあせめてそのなかで様々な作り方ができますという風にしないと。だって、ものを作るのが簡単なんだと安易に思われたら困るわけじゃない? それは簡単に決まっているよ、元があるんだから(笑)。ものを作るのって大変だよ、難しいよ、でも、面白いんだよ、というところのスタートラインとして、最初のハードルを下げるためにガイドラインを与えるということには賛成する。ただ、それで一回うまくいって評価されて、満足してしまったら伸びない。それに、一本しか書いてないと、ビギナーズラックでたまたまうまくいったのか、この人はこういう感じでもっと良くなるのかを見極めるのも難しい。
─そうですね。
同じ題材を元に色々なバージョンが作れるようになったとしたら、それは僕もすごいと思う。だから、3通り書いてもらうといいかもしれない。それで、昔話でこんなこともできる、あんなこともできる、となったら、そのガイドを外してオリジナルに挑んで欲しい。それくらいの負荷は応募者に与えた方がいいかもしれないですね。
─なるほど。
昔話の二次創作は、もの作りの最初のハードルを下げるのにとてもいいと思うから、その試みには大賛成だし応援する。でも、そこで半端な達成感を与えては駄目。「なるほど。面白いな、ものを作るのって」と手応えを感じさせるまではいいんだけど、手応えと達成感は分けなければいけないんです。手応えを感じさせながら、まだまだ達成感はその先にある、ということを示すことが、難しいけど大事だと思います。
─そこは僕たち企画側の腕の見せ所ですね。頑張ります。そのブックショートの大賞作品はショートフィルム化されます。数多くの作品が映像化されている重松さんは、ご自身の作品が映像化されることについてどのようにお考えでしょうか。
映像は全く別の作品だと割り切っていますね。一応事前にシナリオを送ってもらいますけど、それも現場で変わるってことはわかっているし(笑)。「この原作をこの映像チームがどんな風に撮るのかな。やってみてよ」という気持ちで、もう本当にお任せ。映像の人たちは、スケジュールや予算、キャスティングといった制約の中で作っているから、当初の企画と現実にギャップが生じないわけがない。だから、役者も納得してディレクターや監督もベストを尽くしたと言えるものであれば、原作者としては何も言うことはありません。小説とは全然条件が違いますから。僕らは小説で軽く雑踏の風景を書くけど、それを全部再現しようと思ったら大変ですよね。小説ですごく清楚な少女を書いたとして、読者が一万人いたら一万通りの清楚な少女の解釈があるわけです。でも、映像では一人の女優さんで確定してしまわなければならない。それはやっぱり怖いことだし度胸がいると思う。その意味では、小説家はよく「読者の想像力に任せる」と言うけど、あれは言い方を変えたら無責任なことかもしれないですね。でも、その「想像力に任せる」ところが小説の醍醐味なんだけどね。
─最後に、小説家を志している方にメッセージいただけますでしょうか。
THE BEATLESの未発表曲が収録されたアルバム「ザ・ビートルズ・アンソロジー」を聴くと、レコードに残ったバージョン以外にこんなにも色々試しているんだ、こんなアレンジがあるんだ、これを足したり、これを引いたりして、最後に残ったのがレコードになったんだ、ということがわかります。つまり、ものを作るということは、やり直すことでもあるんです。一度書き終えたものが絶対ではない。そこからいくらでも直せる余地があるはずなんです。もちろん、ゼロからイチを作る、無から有を生むというのは大変なことだから、それが出来上がったら「やったぜ」という気持ちになるのはよくわかる。だけど、もの作りを長く続けている人や、それでご飯を食べている人は、そこからもっと良くしていっているんです。
─ものを作ることは、やり直すこと。
直すということは、言い換えれば自分の作品を客観的に見るということでもあります。そこが難しくて、客観性を持ち過ぎると、ものなんて恥ずかしくて作れない。どこか夢中になって周りが見えなくなるような状態は必要なんですね。だけど、書き終えた後は、さっと俯瞰して客観性を持たないと独りよがりになってしまう。主観と客観を上手く切り替えることが必要なんです。僕はいつも、書き終わったら瞬間から編集者目線になりたいな、と思っています。ものを作る最中は、「俺って最高!」と思わなければやっていけないけど(笑)、いつまでもそうやって浸っているわけにはいかない。だから、呪文のように、もっと良くなる、もっと良くなる、という気持ちを忘れないで欲しいです。
─ありがとうございました。
*賞金100万円+ショートフィルム化「第5回ブックショートアワード」ご応募受付中*
*インタビューリスト*
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青木淳悟さん(2015.12.21)
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朝井リョウさん(2015.10.26)
堀江敏幸さん(2015.10.7)
穂村弘さん(2015.10.2)
青山七恵さん(2015.9.8)
円城塔さん(2015.9.3)
町田康さん(2015.8.24)
いしいしんじさん(2015.8.5)
三浦しをんさん(2015.8.4)
上田岳弘さん(2015.7.22)
角野栄子さん(2015.7.13)
片岡義男さん(2015.6.29)
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小野正嗣さん(2015.6.8)
前田司郎さん(2015.5.27)
山崎ナオコーラさん(2015.5.18)
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古川日出男さん(2015.4.20)
高橋源一郎さん(2015.4.10)
東直子さん(2015.4.7)
いしわたり淳治さん(2015.3.23)
森見登美彦さん(2015.3.14)
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最果タヒさん(2015.2.25)
岸本佐知子さん(2015.2.6)
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柴崎友香さん(2015.1.8)
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池澤夏樹さん(2014.12.6)
いとうせいこうさん(2014.11.27)
島田雅彦さん(2014.11.22)
有川浩さん(2014.11.5)
川村元気さん(2014.10.29)
梨木香歩さん(2014.10.23)
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