穂村弘
歌人。1990年、歌集『シンジケート』でデビュー。
詩歌、評論、エッセイ、絵本など幅広いジャンルで活躍中。著書に、歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』『ラインマーカーズ』、エッセイ集『世界音痴』 『にょっ記』『絶叫委員会』『君がいない夜のごはん』『蚊がいる』、短歌評論『短歌の友人』、詩集『求愛瞳孔反射』など多数。
『にょにょにょっ記』穂村弘・フジモトマサル(文藝春秋 2015年9月7日)
元気さの単位を考えたり毛布の中の見つからない穴を探したりと、日々順調に妄想と詩想の間をさまよい歩く穂村弘。日記という日常の記録が、言葉の鬼才の脳内を通りぬけ、ぴかぴかに結晶、ビザールかわいい一冊に。本作から共著者となったフジモトマサルの漫画も増量です。
─新刊『にょにょにょっ記』楽しく拝読させていただきました。『にょっ記』『にょにょっ記』に続いて3冊目となるこのシリーズですが、これまでの2作と今回の作品を比べて、ご自身で違いを感じることはありますか。
今回は、老眼や五十肩のネタが出てきているので、やっぱり加齢の影響があるのではないでしょうか(笑)。
「にょっ記」シリーズは10年以上続けているので、普通にやっていたらだんだん慣れてきて初期衝動が弱まってきてしまいます。だから、ポイントを少しずつ動かしていくように意識しています。慣れると少しずつタフになってしまうんです。以前は恐れていたことを恐れなくなってしまう。だから、もう一度怖がるようなところまで自分が移動しないと、みずみずしさが消えてしまうみたいです。慣れた方がいいジャンルや書きものもあると思いますが、僕がやっていることでは、慣れるということがマイナスに作用することが多いみたいです。
もともと僕は、世の中のことに慣れにくい性質で、みんなが慣れることも全然上達しないという長所があるんですけど(笑)。
─「にょっ記」シリーズに書かれていることは、現実の出来事とフィクションが混在しているかと思います。穂村さんはかつて山崎ナオコーラさんとの対談でエッセイについて、“現に書かれたものは、言葉の運動性と書き手の資質や思考のブレンドであって、結果的にそれが事実に反していたからといって「フィクション」とは言えないと思えますね。”とおっしゃっていました。詳しくお伺いできますでしょうか。
文芸の一般的なイメージは、「何かを見て感動して心が動いて、それに適切な言葉を当てはめて表現する」というモデルで理解されていることが多いですけど、それは違うのではないかと思っています。もっと言葉自体が勝手に動く、書き手にも予測できない動き方をする、という感覚です。エンターテイメント小説やミステリー小説はそういう風には書けないジャンルですけど、詩や短歌というのは、書き手自身をも裏切るような、言葉そのものの運動性が命のようなところがあります。
「にょっ記」シリーズは、完全に詩とも言えないので、その中間的な、つまり、コントロールを多少はするという書き方ですね。例えば、『にょにょにょっ記』の冒頭に「4月1日 エイプリルフール」というタイトルの文章があります。
どきどきする。
新聞もテレビもネットも今日は信用できない。
危険だから一日中部屋に籠もっていよう。
外の世界では、みんなが互いに嘘を吐きまくっているのだ。
これは、フィクションかノンフィクションどちらかというと、微妙ですよね。フィクションとは言えないですが、本当にそこまでどきどきしているのか、誇張があるのではないか、という感想が普通だと思います。どうしてこんな文章になるのかはよくわからないんですけど、エイプリルフールについて書こうとしたとき、僕はこの4行を書いてしまうわけです。一つには、そもそもエイプリルフールかどうかに関わらず、外の世界ではみんなが嘘を吐きまくっているという感覚が無意識の中にあったんだろうという気はします。でも、表層の意識でも本当にそう思っているんだとしたら、それは狂気への第一歩かもしれない。壮大な陰謀論を信じている狂気の人もいますよね。だけど実は、狂気への第一歩というのは、詩への第一歩でもあるんです。
─狂気への第一歩が、詩への第一歩。
この文章のポイントは、4月1日という日付と、エイプリルフールという言葉がタイトルだけにあって、本文の4行ではそれが全く説明されていないということでしょう。ただ、それは後から自分で読んで思うことで、書くときは勝手にそういうことになるんです。僕はそれを「言葉が異化されている」と呼んでいますが、フィクション、ノンフィクションの尺度では説明できない言葉の運動ですね。
前作の『にょっ記』では、「実況」というタイトルのこんな文章があります。
夢のなかで、私は大相撲の実況をしていた。
おおきいですねー。
うわ、こっちもおおきい。
ふたりともはだかです。
だきあっただきあった。
やっぱりこの下4行も「異化された言語」です。本物のアナウンサーはこんな風に実況しませんよね。でも、初めて相撲というものを観る人の感想はこんな感じかもな、という気がしなくもない。これも、フィクションかノンフィクションかではやっぱり説明できない。ここでは、読者にプレッシャーをかけないために、1行目で「夢のなかで、私は大相撲の実況をしていた。」と書くことによって、異化された4行を飲み込みやすくしています。
─『にょにょにょっ記』では、知人との会話や、耳に入った他人の会話、街で見かけたもの、テレビ番組、古い本、夢など様々な物事を端緒にして話が膨らんだり脇道に逸れたりします。「これを書こう。」と穂村さんがくらくらするような事象に共通点はありますか。
エイプリルフールも相撲も、昔から存在していてそういうものだということになっていますけど、どこか変ですよね。嘘をついていい日なんて変だし、相撲も日本にいれば見慣れているけど初めて見たらびっくりするだろう。ネクタイなんかも謎ですね。みんなの首に下がってる布。あとは、物の値段が、1,980円、2,980円、3,980円と設定されていることも「いや、理由はわかるんだけど、いい加減お互いもういいんじゃないか。」という気がしています。宇宙人が日本に来て「物の値段がみんな98なのはなぜか?」と質問されたら、答えるのが恥ずかしいですよね。「2,000円よりも1,980円の方が安い雰囲気で、でも1,990円ではあまりにも露骨なので、もう一歩下げて、1,980円にしてあるんですよ。」とか説明するのは地球人のプライドに関わることです(笑)。
─「にょっ記」シリーズでは、自分のいる世界が実は異世界なのではないかと動揺するというようなお話(シュウマイにグリンピースが載っていない話、ヤクルトが大きくなった話、講談社が動く話)もとても面白かったです。
怖いけれど、わくわくしますよね。『ジョジョの奇妙な冒険』や楳図かずおのの漫画、江戸川乱歩の小説なんていうのは、最初「なんかおかしい。」という場面から始まります。僕はそこを読んでいるときが一番どきどきして楽しいんです。『ジョジョの奇妙な冒険』なら、敵のスタンドの能力がまだわからなくて、「何かおかしい。世界が変。何か仕掛けられている。」というとき。一番興奮する。
それで、シュウマイにグリーンピースが載っていなかったとき、例えば「シュウマイ グリンピース」とインターネットで検索して、もし一件も出なかったらどきどきがさらに高まりますよね。「おかしい、俺の中ではたしかにグリンピースがシュウマイの上に載っていたのに、グーグルで一件も出ないじゃん。」とそうなったとき、もしかしたらここは自分のいる世界ではないのかもしれない、元いた世界では今もシュウマイの上にグリンピースが載っているのかもしれない、とどきどきする。そういう感覚はみんな持っていると思うんですよ。
─あります、あります。
「自分以外の人は全員、他人の心が読めるかもしれない疑惑」なんていうのも、一度は考えますよね。自分だけが異世界の人間であるとか、自分だけがミュータントかもしれないとか。そういうのは思春期の感覚、所謂中二病みたいなことで、だから、思春期の人はミュータント物の漫画やSFが好きなんでしょうね。自分だけが選ばれた特別な人間で、愚かな醜い旧人類の大人に迫害されるというような。
先ほどのシュウマイの話なんかもそのバリエーションです。以前書いたものでは、「どうして由美かおるは40年もグラビアに出続けることができるのか」という謎もありました。自分だけがその秘密を知らない、という異世界感みたいなものが怖いんだけど、ときめくんです。
─わかる気がします。
どれくらい異世界がときめきの対象になるのかというのは、今の現実に対してどれくらいチューニングが合っていないかによって個人差があるんだと思います。この世で権力を持っている人にとっては、現状が一番いいわけで、異世界なんてよくないわけですよね。だけど、何もない人にとっては異世界万歳ということになります。
─文庫本『にょにょっ記』の解説(「偽ょ偽ょっ記」)で西加奈子さんが、“穂村さんは、大変偉くて、賢くて、かっこいいのに、いつも、どきどきしている。緊張したり、驚いている。”と書いていらっしゃいます。そのどきどきや緊張や驚きは、穂村さんの世の中とのチューニングの合わなさからくるのでしょうか。
たぶん、そうなんでしょうね。ただ、もっと理由がはっきりしている人もいっぱいいるわけです。例えばセクシャルマイノリティや、女性もそうかもしれない。社会のマジョリティではない理由が自分ではっきりしている場合、そのマジョリティのシンパシーなんて敵なわけだから、当然チューニングは合わない。僕の場合はそういうことではないので、やっぱり中二病というのが一番しっくりしているんでしょうね。
─穂村さんは、2005年の長嶋有さんとの対談で、ワンダー(驚異)よりもシンパシー(共感)が時代の趨勢だと述べられていました。当時と比べて現在、その傾向はどうなっているとお感じですか。
その傾向は強くなっているのではないでしょうか。共感というのは、「やっぱりそうだったんだ。」と、何となく思っていたことをズバッとわかりやすく言ってもらう快感みたいなことですよね。それは、自分の現状を肯定してくれるパワーになります。そういう歌が流行りましたけど、「ありのままで」いいんだという。もうみんな、ゼロからトレーニングを積むとか、自分が変化するということに対する余力が乏しくなっていると思うんです。だから、共感という、今の自分の立ち位置のままで補強してくれるエネルギーを欲する。パワースポットとかもそうかもね。けれども、僕の書いている短歌や詩はもともとワンダー寄りのものだから、共感とは相性が悪いですよね。自己が未知のばらばらになることを促すから。
─穂村さんは、詩、短歌、純文学、エンターテイメント小説について、これまでのインタビューで「生きた言葉」と「死んだ言葉」という表現を使ってお話しされていました。先ほどの「言葉の運動性」のお話と繋がるかと思いますが、さらに詳しくお伺いできますか。
例えば、川上弘美さんの小説に『溺レる』というタイトルの作品があります。これが生きている言語で、「溺れる」でも「おぼれる」でもないことで読者が立ち止まってしまう、「これ何?」と。つまり、このタイトルは三文字ですが、詩なんですよね。あとは、朝吹真理子さんの芥川賞受賞作『きことわ』。主人公が、貴子と永遠子という名前で、普通なら『貴子と永遠子』でしょう。どうして『きことわ』になるのかというと、それは、生きた言語にしたいから。彼女たちは小説家ですけど、体質が詩人なんです。だから、言葉の運動性に逆らえなくて、そういう風に書いてしまう。純文学だからそれでも許されるんです。でも、たとえば、エンターテイメント小説の作家がそういうタイトルをつけるかというと、つけない。まあ、ある種のホラーなら「溺レる」はあるかもしれないけど、基本的にはそこには死んだ言葉を置き、タイトルで読者を疲れさせるようなことはしません。なぜなら売り物が全然違うからです。
─売り物が違う?
エンターテイメントの作家は、言葉そのものを売っているわけではありません。言葉によって作られた世界、物語やキャラクターを売っているんです。そこでは言葉はツールの位置づけになる。でも純文学になると、言葉そのものを売るという度合いが高くなります。別の言い方をすると、エンタメよりも純文学の方が映画化しにくい。現実とパラレルじゃないから。そして、もっと映像化しにくいのは、短歌や詩ですね。なぜなら言葉そのものが生きているから。
─なるほど。
作品のタイトルを見ればその作家の詩人度がわかります。川上弘美さんや川上未映子さん、江國香織さんの詩人度は高いです。実際に詩集や句集を出してるしね。江國香織さんのエッセイ集に『雨はコーラがのめない』というタイトルがありますが、これもおかしいですよね。雨というのは犬の名前なんですが、それがわからないと『雨はコーラがのめない』というタイトルは、狂気への一歩で、でも同時に詩への一歩でもあります。そういうタイトルはみんな生きた言葉で、そういうものを求める人は求める。だけど、好まない人は「そんなところで俺を疲れさせるな。」となってしまいます。『にょっ記』なんてタイトルの本を、会社の営業部長はまず読まないでしょう。きっと銀行小説やバイオレンス小説とかを読んでいるはず(笑)。
─話題が変わりますが、私たちブックショートは、「おとぎ話や昔話、民話、小説などをもとに創作したショートストーリー」を公募する企画です。
短歌の世界では古くから「本歌取り」という技法がありますが、先行作品をもとに新しい作品を作ることについて穂村さんのお考えを教えてください。
面白い企画ですね。そういうことが成立する世界であってほしいですよね。だけど、本歌取りは、和歌では成立したけど現代短歌では成立しがたい。どうしてかというと、本歌取りという手法は、先行作品を作者も読者も知っていることが前提になるわけなので、知っていなければ成り立たないんです。おとぎ話でも、たとえば『桃太郎』だって知らない人はいると思います。
─そういうギャップを埋めるのは難しいですね。
難しいですよね。だから、知らなくても楽しめるし、わかればもっと楽しいみたいにするといいのかもしれません。「にょっ記」シリーズもそういうところがあると思うんですよね。数がたくさんあるから、世代が違ったりするとわからないものもあるでしょう。でも、それを全部回避してしまったら面白くなくなってしまいます。古い本の話なんかもしていますけど、そのズレが面白いというところもある。昭和初期の人は、アラビヤ数字がこんなに書けなかったんだ、というように。今見るとSFみたいなところがありますよね。古いものはもう、一つの別世界ですから。
─最後に、文章を書く仕事を目指している方にメッセージいただけますでしょうか。
文章を仕事にするのは、他ジャンルの表現よりはなんとかなる確率が高いと思います。僕が20代のとき、周りで色々なことをやっている人たちがいました。その中で文章を書いていた人は、程度の差はあっても一応みんなプロになっています。でも、音楽や演劇をやっていた人で50代まで続けられている人はすごく少ないんです。もちろん時代はちがうけど、続けていればなんとかなるのではないでしょうか。
─続けていくことが難しいということもあるかもしれません。
そうかもしれないですね。周りにいた人はみんな続けたから残っているということで、考えてみたら書くことがないと続けられないですもんね。どこかでインプットがアウトプットに変わるから、やっぱり何かからのインプットがいるのでしょう。
インプットがアウトプットになる時の化学反応というのは謎で、僕もそれに関心があって、色々な人に対談で質問したりするんですけど、「なぜインプットがアウトプットに転じるのか。」その瞬間のことはよくわからないんです。ただ、若くても書けるジャンルがあって、例えば、短歌はそう。若い時の処女作に傑作が生まれやすいです。純文学の小説もわりとそうでしょう。それに対して、漫画やエンターテイメント小説はそうではないですよね。10代の人がいきなり企業小説とかは書けない。そういう違いもあると思います。
短歌については、僕が選者となってダ・ヴィンチと日経新聞で募集しているので送ってほしいですね。すごくいい短歌がたくさんきていますよ。本人はその価値が半信半疑だったりするんですけど、若い人の作品には目も覚めるようなものが必ずありますね。
─色々応募してみるのもいいですよね。
そうですね。ただ、あまり繊細過ぎて、落ちた時にいちいちすごくダメージを受けていると活動が止まってしまうみたいです。そのまま10年くらいすぐに経ってしまうので、それが怖いんですよね。すごく才能のある高校生が止まってしまって、大学に入って恋人ができたらそっちの方が楽しいし、会社に入ったら忙しくなって、それで次に会ったら10年経っていたみたいな。恋人ができなくて就職もできなければいいんだけど、そういうわけにはいかないでしょうから(笑)。
僕も打たれ強いとは言えないけど、なんとか止まらないことが大事だと思います。
─ありがとうございました。
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