いしいしんじ
1966年生まれ。京都大学文学部仏文学科卒。 94年『アムステルダムの犬』でデビュー。2003年『麦ふみクーツェ』で坪田譲治文学賞、12年『ある一日』で織田作之助賞受賞。他の著書に『ポーの話』『みずうみ』『四とそれ以上の国』『その場小説』『京都ごはん日記』(1・2)などがある。
『悪声』いしいしんじ(文藝春秋 2015年6月20日)
「ええ声」を持つ「なにか」はいかにして「悪声」となったのか――ほとばしるイメージ、疾走する物語。著者入魂の書き下ろし長編。
─新刊『悪声』拝読させていただきました。まずはこの物語が生まれたきっかけをお伺いできますでしょうか。
京都に、僕が高校生の頃から通っている「おおきに屋」という料理屋さんがあります。ある時、そこで料理人をしているもっちゃんに、“呂律が回らない”の “呂律” という言葉の元々の意味を教えてもらったんです。「京都の大原を流れる呂川と律川の中間にあるお寺で、みんなが声明(しょうみょう)を練習する。そこで、呂川と律川のせせらぎの音がうまくちゃんと聴こえるのはいい声明で、二本の川の音がごっちゃになってしまうようなものはあかん。呂律というのは、そういう声明の響きのことなんやで。」ということでした。興味がわいたので、その後、大原に行き呂川と律川を回ってきました。そしたら、帰ってきた後、なにか変なものが付いてきたような気がしたんです。大原の土地から付いてきたそれが何なのかわかりませんでしたが、“この感じ”を次は書くんだろうなと思いました。
─“呂律”という言葉がそもそものきっかけだったんですね。
もう一つは、文藝春秋に森さんという、僕が小説を書くよりずっと前から知り合いの編集者がいたことです。まず前作『ある一日』の話からすると、『ある一日』は、文芸誌「新潮」編集長の矢野さん用に書いた小説でした。矢野さんは、僕が三崎に住んでいたとき家に来たことがきっかけで、すごく三崎を気に入り、三崎に週末だけの家を借りて、そこでゲラをずっと読んでいるという人でした。だから、僕は三崎でしょっちゅう矢野さんと小説の話をしていたんですけど、ある時、「そういえば、矢野さんにまだ小説を渡していないのって変ですよね。」という話になり、「今の仕事が落ち着いたら、矢野さん用の小説を絶対書きますから。」と約束して『ある一日』を書いたんです。そしたらその後、文藝春秋の森さんに、「いやいや、僕は?」みたいに言われて(笑)。それはそうですよね、と、森さんに渡す小説として考えたのが『悪声』です。森さんには最初から「いしいさん、失敗した方がいいよ。失敗していいから。どんどん失敗してください。」と言われましたね。『悪声』が失敗したかどうかはわからないですけど、ストーリーとして、ある形にしようという感覚は無かったです。毎回僕が小説を書くときは、あらすじや分量を決めないのですが、今回はよりいっそう、「数行後がどうなるのかわからなくてもいいや、考えなくていいや。」という風に書き進めていきました。森さんが最初に読むんだからどうなっても大丈夫だろうという感じはありましたね。
─担当する編集者さんによって変わってくるのですね。
いつも、読者がどう思うかということはもちろん考えないですけど、原稿を最初に読むのは編集者なので、その人の目線や読み方というのは間違いなく作品に影響しているはずです。だから、『プラネタリウムのふたご』は、講談社の国兼さんが担当していたからそういう話になったし、『ポーの話』は新潮社の須貝さんがいたからそういう風になった。『ある一日』というのは矢野さんが受け手だったから、と。あの人に合わせて書こうという考えは論外ですけど、あの人のところに最終的に落ち着くという感じです。絶対そうなんですよ。それで今回は森さんの話という風になっています。
─書いている最中に、頭のどこかに編集者さんがいるのですか。
頭の中ではなく外にいます。自分というのはあくまで“中”なわけです。でも、小説を書いたり、音楽を奏でたり、絵を描いたりするということは、自分を“外”にはみ出させるということなんですよね。ただ、その“外”のリアリティというものは自分では掴めません。あくまで想像でしかない。でも、“外”というものが受けてくれるという根拠のない確信を持っていないと小説を力強く書くことはできないと思うんです。小説というのは読まれるために、音楽というのは聴かれるために、絵というのは見られるためにあります。他者に合わせるのではなくて、他者がいるからできる。他者がいてくれるからこそ自分の“中”から“外”に放つことができるんです。そこに根拠はないけれど、それを深く信じられるから書くし、奏でるし、踊るんです。その“外”、不特定多数の読者の最先端に編集者がいます。書いているときには全然意識していませんが、終わってみるとそうなっているなと思うんですね。
─第三章「方舟協会ライブ」の演奏、観客のエピソード、地球の歴史が描かれている場面は圧巻で、頭の中がグルングルンしました。この章の書き方は、他の章と違いがありましたか。
それは無いですね。あそこはライブ演奏の場面だから、ライブ演奏をしているように書いているし、ドライブしているところはドライブしているように書いています。書き方は同じです。あの場面について言うと、僕は子供の頃から、例えば絵を見ているときというのは、単純に「こんな絵だな。」と見ているのではなく、体の中で色々なことが起きているんだと思っています。クラシックのコンサートを聴いているときも同じで、「ああ、綺麗な音だな。」という風には聴いていないですよ。きっと様々なことが呼び起こされたり沈んだりしているんだと思います。そういう実感をそのまま書いているんです。
─ライブの観客それぞれが過去を思い出す場面は素敵でした。
風景としては思い出していなかったとしても、意識のうえではどこかでそれが響いていて、それが今聴こえている音と共鳴する。そういうことが音楽の喜びや感動になるのではないでしょうか。音楽を聴く、絵を見る、小説を書く、ということはすべて、一方的に送られてくるものではなくて合奏だと思うんです。今回の作品でいうと、“悪声”というものも、それが具体的にどんな声なのかは書いていなくて、読んでくれた人それぞれで印象は違うわけですよね。小説は、みんなが共有できる地図のようなものですが、使うときは一人一人がそれぞれ自分の旅をするというものだと思います。
─『悪声』では、声というモチーフがありましたが、『ぶらんこ乗り』(新潮文庫)でも、“弟”が声を失いました。その二つに何か関係性はありますか。
二つを関係付けようという意識はありませんが、僕にとってすごく親しみやすいモチーフというのがいくつかあります。「声」もそうでしょうし、「犬」もそうですね。「音楽」というのもある。自分ではあまり意識していないので、指摘されるとああそうだったと気づくことがありますね。
─そういうものなのですね。
僕は二、三年前から、色々な作家の処女作から絶筆までを順々に読んでいくという読書をしています。最初、ドストエフスキーでやってみたら結構面白かったので続けているんです。これには様々な効能があります。ドストエフスキーであれば、作品ごとに視線がどんどん上がってくる、ということがわかるんです。最初は地面の下あたりから色々なものを見ているんですよ。それが、『罪と罰』のあたりで何かフッと人間から抜けるんです。それで『カラマーゾフの兄弟』の最終3ページくらいというのは、すごいんですよ。時間も越えて飛び回っている。順々に読んでいくことで、そういうことにリアリティを持って読めるわけです。
─それは面白いですね。
辻原登さんの作品もデビュー作から最新作まで読みました。そしたら、しょっちゅう出てくるモチーフがあることに気づいたんです。「淡路島」とか「金魚」とか「ラピスラズーリ」とか。「ラピスラズーリ」が出てきたら、甘酸っぱいことが出てくるんですよね(笑)。それを本人に言ってみたら、辻原さんはきょとんとしていました。覚えていないと。面白いですよね。それは僕も同じで、意識は無いんです。そういう、自分にとって親しみやすいイメージ、何かを表すときにフッと出てくるモチーフは、小説を長く書いていると必ずあると思います。
─『悪声』には、『花咲か爺さん』、『一寸法師』、『人魚姫』など、昔話のエッセンスが散りばめられていたように感じました。
なるほど。それは面白いですね。全然考えていなかったですけど、そういうことはあるかもしれません。昔話や民話は、読むものではなくて口から口へ伝わっていくものですから、『悪声』が声にまつわる小説ということでいうならば、自分が子供の頃に祖母や母から聞かされた昔話のように書いているということはあるかもしれないです。自分では全然思いもよらなかったですけど。
─昔話と言えば、いしいさんの作品には『赤ずきん』があります。「あたい赤ずきん。スカ生まれのスカ育ち。」で始まるとてもユニークな絵本です。
あれは、そういう絵本を書いてくださいと依頼されたものです。昔話や有名な絵本を現代の作家がリニューアルするというシリーズだったんですよね。僕のところには『赤ずきん』で、という依頼だったので、自分で選んだわけではないですね。
─どんな風に書いていったんですか。
昔話を書き換えるということ以前に、僕はそれまで絵本を作ったことがありませんでした。というのは、僕は、絵本自体は子供の頃からすごくいっぱい読んでいたし、いいものがたくさんあるのはわかっていたけれど、自分の小説に挿絵が付くということにはすごく抵抗があったんです。だから、自分が絵本を書くとなったら、どうしたらいいのかわからなかったんですよね。ちょうどそんなとき、『きょうの猫村さん』を出したばかりのほしよりこさんと知り合いになって、彼女とだったら何かできるかなと思ったんです。それで、ほしさんに、「ストーリーを読んで、それに絵をつけるのは得意ですか。」と尋ねたら、全然できないと言われたので、「僕も誰かが書いた絵に合わせて話を書くというのはできないから、できない同士だったら何かできるかもね。」という話になって、やってみることになりました。
─できない同士だからこそやってみるというのは面白いですね。
大勢で温泉旅館に行って、そこで書きました。僕が「あたい赤ずきん」と書いた紙を、障子の向こう側にいるほしさんに渡して、それを見たほしさんがサーッと絵を描いて戻してくる、という風に交互にやりとりして。午前10時頃から書き始めて、お昼にそばを食べに行って、夕方4時には終わりましたね。途中、会話は一切なしです。僕は、ほしさんが絵を戻してくるまでは寝転がって本を読んでいて、スーって出てきたら、ああ、きたきたみたいな感じで。また書いて、出して、という繰り返しでした。
─「その場小説」(その日の、その町の、その場の空気や雰囲気を取り込みながら作り上げる一篇の小説)のような書き方なんですかね。いしいさんの「その場小説」を、昨年3月に三越劇場で開催された「文芸フェス」で拝見して驚きました。
「その場小説」は、実は結構ゆっくり考える時間があるんですよ。字を書くのに時間がかかりますから。喋りだけだったらもっと短く切れてしまうと思います。字を書いているからできる。わざと字を間違えたりして、時間稼ぎもできますし。(笑)。
─長編小説では、書き出しの1行目に何ヶ月もかけることがあると伺いましたが、「その場小説」ではスッと出てくるのですか。
僕が長編小説を書いているときにすごくしんどいのは、終わるかどうかわからないということなんですね。どうやって終わるか、終わりがあるんだろうか、と。でも、「その場小説」は必ず30〜40分で終わるわけです。「終わり。」と言えば終わるのですごく気楽なんですよ。だから、どんな風にも書き出せます。長編はそういうわけにはいかないです。ある終わりのためにある始まりがある。その終わりに辿り着くために、始まりの一行目の発射角度、そして爆発力が決まってくるわけです。正しい角度や爆発量というのは無いですけど、ある角度、ある勢いで打ち出したものは、あるところに必ず落ちる。それを自分のなかで定められないと書き進めることはできないんです。
─なるほど。
一方、「その場小説」はすごく短いから、一行目をどう書いてもそこに落ち着くという感じです。終わりが見えていますから、テーブルの上みたいなものですね。長編の場合は、外国や別の星みたいなものまで頭に入れて進めるものなので、見えないんです。見えないから始めるんですけど、その全部の土台となる一行目は、揺るがない強さがないと駄目なんですよ。
ジョン・アーヴィングはまったく逆の面白い書き方をしていて、後ろから書いていくんですね。最後のワンフレーズを思いついたところから、じゃあその前の話、その前のブロックという風にさかのぼって書いて、一行目の書き出しまでいったら、それを逆から写していくんです。僕とは正反対なんですけど、実は同じやり方なんだろうと思います。
─最後に、小説家を志している方にメッセージいただけますでしょうか。
毎日書くということが大事です。毎日机に向かって一時間でも二時間でも書く。小説を書いている人のほとんどは書くことが好きで、書かないではいられない人なんです。そうでなければずっと小説なんて書いていないですよ。切実に毎日毎日書くことが必要な人でないと、書くのがしんどくなるんです。「私、こんな作家になりたいの。だからこんな作家みたいに書いてみよう。」ということでは読み手は付き合ってくれないですよ。その人の中から絞りだしたものでないと響かない。誰に頼まれたわけでもなく、読んでもらえるかどうかもわからないものを書きながらも、自分がとても大事なことをしているという実感、ある種の思い込みを内側から強く持てるかどうか。
仮に僕が『悪声』や『ブランコ乗り』を書かなかったとしても世の中は変わらないし、平気で見事に運営されていきます。でも、その世界には僕はいないんですよ。僕は、自分の書いた本がたくさん図書館や本屋さんに並んでいる世界が好きなんです。そういう世界の方がいやすいんです。そういう切実さがあるかどうかということですね。
─ありがとうございました。
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