本谷有希子
1979年生まれ。2000年に「劇団、本谷有希子」を旗揚げし、主宰として作・演出を手がける。2006年上演の戯曲『遭難、』で第10回鶴屋南北戯曲賞を史上最年少で受賞。2008年上演の戯曲『幸せ最高ありがとうマジで!』で第53回岸田國士戯曲賞受賞。2011年に小説『ぬるい毒』で第33回野間文芸新人賞、2013年に『嵐のピクニック』で第7回大江健三郎賞、2014年に『自分を好きになる方法』で第27回三島由紀夫賞、2016年に「異類婚姻譚」で第154回芥川龍之介賞を受賞。著書に『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』『ぜつぼう』『あの子の考えることは変』『生きてるだけで、愛』『グ、ア、ム』などがある。
『静かに、ねぇ、静かに』本谷有希子(講談社 2018年08月23日)
芥川賞受賞から2年、本谷有希子が描くSNS狂騒曲!
海外旅行でインスタにアップする写真で”本当”を実感する僕たち、ネットショッピング依存症から抜け出せず夫に携帯を取り上げられた妻、自分たちだけの”印”を世間に見せるために動画撮影をする夫婦――。
SNSに頼り、翻弄され、救われる私たちの空騒ぎ。
─新刊『静かに、ねぇ、静かに』とても楽しく拝読させていただきました。収録三作品のうち、はじめに「本当の旅」についてお伺いできればと思います。この作品は、どのような着想から生まれたのでしょうか?
芥川賞受賞後に、すぐに新作を発表しようと考えていたんですけど、一年半程うまく書けず……その後、なんとか仕上げた小説も結局ボツにしたので、気分転換に友人とマレーシア旅行に出かけたんです。そこで、生じた引っかかりが、この作品を書くきっかけとなりました。旅行中、私は実際に目の前にある景色を眺めるよりも、写真を撮ることに夢中になり、しかも、それをアルバムで整理する時間の方が面白いと感じていたんです。
─旅自体よりも。
ええ。その旅は、本当につまらなくて(笑)、全員が退屈に感じているはずなのに、カメラを向けた瞬間、みんな笑顔になるから、写真だけ見ると、すごく楽しそうで。「実感ではないものがここには写るんだ」と思ったら、その状況が興味深く、途中からずっとシャッターを押していました。
─その体験がきっかけに。
しかも、帰りの飛行機の中で「笑顔の写真」を見ていたら、その旅が楽しかったような気持ちになってきたんです。それで、きっと、一年後くらいにまた見返したら、完全に記憶が変わってしまうんだろうなって……。写っているものが、まったくの嘘ではなくて、むしろ現実を乗っ取っていく気持ち悪さについての小説が書けるかもしれない、と思いました。
─作品内で登場人物たちは、“楽しそう”“美味しそう”に写すことが、実際に美味しいとか楽しいとか感じることよりも大事だといった意味のことを言っていましたよね。SNSの写真や文章によって「現実」を“加工”し、それによって、「現実」を規定しようとするという。
実は、私自身は、その記憶を絶対に塗り替えたくなかったので、帰国直後に、新聞の連載コラムで、その旅がいかにつまらなかったのかについてエッセイを書いたんです。そうしたら、一緒に行った友人たちが記事を見つけて電話をかけてきたんですけど(笑)。でもスマホに楽しかった、充実していたと思わされるより、自分が「つまらなかった」と感じることのほうが私にとってはよっぽど価値がある。たとえネガティブな思い出でも、その方がずっといいというようなことをエッセイでは、書いたと思います。
─エッセイでは。
はい。私の場合、小説で書く時には、そういうメッセージ性をなるべく手放すんです。読者自身にいま何が起きているのか感じ取ってもらって、自分で考えてもらうことが重要で、「小説に答えは書かれていない」と思っているからです。だから登場人物たちのように、自分自身の実感よりも外からどう見えているかを大事にする人たちが、表層的にポジティブに生き、現実から目を背け続けたらどうなるか。その状況をある意味、容赦なく突き放して書き進めました。
─「僕」とづっちん、ヤマコの三人は、画面の中の「現実」を信じ続けていきますが、「僕」がふと我に返りそうな場面が二回ありましたね。頭のなかにズゴッという音が響くという。
「僕」は頭の中で、そういう音を聴くんですけど、それに対して、なにか深く考えを巡らせるわけではないんです。結局、しばらくして、聴こえなくなったからもうオッケーかな、とあっさり切り替えてしまう。私は音が聴こえること自体よりも、そういう軽さ、スルーの仕方を書きたかったんです。そこがこの時代の小説として書かれるべきじゃないかな、と思いました。
─「軽さ」ということで言えば、三人の「繋がり」も軽かったですね。これまで本谷さんが書いてきた「繋がり」とはかなり違っているように感じました。
たしかに、「他人と繋がること」は、自分のなかにテーマとして存在しているみたいです。初期の作品では、繋がりたいという切実な欲望を持っているけど、結局は自己愛の強い、誰のことも実は見ていない人物をよく書きました。『自分を好きになる方法』のリンデは、繋がることに執念と言えるほど憧れるものの、相手を選り好みした結果、誰とも繋がれなかった。『異類婚姻譚』では、繋がってみたものの、想像していたものとずいぶん違った、という世界を書きました。今回の「本当の旅」の三人は、表層的には一体感を持っていて、言葉をたくさん交わしてもいる。だけど、実は、踏み込んだ話は誰もしていなくて、脅迫的なほどの強い同調圧力がある。繋がるということの表面、裏面を書いたつもりです。
─<結婚よりも確かな繋がり、を、絶えずゆるやかに感じられているおかげで、僕らのコミュニティでは誰も、結婚、出産を初めとする社会の制度を善として語らない>なんていう「僕」の言葉もありましたね。
別のシーンでは、<影響を与えられ、与え返す。その掛け替えのない素晴らしさ>というような言葉もありました。だから、「僕らは僕らでいいんだ」という意識をより高め、「繋がって」いける。彼らは、タチの悪いことに、明らかに間違ったことを言っているわけじゃありません。例えば「ありのままの自分がいい」という言葉に私はどこか嘘臭さや気持ち悪さを感じるのですが、一体何が気持ち悪いのかを、うまく言語化することは難しい。そういう隠れ蓑に巧妙に逃げたり守られたりしながら、それを否定する他者を削除した自分たちだけの世界のなかに生きる。自分を含めた、いまの世の中の大多数の繋がり方を書いたら、自然とこういう関係性になっていきました。
─たしかにそういう「繋がり」は多いような気がします。
それもあって今回、私は最後まで、本人たちが、何かに気づいたり自覚したり、変化、成長する、という書き方はしなかったんです。昔だったら、語り手である「僕」が、づっちんが言っていることに対して、ついに「おかしいだろ」と感情を爆発させ、暴走する……という形にしていたと思うんです。だけど、今回は、三人の会話に対する読者からの反応を想像して、あえて成長譚にはしなかった。小説内だけで完結せずに、読者がなにかを感じることでそのシーンが成立するように書きました。
─読者として、まさに色々と突っ込みながら読んでいました(笑)。
もしかしたら、そのやり方は、演劇の演出法に似ているのかもしれません。演劇は、戯曲上だけでは完成しなくて、役者が演じてはじめてお客さんに届きます。小説はわりと、お客さんとサシで向かい合って直接テニスをしている感覚ですけど、演劇は、お客さんと並んで壁打ちをしているような、間接的な感覚に近い。私は、壁に当たったボールが落ちる位置を想像しながら書いている。今回はそういうやり方に近かったような気がします。
─三人が突き進んだ先にあるラストの場面では、滑稽さと同時に不気味さも感じました。これしかない、という計算されたような終わり方でしたが、そこは、書きはじめる段階から決めていましたか?
書きながらですね。当初、筋はまったく決まっていませんでした。だから、途中までは、三人がただ旅をする話になっているなと思っていたくらいで(笑)。だけど、タクシーに乗り込んだあたりから、小説がようやく歪み始めたんです。そうなったら、あとはもう任せるだけで、行き着くところに行き着いた、という感じです。
─すごい勢いでしたもんね。そして、次の「奥さん、犬は大丈夫だよね?」は、ネットショッピングの依存症になった妻が、夫と夫の同僚の夫婦とキャンピングカーで旅行する話です。この物語はどのように生まれたのでしょうか?
これも実体験から着想を得ました。私はよくアマゾンを利用するんですけど、注文した翌日に届いたダンボールを玄関で受け取った時に、自分が何を買ったのか思い出せないことが何回か続いたんです。開封すれば思い出すので、すぐに流してしまえる微かな引っかかりではあったんですけど、やっぱりこれも、なにか不自然なことが起こっているなと薄っすら感じていて。その感覚を小説にしようと、いったんはストレートに、ネットショッピング依存症の奥さんの話を書いてみたこともありました。だけどその小説は、特に展開もせず、書くこともなくなり……結局、最後までたどり着きませんでした。
─そうだったんですね。
そもそも私は、一作出すたびに毎回、小説の書き方を忘れるんです。本気で、どうやって書いたらいいのかがわからなくなってしまう(笑)。だから、いつも試行錯誤からはじまるんですけど、そのときは、どうやら、ネットショッピング依存症という問題を抱えた奥さんを起点にしているからうまくいかないみたいだと気づきました。それで、「人間」から書いて展開させようとするのではなくて、はじまりがあって終わりがある「行為」を主役にしようと思い立って。キャンピングカー旅行を主役にしようと決めたんです。そうしたら、私がそれまで散々苦労して、不自然に動かしていた展開が、キャンピングカー旅行とともに、勝手に進むようになった。その経過とともに、人間たちがリアクションして、それに対して、さらにリアクションして……。そういう新しいやり方で書いていった結果完成したのが、「奥さん、犬は大丈夫だよね?」という作品です。
─この作品で、夫の同僚が、<この話のなかに、うちの嫁ってものがまるまるすっぽり入ってる>と感じているという奥さんのエピソードを紹介しますが、その後、奥さん自身がそこからはみ出すような言葉を発しますよね。犬を我が子のように可愛がっていた彼女が、<(犬が)「人間の言葉がわかるんだって!」と吹き出す>場面です。
たしかに。そこに関連づけて書いたわけではなかったですけど、はみ出していますね(笑)。私が考えたというよりは、ただ自然な流れで出てきたというか。やっぱりその言葉があることで、奥さん像がすごくリアルになるし、奥行きも出てくるから、あるのとないのとでは全然違いますよね。もし、これが演劇だったら、この一言があるだけで、犬を可愛がる奥さん役の役者は、演じ方の幅が100倍くらい広がるかもしれません。私は、登場人物には、自分の頭のなかからはみ出して欲しいと思っているので、そういう言葉が自然に出てくると、その人物の重み、重量みたいなものを感じます。
─三作目の「でぶのハッピーバースデー」では、パーティで、参加者が持ち寄ったプレゼントを回す場面がありましたが、主人公はそれを、<悪夢を見ているような時間>だと感じます。テンションは全然違いますが、プレゼントを回す場面は、『自分を好きになる方法』にもありましたよね。
私の家族がやたらにプレゼントを回したがるからかもしれません(笑)。好きなのかなんなのかわからないですけど、うちではけっこう回るんです(笑)。
それで、私もその場では普通に回せるんです。<悪夢を見ている>なんて感覚は無くて、むしろ、すごく楽しいし、誰よりもはしゃげます。だけど、後から小説で書くとなったときに、よくよく考えてみると、「もしかしたら、私はこんな風に感じていたのかも」って気づく(笑)。私の場合は、立ち止まって客観的に掘り下げるという作業を丁寧にしないと、自分が本当に感じていたことにたどりつけないことも多い。もちろん、その場で楽しいと感じた主観も、自分自身の嘘偽りない感覚なんですけどね(笑)。
─では、この三作品をまとめるタイトル『静かに、ねぇ、静かに』は、どこからきたものなのでしょうか?
もともとはやっぱり、SNS、それを使っている人間に対して私の声が滲んでしまったものだと思っていたんですけど、佐藤亜沙美さんに作っていただいた、文字が反転している装幀を見ているうちに、SNSというコミュニケーションツールに絡め取られて抜け出せない登場人物たちが、本の内側から発している声のようにも感じられてきました。だからいまは、両方、もっと複数の意味を持ってほしいなと思っています。
─話題が変わりますが、私たちブックショートは、「おとぎ話や昔話、民話、小説などをもとに創作したショートストーリーを公募する企画です。特定の先行作品をもとに新しい作品を書くことについて、お考えがあれば教えてください。
実は、『静かに、ねぇ、静かに』は、レイモンド・カーヴァーの小説を自分なりに、現代の日本に置き換えて移植した作品でもあったんです。一年半ほど小説がうまく書けなかった時期に、色々な作品を読んでいるなかで、なぜだか、レイモンド・カーヴァーの作品群が私に刺さって……それで、自分もこの感じ、この空気感で書いてみようと思ったんです。たとえば、レイモンド・カーヴァーの作品には、60年代から70年代のアメリカで「持たざる者」と言われた物質的に貧しい人々の姿が描かれていますけど、私の作品には、どこか精神的に「持たざる者」と呼べるような現代の人間が登場します。それぞれが抱えているものは、実はどこかで共通する要素があるのかもしれないと。
─たしかにそうですね。
わざわざ昔に書かれた先行作品をベースにするのであれば、現代の空気を持ち込まなければあまり意味はないのかなと個人的には思います。今を生きている自分の感覚を入れないと、勿体ない。その作品からなにを抽出して、なにを加えるかという判断は、かなり重要です。シチュエーションだけもらうといった形だと、ただのパロディになってしまうし、その作品に書かれている本質的なもの、普遍的なものを抜き出し、「どうしてそれをあえて今この時代に書き直すのか」を、自分なりに考えていくことが大事なのかもしれません。
─それでは、最後に、小説家を志している方にメッセージいただけますでしょうか。
そうですね……じゃあ、「下手な小説を一作書くくらいなら、いい小説を一作読んだ方がよっぽどいい」(笑)。自分自身の実感を込めた言葉です。私は、芥川賞受賞後に書いて、ボツになった作品を読んだ担当編集者さんから、「いまはもう書かなくていいので、しばらく読んでください」と言われたことがあって。ずっと書き続けていると、作品との距離が近すぎて、客観性を持てなくなるから、もう自分ではわからなくなってきてしまうんですよね。それで実際、私は、カーヴァーを読んだ結果、ひらめきがあった。
そして、同時に、シンプルですが、書きはじめたら、とにかく最後まで書き切る、ということもやっぱり大切です。私自身、途中でやめる癖があるので、なんでもいいから、ラスト一行まで止まらないようになりたいと常に思っています(笑)。
─ありがとうございました。
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