池澤夏樹
一九四五年生まれ。作家・詩人。
八八年『スティル・ライフ』で芥川賞、九三年『マシアス・ギリの失脚』で谷崎潤一郎賞、
二〇一〇年「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」で毎日出版文化賞、二〇一〇年度 朝日賞、ほか多数受賞。
他に『カデナ』『アトミック・ボックス』など。
『古事記』池澤夏樹 訳(河出書房新社 2014年11月14日発売)
日本最古の文学作品を作家・池澤夏樹が新訳する。原文の力のある文体を生かしたストレートで斬新な訳が特徴。読みやすさを追求し、工夫を凝らした組みと詳細な脚注を付け、画期的な池澤古事記の誕生!
─古事記と聞いて、学生時代たしか授業で習ったな、というイメージしかなかったのですが、新訳を拝読させていただきとても面白かったです。先日、早稲田大学で開催されたシンポジウムで池澤さんは、『日本文学全集』を読むことで、読書の喜びを感じ、教養を培って欲しいとおっしゃっていましたね。
昔は、読んでおくと役に立つ本がたくさんありました。先輩たちが勧めてくれたり選んでくれたり、あるいは、そういう本は読むべきだという思いが自然にあって各々で読んだわけです。例えば、『カラマーゾフの兄弟』ってすごいんだよ、と誰かが言えば、歯が立たないかもしれないけどいずれ読もうと思ったり、途中で挫折したけど二十年経って読み直したら今度は読めた、というように。そうやって蓄積していって自分を賢い人間にしよう、そのために読むべき本が世の中にあるんだ、ということが一般了解事項でした。だからかつて文学全集は売れたんです。それが八十年代までです。
その後、書物は消費財になりました。出版社は、読んだら忘れて次の本へ行きましょう、という戦略に変えたし、読み手も、面倒臭いのはいいよ、とりあえず面白いものを、という考え方にシフトした。それで文学全集は、一旦は途絶えたわけです。
でも僕らは、今でも全集を読む人がいるんじゃないか、と2007年から2011年にかけて『世界文学全集』の出版を試みました。これが成功したこともあり、次は『日本文学全集』もやってみないかという話になりました。
先ほど教養という言い方はしましたけど、僕としては『日本文学全集』は、結構面白い、いけるよ、という作品を選んだのであって、お勉強をするためのものではありません。『古事記』は、これならば読める、という形に訳したつもりです。
この経緯に関してはさまざまなところでもお話ししたので、詳しくは語りませんが、僕にとって3.11があったことが大きいですね。日本とはどういう国か、日本人とは何者であるか、などあらためて思い、それを考えるための「日本文学全集」をやろうということになったわけです。
─スピード感があって、とても読みやすく楽しい作品だと感じました。
『古事記』ができた当時は、一人が大人数に向かって語るという口承文芸だったから、みんなが夢中になって聴いたと思います。だから、面白くないはずはない。ただ、今とは言葉も社会の仕組みも違いますから近づき難かった。『古事記』では、僕はできる限り余分な難しい邪魔なものを取り払ったつもりです。
─池澤さんは読者代表として訳をした、と語っておられました。現代語に訳すことを “ジーパンとセーター”に例えていらっしゃいましたが、翻訳する際に意識されたのはどんなことでしょうか。色々とご苦労があったのではないですか。
翻訳していると、古事記の原作者である太安万侶さんの苦労の跡がいかにも伝わってきて親近感を持ちましたが、僕はそんなには苦労してないんですよ。古事記は元々が単純な構文だし、表現もはっきりしています。古典の作品としては短いし、持って回った言い方もありません。だから読み下しの部分を読んで意味を理解し、あとは僕の持っている文体でそのまま現代語にする、余計なことは付け加えないということでやりました。だから、『古事記』に登場する神々や人物は、僕の小説の主人公たちと同じような喋り方をしているかもしれないですね。
─あとがきに、古事記は混乱からある程度の秩序をもたらすために書かれたもの、とありますが、古事記の新訳が今の世の中にもたらすのはどのようなことだとお考えでしょう。
まず、国の中が統一されて安定した政治があるというのは良いことです。人は楽しく暮らすことができる。だから、争いのない社会を作ろうとしますよね。それで、天皇を中心とする政治システムができました。それを記した古事記は、全体として平和と安定を喜んでいて、ちょっと得意気にさえなっています。
でも現在では、国の在り方が随分変わってしまって、必ずしも人々の安定した暮らしをサポートするものではなくなっている。そうではない面が多すぎます。そこで僕は、国というものの基本形は本来、古事記に書かれているようなものだったんじゃないか、と思うわけです。国全体が疲弊しているとき、仁徳天皇が一時期税をとらなかったという逸話はその一端です。ただ、あれはいかにも彼の政治を褒めるためのお話ではありますが。
今、国というものの在り方が非常に問題になっていて、僕も含めて色々と不満のある人がたくさんいます。その時に、国というのは本来、随分単純なものだったんだな、とわかるのも面白いですよね。古事記を読むことによって、争いが無い状態でみんなが笑顔で暮らせることが理想であることを改めて確認できるようなところはありますね。
─『古事記』の中には物語の原型とも言えるようなエピソードがいくつも散りばめられています。物語が生まれ、継承されていく、派生していくことの意味についてお考えをお聞かせください。
一番簡単な話をすると、人は他人の運命に関心があるんです。もちろん自分の運命にも必死だけど、人間は、他の人がどうなったか、何をしているか、なぜそうなったか、という他者への関心が非常に強い。それが物語の始まりでしょう。ゴシップと言ってもいい。ゴシップというのは本来、お互いに知っている人同士に存在するものです。共通の知人である誰それについて語るのがゴシップ。それが今では社会が大きくなってしまったから、タレントの噂をすることがゴシップになった。つまり仮想的な共通の友人がタレントでありスターであるわけですよね。だけど本来は村の中で、あそこの庄屋の娘がね、という話だったわけです。その基本にあるのは、やっぱり我々は他人の運命に関心があるということ。つまり、物を語るということの一番基本にあるのは、告白や自伝でない限り、誰かについての噂なんです。それが全部の始まりで、その中の面白い話が語り継がれ、変わっていき、やがて物語の定型になっていくということです。
─『日本文学全集』には、最前線で活躍されている現代の作家が多数参加されています。先日のシンポジウムでご自身を“遊牧民の羊飼い”に例え、みんなが行く方についていこうと思っている、とおっしゃっていましたが、一方で、他の作家の方々はお互いをかなり気にしていたような印象でした。今回執筆される作家の方々と池澤さんとのホットラインのようなものはあるのでしょうか。
ホットラインというほどのものはありません。仮に何か疑問などがあれば答えますし、訳は読みますけど、指導するつもりは全くありません。それぞれの作品と作家の組み合わせが何かを生むのだから、みんな、頑張って下さい、苦心してください、というだけですね。
─私たちブックショートでは、昔話や民話などをモチーフにした(二次創作、パスティーシュ)短編小説を公募します。大変恐縮ながら、翻訳と翻案の違いはありながらも、『日本文学全集』のコンセプトと共通するところもあるかと思っています。ブックショートについて、池澤さんのご意見をお聞かせ願えますでしょうか。
そのテーマならば構えなくても始められますし、いい切り口ですね。そうでないと小説は、みんな自分の身辺雑記になってしまうので、そういう企みがある方が面白いでしょう。
物語には常に先行作品があります。それは、日本の自然主義私小説にはできなかったことです。彼らはそういうことをインチキだと思っていました。つまり、自然主義私小説では、自分に対する誠実さや、自分の心を正直に書くことだけが大事だと考えて、作品を成立させるためにフレームを持ってくることや古典を下敷きにすることは邪道だと思っていたんですね。みんなずっとそうやってつまらない作品ばかり書いていました。それはつまり、日記の延長線上の文学観ですね。
けれども、本来の文学の姿とはそうではなく、もっと企んで作るものです。僕はここ二十年で日本人の文学がようやく本来の姿に戻ってきたと感じています。芥川賞の選考委員を長く務め、やっと誠実さというのとは別の原理でみんなが小説を書くようになったな、と思いました。小説を面白くするためには工夫が要る。だから何かを下敷きにしてやることはもちろんあります。僕が最初に書いた長編小説『夏の朝の成層圏』も、元は『ロビンソン・クルーソー』ですからね。それが本来の書き方なんじゃないかなと思います。
源氏物語からはたくさんの亜流が生まれました。そうやって、スタイルは伝染する、あるいは受け継がれるんです。だから、小説を書こうとする人にとって、いい作品を読むことは大切ですね。読み捨てのつもりで書かれたのではない小説を読んで、お手本として手掛かりを掴む。お手本はなるべくいろいろな種類があった方が自分に合うものが見つかるのでいい。まずはたくさん読むことです。それで、ダイレクトに一つの作品をもとに書いたらパスティーシュですし、たくさんの作品を取り込んで消化し、新たに書けばそれはオリジナル小説ですよ。
─最後に、池澤さんが小説家を志している方にアドバイスをするとしたら、どんなことがありますでしょうか。
そもそも、小説を書くというのは難しい行為なんです。小説というのは嘘、フィクションですから。みんな嘘を吐いちゃいけませんと言われて育ってきたので、最初はどうしても抵抗があるんです。例えば、「彼はそこで立ち上がって三歩歩いて彼女を抱きしめた。」と書くのは簡単ですよ。だけど、彼もいなければ彼女もいない。でも、そう書いた途端にそれが紙の上で現実になってしまう。それがいいんだろうか、という気がして、つまり、自分に創造主の力が備わってしまうことに対して戸惑いがあって、最初はなかなか書けない。僕はそうでしたね。だって登場人物には何でもさせられるんだもの。人を殺してもいいし、何してもいい。その中では完全な自由。だけど、自由というのは重たいもの。だから難しいんです。でもそれを、えいやっと乗り越え、とにかく書いてしまう。そしたらひょっとしたら彼が動き出すかもしれない。最初はちょっと勇気と覚悟が要ります。でもきっと段々慣れてきます。
読んだ人がどう思うんだろうと考える以前に、自分対作品の関係があるわけです。はじめは他人がどう思うかなんて気にする必要ありません。自分とこの作品はどういう関係なのか、それが最初です。
─ありがとうございました。
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