松浦寿輝(マツウラ・ヒサキ)
作家・詩人・仏文学者・批評家。東京大学名誉教授。1954年東京都生れ。東京大学大学院仏語仏文学専攻修士課程修了。パリ第III大学にて博士号(文学)を、東京大学にて博士号(学術)を取得。詩集に『冬の本』(高見順賞)『吃水都市』(萩原朔太郎賞)『afterward』(鮎川信夫賞)、小説に『花腐し』(芥川龍之介賞)『半島』(読売文学賞)『そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所』『川の光』、エセー・評論に『折口信夫論』(三島由紀夫賞)『エッフェル塔試論』(吉田秀和賞)『知の庭園 一九世紀パリの空間装置』(芸術選奨文部大臣賞)など多数。2012年東大大学院教授を辞職、執筆に専念する。
『名誉と恍惚』松浦寿輝(新潮社 2017年3月3日)
日中戦争のさなか、上海の工部局に勤める日本人警官・芹沢は、陸軍参謀本部の嘉山と青幇(チンパン)の頭目・蕭炎彬(ショー・イーピン)との面会を仲介したことから、警察を追われることとなり、苦難に満ちた潜伏生活を余儀なくされる……。祖国に捨てられ、自らの名前を捨てた男に生き延びる術は残されているのか。千三百枚にも及ぶ著者渾身の傑作長編。
─新刊『名誉と恍惚』とても楽しく拝読させていただきました。最初に、1930年代後半の上海を舞台にした小説を書かれた背景をお伺いできますでしょうか。
もう三十数年前のことですが、三十歳になるやならずやの頃、散文詩の連作を書いて、その全体に『上海』というタイトルを付すという構想を温めていたことがありました。上海というのは、様々な幻想、夢想、神話、都市伝説がまとわりついている都市でしょう。現実の上海がどうだったかはわかりませんが、魔都などと呼ばれた上海のイメージのうちに潜む、エロティシズム、グロテスク、アナーキズム、犯罪、暴力、麻薬といった主題群を、散文詩集の形で展開して、想像の中で歪曲され誇張された架空の幻想都市・上海を構築しようと思い立ったのです。結局、その企図はものになりませんでした。ただ、その後、幻想都市を言葉によって構築するという着想は、上海でなく東京を舞台にした散文詩集という構想に流れ込み、『吃水都市』(思潮社 2008年)という形で結実しました。
─上海から東京に舞台を移して。
けれども、当初考えていた「上海」という主題は記憶の底にずっと残っていました。それが、三年ほど前、新しい長編小説を書こうとした時に、ふいに浮かび上がってきたのです。今回は幻想小説ではなくリアリズム小説にするつもりでしたので、現実の上海の歴史や文化や地理風土を改めて調べてみました。すると、きわめて興味深い、刺激的な都市だということが今さらながら実感されました。
─ええ。
昭和12年(1937年)7月に起きた盧溝橋事件が波及して、その翌月第二次上海事変が始まり、日中戦争に拡大していくという歴史のなかで、当時の上海には、共同租界と呼ばれる中国の権力も日本軍の武力も及ばないインターナショナルな空間が存在していました。そこは、英国人、米国人、日本人を中心に構成された工部局という国際組織が、政治・経済・文化のすべてを管理する一種のアンタッチャブルな聖域でした。周辺では戦争が起きているのに、共同租界の中だけは権力の無風状態が保たれている。そうした奇妙な均衡状態は、昭和16年(1941年)12月8日、真珠湾攻撃の日に日本軍が突入して占領するまで続いたわけです。これは物語の舞台として、非常に魅力的でしょう。
─とても魅力的ですね。
しかも、その時期の上海共同租界という空間を日本人の立場から書いた小説というのは、あまりないように思います。スピルバーグが映画化したJ・G・バラードの『太陽の帝国』という自伝的小説は、その時代の共同租界を英国人の視点から描いた作品ですが、たとえば、横光利一の『上海』は、昭和3〜6年に書かれた長編小説ですし、「魔都上海」という魅力的なキャッチフレーズのルーツとなった小説『魔都』を村松梢風が上梓したのは大正13年です。一方、戦後派作家の堀田善衛による『上海にて』という紀行エッセイは、戦後の上海のお話です。つまり、1930年代後半の上海は、日本の物語の舞台としては空白になっている。その空白を私の小説で埋められるのではないかと思い立ったときには、少々興奮せざるをえませんでした。
─『名誉と恍惚』は、750頁を超える大長編です。短編集『そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所』(新潮社 2014年)の「あとがき」では、長編小説について「大掛かりな造園工事」と表現しておられましたが、今回、プロットはどのように組み立てていかれたのでしょうか?
1930年代後半の上海共同租界という舞台が決まって、インターナショナルな組織である工部局の日本人警官を主人公にするというアイデアが浮かんだ瞬間、ストーリーの粗筋はほとんど最後まで決まってしまいました。ただ、細部の設定や、挿話をどう組み合わせ、構成していくかという現場の作業は、労力も時間もずいぶんかかりました。大変でしたが、大きな模型をゆっくりと組み立てていくような楽しさもありました。長編小説というのは要するに、レンガを一つ一つ辛抱強く積み上げて、壊れにくい構造のアーキテクチャを構築していく、そういう気の長い労働なんですよね。
─物語は、主人公 芹沢が橋を渡る場面から始まります。松浦さんの長編小説『半島』(文藝春秋 2004年)では、橋が幻想と現実の世界をつなぐ役割を果たしていました。今作でも橋は、川を挟んだ日本軍の占領地と共同租界の中間であると同時に、国や性のあわいにいる芹沢の境遇を象徴しているように感じられました。
それは面白いご指摘です。たしかに、『半島』にも橋が出てくる。「橋」というのは、こっち岸とあっち岸とを繋ぐ装置であり、しかし橋の上という空間それ自体は、そのどちらにも属していない。そういうきわめて魅力的なトポス(場)です。おっしゃる通り、冒頭で芹沢が渡る「橋」という形象は、国と国のはざま、性と性のはざまに取り残されている彼の境遇を象徴していると言ってもいい。
─工部局警察官である芹沢は、青幇(チンパン)のボスである蕭炎彬(ショー・イーピン)の家を訪ねた際、蕭炎彬の第三夫人である美雨(メイウ)と出会います。その場面がとても素敵だと感じました。
恋愛小説でも恋愛映画でも、ヒーローとヒロインが初めて出会う瞬間は、「物語の華」です。フランスには、小説がその瞬間をどう描いてきたのかを分析した分厚い研究書があるほどで、作家は、二人の視線がどう交わり、どんな言葉が交わされるのかといった表現に工夫をこらします。私も、芹沢と美雨の出会いのシーンをどうにか面白く書きたいと考えていました。
─ええ。
ドラマチックな人生を送ってきた美雨は複雑な女性です。植物的な性の気配とともに猛獣のような精気をたたえ、一種の善良さを滲ませたかと思えば、冷淡な面を見せる。芹沢は、初対面の彼女の挙措や表情から、なにか自分の欲望を刺激する相手だと感じ、意味はわからないまま一瞬でそうした大量の情報を受け取ります。人と人とのあいだには、初めて出会った時に色々な情報が一瞬のうちに交換されるもので、この時の芹沢と同じことが、実は我々にも日常的に起こっているのではないかと思います。
─二人のすれ違う一瞬、芹沢の時間は引き伸ばされました。
今回は、そういう一瞬をさらに細分化、微分化して描写してみたのです。地の文章の時間の流れとは異なる速度のナラティブを挿入し、不意に時間の感覚に地滑りを起こそうという意図でした。
─陸軍参謀本部の嘉山を蕭炎彬に紹介したことで警察を追われることになった芹沢は、ある事件を起こして逃亡します。色もにおいも失ってしまった芹沢はしかし、日本語の新聞を読んで変化するきっかけを掴み、その後、風邪で朦朧とする中、「恍惚」を体験します。<世界が一つ一つくっきりと粒だった無数の個物の集合として甘受された>という恍惚の感覚は、今おっしゃった時間の微分化に対して、空間の微分化と言えるのではないかなと思いました。
うん、それは考えてみなかったことで、なるほどと思いました。タイトルにもあるように、「恍惚」は、この小説の主題の一つです。私は、人間にとっての恍惚とは何か、どういう感覚なのか、ずいぶん時間をかけて考えてみたんです。その挙げ句、空間のあらゆる細部に注意が向けられ隅々まで意識の焦点が合う、という状態として描いてみました。それは性のエクスタシーよりもっと根源的で、宗教的な祈りにも近い感覚ですが、なるほどたしかに空間の微分化とも言えるかもしれません。
─美雨が芹沢に語った「演技論」<演技というのは、本質的な要素だけを分別したうえで、それをほんのちょっぴり変えてみせることなの。するとそこに、演じている役柄の人物そのものがむっくり身を起こしてくる>を読んで、目が開かれました。
筒井康隆さんもそこを面白いと言ってくださいました。美雨の演技論は、俳優がリアリティをもってある役柄を演じるためには、その役に一体化しなければならないという「スタニスラフスキー・システム」の対極にある考え方です。これは、おそらく演劇俳優というより映画俳優向けの演技論と言えるでしょう。つまり、映画では演劇と違って、人間の全体が舞台上に始終現前しているわけではないので、たとえば、クローズアップのときに、画面に写らない手や足はどうだっていいわけです。写っている箇所だけアピアランスを、つまり「外見」を取り繕うことができれば。そういう演技のできる俳優が一流の映画俳優だと私は考えていて、それが、美雨の言葉として出てきたのだと思います。
─ロシア人少年 アナトリーの死をきっかけに芹沢が、<子どもの心と身体の奥底にはその後の彼が送る全人生の出来事の種子が収蔵されている>という想念を思い浮かべたことも印象的でした。
年齢を重ねたせいか、私自身がそういう実感を持っています。自分の子どもの頃の写真を見ると、人生の全部の種子がそこに写っているのではないかと感じるのです。また、フランスの思想家であり文芸批評家であったロラン・バルトの遺著『明るい部屋 写真についての覚書』の影響もあったかもしれません。『明るい部屋 写真についての覚書』は、前半では、一種の構造主義的アプローチによる写真メディア論が展開されているのですが、後半、彼はふいに、亡くなった自分の母親の写真について私小説のように語り始めるのです。
─母親の写真について。
母親が10歳の少女だった頃の写真を発見したと。当然、彼が生まれる前の時点の母親です。けれど、ロラン・バルトは、その写真を見たときに、彼が知っているお母さんという一人の存在のエッセンスの全てがそこから見出された、という意味のことを書いています。そのエッセンスに彼は、「善良さ(bonté)」という、平凡と言えばこれ以上平凡なものもない言葉を与えるのですが。彼が愛しつづけた自分のお母さんの「善良さ」の全てが、写真に写る10歳の少女の中に露出していたと。このとても感動的な逸話が、私の頭の中にあったような気がします。
─さらに、芹沢は、<成長とは(どの種子を芽吹かせ、どの種子を棄てるかの)選択である>と考えます。第一部と第二部の最後で、彼はいずれも、別の道があるにも関わらず危険を冒して「敵」と対峙する選択をとりました。
人間は、日々、何かを選んで何かを捨てるという決断をしています。喫茶店で何を注文するのかといった小さな選択から、職業や結婚相手という大きな選択まで、まるで乾坤一擲の綱渡りのように。そこには、必然と偶然の錯綜した絡み合いがあります。本当はどうしてもAを選びたかったけど、色々な事情からBを選ばざるをえず、しかしそうして良かったと後になってつくづく思うこともあれば、逆に、望んでAを選んだものの歳月が経ってから思い返してひどく後悔することもあるでしょう。人生というのは、そういうことの積み重ねですよね。この小説ではその問題を考えてみたかった。そこで、芹沢をかなり誇張された極限的な状況に置き、彼が何を選び、何を捨てるのかを書いていったのです。
─芹沢が選び取ったのは、自分自身が巻き込まれたことの真実に迫るという行動でした。
そこで、この小説のタイトルに含まれるもう一つ言葉、「名誉」という問題がせり上がってくる。通常、人間の選択は、AとBのどちらを選んだら幸福か、得かとかといった尺度で行われます。けれども、芹沢の場合は、ぎりぎりの土俵際まで追い詰められ、失うものはもうほとんど全て失ってしまっていた。そのとき個人に残るのは何か。エピグラフで引用したアルベール・カミュの言葉──「名誉とは、貧者の最後の富である」がそこで意味を持ってくる。
─真実を知ることで、名誉が守られる。
そういうことです。彼は、自分の推理の内容が真実であることを確かめたかった。しかも、もともとは警察官で、真相を突き止めることが警察官の仕事ですから、プロとしての誇りもあった。そういうわけで、もしかしたらそれは破滅への道なのかもしれないと十分に知りしつつ、彼が選んだのは、真実を知るという選択だったのです。彼の「業」のようなものかもしれません。
─嘉山との対決の末、香港に移った芹沢ですが、エピローグで48年ぶりに上海に戻ってきます。
実は、『名誉と恍惚』は、2014年に出版した『明治の表象空間』の続きというか延長のような意識で書いた小説でもあるのです。『明治の表象空間』は、明治維新以降、近代日本というネーション・ステイトがどういう言説によって創設されたか、定礎されたかを分析した評論で、私としては、ひとことで言えば一種の国家論のようなつもりでした。明治期には、様々な領域で、時代を見通す優れた眼を持った才能豊かな専門家たち、知識人たちが、何もないところから近代日本という国家を立ち上げようとしたわけです。ところが、日清戦争、日露戦争に勝利した後、満州事変のあたりから徐々に道を間違え、泥沼に足を取られた結果、1945年の敗戦まで落ちていく。今回は、『明治の表象空間』でその草創期を描いた近代日本が、昭和期に至って挫折に向かって崩れ落ちていった運命の意味を、評論や歴史研究ではなくて、小説という思考実験の装置によって考えようとした作品でもありました。
─『明治の表象空間』という評論の続編を。
そういうことです。その場合、この物語自体はほんの二年間ほどの出来事ですが、その後に流れるもっとスパンの長い歴史の時間を暗示することで、日本という国の運命という主題がよりくっきりと浮かび上がるのではないか、と思いました。小説の物語的興趣という視点に立てば、芹沢がモーターボートに乗りこんだ1939年10月のラストシーンでスパッと終わらせてしまった方が、よりドラマチックな効果があったのかもしれません。けれども、私は、芹沢がその後も生き延びていたとしたならば、この男の運命はどうなったのか、20世紀の歴史をどう生きたのかということを、物語の本編が終わった後、その延長線上にほんの少しだけ浮かび上がらせてみたかった。そして、1987年、78歳になった芹沢の視点から1940年代〜80年代までの日本や中国、あるいは世界全体の運命を振り返ることで、時間というものの厚みを読者の意識のなかに暗示的に呼び起こしてみたかったのです。
─現在は、エピローグの時代からさらに30年経っていますから、読者にとっては、もう一段階重層的になりますね。
おっしゃる通りです。1937〜39年というと、今の若い方にとっては太古の昔のような感覚でしょうけど、エピローグの1987年、日本ではバブル景気が始まる頃の時代は、もう少し身近に感じられると思います。そういう近い過去を回顧し、さらに遡って、戦前まで思い浮かべるという重層的な時間を体験してくれたらいいなと思います。
─とても楽しく体験できました。さて、少し話題が変わりますが、私たちブックショートは、「おとぎ話や昔話、民話、小説などをもとに創作したショートストーリー」を公募する企画です。松浦先生の著作には、グリム童話「青ひげ」を下敷きにした「BB/PP」がありますが、具体的な先行作品をもとに新たな作品を書くことについてお考えがあれば教えていただけますでしょうか。
「BB/PP」は、グリム童話のカバーヴァージョンというお題を出されて、半ば即興的に、ふと書いてしまった短篇小説なんです。まずともかくグリム童話のどれをカバーするのか決めろと言われ、悩んだ末、最も残酷と言っていい話だから面白いかなと、「青ひげ」にしますと答えたのですが、その後何週間経っても、何をどう書いていいのか全くわかりませんでした。それで、とっくに締め切りが過ぎてしまった頃、衛星テレビで放映されていた映画「ブレードランナー」をたまたま観て、「青ひげ」とレプリカントを組み合わせたらどうか、とふと思いついたのです。楽しみながら、半日くらいで一気に書いてしまいました。そういうふうに偶発的に生まれた作品ですから、あれは例外的なんです。同じような試みをする計画は、今のところ頭にありません。
─それでは、最後に、小説家を志している方にメッセージをいただけますでしょうか。
その種の質問をされたときにいつも思い出すのが、「小説家に必要なのは、飢えた心と想像力だ」という中上健次さんの言葉です。これに付け加えること何も無いような気がします。小説家の心は飢えて、乾いて、何かを求めていなければならない。つまり、現状に満足しないということ。けれども、ハングリーな魂だけでは駄目で、もう一つ必要なものがある。イマジネーションです。今ここにないものを想像する力です。そのどちらかが失われてしまったとき、作家としては死んでしまうのかもしれません。
─「飢えた心」と「想像力」。
満ち足りた時代に優れた文学が生まれるはずがないので、こういう時代は文学にとっては好条件であるはずです。月並みな言い方になりますが、ピンチはチャンスということですね。文学的想像力を駆動する題材は、現在の日本のいたるところに転がっているはずですから、若い作家に期待したいと思います。
─ありがとうございました。
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