小説

『エピジェネティクス』掛世楽世楽(『変身』)

「乙です」
 ゲームチャット欄にコメントして、御宅(みやけ)今一(きんいち)はログオフした。
 味方との連携はバッチリ、KD(キルデス)のアベレージも上昇。この成績なら良い一日と言える。
 しかし、寝床に入ってから深い溜息が出た。
 激しいパワハラに耐えかねて会社を退職、実家の一室で暮らすようになって早一年半。退職直前に同僚の自殺を目の当たりにしてから、何もかも嫌になった。
 両親と妹は口にこそ出さないが、僕を疎ましく思っているようだ。38歳の男が深夜のネットゲーム以外に何もしないようでは無理もない。逆の立場なら僕もそう思う。
 だが、家を出て行く気になれなかった。人と接するのが恐かったのだ。

 なんとなく身体の変化に気付いたのは、桜の散る季節だったと思う。
 家人が寝静まった頃、いつものようにゲーム参戦前の禊(みそぎ)と称してシャワーを浴びていた僕は、鏡に映る鼻に違和感を覚えた。
 心なしか高くなったように見える。
「変だな」
 異変はそれで終わらなかった。翌日は明らかに顔色が悪くなっていた。
「青白い、というより・・・」
 緑色? 
 死ぬかもしれないと思ったが、悲しくはなかった。むしろこれで楽になれるとさえ感じた。
 その晩は「これが最後になっても後悔しない」ようにと、全身全霊でゲームに没頭した。
「ファントム氏、神プレイでしたね」
 ゲーム仲間の石仮面キラー氏がチャットで僕を褒め讃えた。赤い彗星ファントムというのが僕のハンドルネームだ。
「たまたまです。それにしても今日は参戦者が少ないですね」
「流行っている病気のせいかな」
「病気?」
「あれ、知らないんですか?」
 石仮面キラー氏によると、先週から伝染病らしき症状の人が国内で続出しているという。
「容姿の変化を引き起こすみたいです。最初の患者は半年前にアフリカで発見されたとか。ググればいろいろ出てきますよ」
 鼻が伸びて肌は緑色に変わり、体毛が抜け落ちる。最後は西洋の童話に出て来る小鬼(ゴブリン)そっくりの姿になるという。その病気が日本にも上陸したのだ。
「感染経路とか、どうなってるんでしょう?」

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10