小説

『エピジェネティクス』掛世楽世楽(『変身』)

 ここでその名前を呼ぶのは、石仮面キラー氏に間違いない。
 我に返った僕は、離れて行く人々の中に声の主を探した。
「ここだよ」
 ふいに現れたエメラルドグリーンのワンピース。同じ色の長い髪に、同じ色の大きな瞳。
「石仮面、キラー氏?」
「そう。リアルでは初めまして、だね」
 スラリとしたエルフの女性は、僕の右手を取って握手をした。
「びっくりしたよ。少し遅れたから慌てて来てみれば、なんだか騒ぎになってるし。大丈夫?」
「あ、うん・・・なんとか」
 僕は石仮面氏を凝視したまま、動けなかった。
「ちょっと、よろしいですか?」
 声の主は紫のエルフだ。
「はい?」
「罵倒されたのに、あなたはなぜ黙っていたのですか?」
「ああ、それは・・・」
 恐くて言い返せなかったのだ。それに、化け物と言われることを、心のどこかで肯定する自分もいた。
「それはね、ファントム氏が優しいから」
 僕が答える前に、石仮面氏は腰に手を当てて誇らしげに言った。
「優しい、から?」
「あなたにもわかるはずよ。エルフでしょう?」
 そう言って、石仮面氏は紫のエルフを見つめた。
「わかりません」
「あなた、まだ覚醒していないのね。じゃあ、これならわかる?」
 石仮面氏は紫のエルフを抱きしめた。
「あ・・・」
 紫の瞳が驚愕に変わった。
「わかった? じゃあ、私たちは予定があるから。さあファントム氏、行くよ!」
 広場から離れる二人の後姿が見えなくなるまで、紫のエルフは立ち尽くしていた。
「ふむ、これが新人類・・・本物のエルフは、我々の想定を超えている」
 紫のエルフ型アンドロイドがもたらした情報を元に、AIは旧人類の存続における重要リスクと行動方針を再計算した。
 人種差別、経済格差、化石燃料の大量消費など、様々な観点から導き出された最初の施策は、大量破壊兵器とその保有国の処分だった。環境の保全と人種の調和こそが旧人類の未来を担保する。それを脅かすのは同じ旧人類の好戦的種族に違いない、とAIは結論を出したのだ。間もなく二つの超大国を皮切りに、殲滅作戦が実行されるだろう。

 石仮面氏が「仕事を辞めたから一緒に参戦しよう」と言って突然やって来たのは、クリアドームで会ってから4か月後だった。
 初めて僕の家に来た彼女は、人狼の母と妹を見ても全く意に介せず明るく挨拶をしていた。
「初めまして。きんいちさんにはいつもお世話になっております」
 母と妹は彼女を見て大いに驚いた。
「兄貴、彼女が誰なのか知ってる?」
「石仮面キラー氏だよ」
「バカなの?」

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