小説

『エピジェネティクス』掛世楽世楽(『変身』)

「今のところ全く不明。治療方法も見つかっていません」
 ここ数日で鼻が不自然に腫れ上がっていた。肌の色も悪くなっている。家から一歩も出ない自分が感染するわけはない。そう思ったが、家族が病原菌を持ち込むことも有り得る。痛みも不快感も無いというのが、かえって不気味だった。
「ファントム氏、そろそろ参戦しませんか」
「・・・りょ」
 明け方に参戦を終えて、僕は病気のことを調べた。十センチを超える尖った鼻と緑色の皮膚を持つ人間が、世界中で発生しているらしい。後天性遺伝子不全症候群G1型という正式な病名がついている。通称は小鬼病。患者は見た目の恐ろしさ故に、ひどい迫害を受けることも珍しくないという。
 アフリカでは全人口の二割が小鬼病にかかり、パンデミック状態にあった。ヨーロッパは南部を中心にパニックの只中。北アメリカとアジアは比較的出現が遅れているようだ。
 症状の進み方は早い人で三週間、遅くても半年で完全変態(そう呼ぶのだそうだ)するらしい。
 僕は一歩も外に出ていないのだから感染源ではない。それでも、この姿を見せれば両親は驚き、悲しむだろう。
 いや、それどころか、家族はもっと症状が進んでいる可能性もあることに思い至った。
 どうすればいい。そもそも何故、どこから感染したのだろう。
 しばし悩んで、僕はとりあえず静観することを選んだ。自分には何もできそうにないと思えたから。
 そうしている間にも、僕の容姿は確実に小鬼へ近づいていた。言い表せない葛藤があったわけだが、それは割愛する。世界各地で虐待される小鬼病患者に比べたら、家の中でひっそりと暮らす僕の悩みなど、ささいなことに思えた。
 世界を不幸のどん底に陥れた小鬼病にも、一つだけ良い面があった。小鬼特有の緑は葉緑体由来だったのだ。つまり光さえあれば光合成ができる。夜間、自室でLEDの光を受け続ける僕は、空腹を感じなくなった。冷蔵庫を漁る必要もなくなり、家族への負い目が少し減って、心穏やかに引きこもりを続けた。

「ファントム氏、ここしばらく神プレイばかりですね。何かありましたか?」
 石仮面キラー氏の言う通り、僕の戦闘データは著しく向上していた。
「いや、特に何も・・・」
「とぼけないで。これほどの戦果を上げられるのは、あなたが小鬼だから。違いますか?」
「う・・・」
 小鬼であることは確かだ。
 でもゲームに何の関係が?
「12戦して平均73撃破。それに対して被撃破は1未満。普通の人間には無理な成績です。まあ、小鬼になったと言いづらいのは、なんとなくわかりますけど、小鬼の知性は旧人類を大きく上回っているとデータが証明しているのですから、恥じることはありません」
「ええ?」
 石仮面氏の話はとても興味深いものだった。

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