小説

『人魚姫の代償』広都悠里(『人魚姫』)

「だって、こんな、でっけえ文字で出てきたらわかるだろ」
「文字?」
「今、きみの顔の前に、大きな字で、うわこいつ何わけわかんないこと言ってるの?こわいこわい、マジきもい、別れて正解ー!……って。あれ?あの、ほかの人には見えないの?」
「何が」
「字」
「だから字って何?」
「もうほんと勘弁して、ひょっとして頭おかしくなっちゃった?これってもしかしてあたしが別れようって言ったから?じゃああたしのせい?嘘。いや。うそうそうそきゃーっ、ってピンクとか赤い文字できみの周りに出てくる文字を読んでいるだけなんだけど」
「文字が、出てきて、それを、読んでる、ってこと?」
 ぎゅうとまゆをしかめて目をいくらか細め、顔を半分そむけながら彼女が嫌そうに聞いた。
「うん」
「どこにそんな文字があるのよっ」
「今ここに、青文字で嘘つき、って」
 彼女の左耳あたりに手を伸ばすが、浮かんだ文字は読んだ瞬間ひゅわっと消えてしまった。
「え?ここ?」
 彼女は自分の左耳付近をかき交ぜるように左手を動かすが、浮き出ては消えていく文字に触れることはできないようだ。
「からかわないで」
「そんな余裕ない」
 オレの戸惑いと悲しみをどうか信じてくれと瞳をのぞきこむと彼女の周りに乱立していた、たくさんの文字が消え始めた。どうやら感情も思考も停止してしまったらしい。
「あの」
 感情が消えてのっぺりしたぼんやり顔の彼女にオレは尋ねる。
「名前、教えてくれないかな」
「三吉はるか」

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