小説

『人魚姫の代償』広都悠里(『人魚姫』)

「してあげた、って何だよ」
「ずるいよ、こんな時までひとの心を読まないで!」
「読みたくて読んでるんじゃない。そっちが読ませているんじゃないか。読みたくもないのに読まされるこっちの身にもなれよ」
 もう文字は浮かんでこなかった。唇をかみしめて走り去る背中を見ながら本気で悲しい時、怒りが頂点に達した時、ひとは無になるのだと知った。きっと感情が一瞬、まっしろになるのだな、と推察される。
 そんな時だけ、言葉と感情が一致していることをやりきれなく思う。
 オレは心を読んでうまく先回りすることをやめた。
 嘘を取りまとめてへとへとになるくらいなら本音をさらけ出した方が楽になる、本当の自分を取り戻そうと思ったのだ。
 なのに前よりもっと苦しくなった。相手が思っていることはわかっているのに、知らないふりをするのは難しい。オレの発した言葉で相手の感情がどう変わるのかリアルタイムで目の前で読めることは苦痛以外の何物でもなかった。

 膿はもう破裂寸前、炎症を起こして広がっていく。オレは狂ったように毒舌という膿をまき散らす。
「もうぜんぜん、就活うまくいかなくてさ」なんて会話に割り込んで「でも、本当は最悪バイト先で正社員受けてみろとか言われて余裕なんだよな」と暴露しちゃったり「私、その日は用事あるから」と飲み会を断る女の子に「ヒマだけどあんたたちとは無理!って本当のことを言えばいいのに」と言って空気を凍らせる。
 不思議だ。オレは本当のことを言っただけなのに言った方も言われた方も傷ついてオレを憎む。オレは本人たちに代わって本当のことを教えてあげただけなのになあ、なんてうそぶくつもりはない。オレはもう、こんな自分が嫌になって何もかも全部ぐちゃぐちゃにしたくなったんだ。
 なんだよなんだよだれがオレをこんなふうにしたんだ、人の周りに浮かぶ感情の文字が恐くて外へ出ることもできなくなった。
 一人きりの部屋で、スマホを握りしめて泣いた。スマホの世界の中で流れるたくさんのコメント、行き交う文字、それはオレが日頃空間で見ることのできる感情の文字と似ている。さすがに(笑)や顔文字はないけれど。
「もう、やめてくれ」
 ラインの文字を見ただけで吐き気がする。力なくスマホから手を放し、ずるずるとベッドから半身だけ出してだらりと考える。
「これから、オレはどうやって生きていけばいいんだ……」

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