小説

『ムのこと』上田豆(『姨捨山(大和物語)』(長野県))

 ムの誘いにのって、マスクの中身を覗きこんだりしたからいけなかったのだ。水野くんの近くにいるときも、いないときも、ムは頻繁にわたしの前に姿を現すようになった。ムはいつの間にか水野くんの姿になっていた。
水野くんの姿のムはいつもわたしの目の前にいた。ふとんの中にはいつも水野くんが滑り込んできて、わたしをじっとりと抱きしめた。わたしはだんだんよく眠ることができなくなった。眠る直前まで、水野くんがわたしの目の前にいるからだ。
夢の中ももはや安全ではなかった。夢の中で、水野くんになったムが、わたしをはだかで抱きしめた。わたしはもはやそれが本物の水野くんでもムでもどちらでもよかった。わたしもいつの間にかはだかで、夢中でそれに抱きついた。わたしたちはセックスをしていた。もっともムには性器はないのだから、ただしくはセックスのようなものだ。水野くんでありムであるところの乳白色の肌は、わたしの日に焼けた肌にくっついては重なって、ぼやけては輪郭をなくし、あるいはわたしの輪郭を浸食した。
わたしの境界は凌辱されていた。わたしは、わたしの輪郭を守らなければならなかった。
だから、月の綺麗なある晩、わたしはムを捨てることに決めた。

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