小説

『イチゴ沼』柿ノ木コジロー(『おいてけ堀』(東京))

 そのイチゴの無人販売はずいぶんと前から噂にはなっていた。
 夜勤帰りのことだ。長い直線道路の途中、路肩に立つ販売中の幟が視界に入った時、俺はアクセルから足を離した。
 ここのイチゴは粒も大きく、甘いことでも有名だった。しかも安い。
 すでに口の中には甘酸っぱい香りが満ちてきた。
 連休になるお祝いだ、ウィスキーをちびちびと舐めながら新鮮なフルーツというのも乙なものだ。俺は迷わず車を路肩に寄せた。

 空き地は相変わらず、ぬかるんでいた。

 すでに二台の車が中に停まっていた。
 俺もあわてて空き地の隅に車を停めた。
 売り場の周りは案の定、車のわだちがいくつも深く刻まれて重なっている。すでに俺の靴の裏も重い泥がべっとりとしがみついていた。
 やぐらのすぐ目の前に横づけに停まっていたのは黒い軽乗用車だ。
 そしてそのうしろに、やや斜め向きに営業車らしい白いバンがいる。
 売り場の木箱に首を突っ込むようにして、背の低い女性がイチゴを物色していた。そして彼女の斜め後ろ、営業車から下りた男だろう、ややイラついた目をして彼女がどくのを待っていた。足を何度か踏みかえているのは、急いているのか少しでもぬかるんだ位置を避けるためなのかは不明だった。
 俺も近づいて、女の背後から箱の中をのぞいてみた。
 幅は半間程度、前開きの木箱じみた店に、今朝もずらりとイチゴパックが並んでいた。
 女は片手に買おうとしたパックをひとつ持ったまま、次を物色中だった。
 ずいぶん前に染めたらしい茶色のウエーブがひとかたまりに揺れ動く、いつまでも選び終える様子がない。
 幼稚園児らしい男の子が、車の後部座席から、小さなこぶしで窓ガラスを叩いている。

1 2 3 4 5 6 7