小説

『イチゴ沼』柿ノ木コジロー(『おいてけ堀』(東京))

 イチゴを取り出すのも、コンテナを泥で汚れないように身体で支えるのも、かなり手慣れた感じだった。
「ストップ」
 俺もつい叫んだ。
「ひとつは俺に買わせてくださいよ」
 ふたりにいっせいに睨まれ、俺はつい後退る。
「早いもの勝ちだし」
「ようくんはイチゴ大好きなの!」
 彼女、今度はすでにコンテナを満杯にした男に詰め寄る。
「もしかして、アンタ近頃この辺で噂の転売ヤーじゃない? 聞いてるんだからね、ここの近くの無人販売、朝出してもすぐに無くなって、そんでちょっと離れた直売所に同じようなモノが倍の値段で出てる、ってさ……」
 男の表情が急に消えた。
「ママ―!!」
 突然の絶叫に俺たちは飛び上がった。車の後部座席、窓ガラスを激しく叩いて男の子が叫んでいる。
「くるまがしずんできた!」
「えっ?」
「ヤバ、まただよ」助手席の少女も泣きそうだ。
「ママ早く車出して!」
「車から降りて!」母親としての本能だろうか、彼女は金切り声で呼ぶ、だが
「あかないよ!」と後ろから
「靴汚れる!」と助手席から同時に子どもが叫んだ。
 外から見ても車は静かに泥地に埋まりつつあった。すでにタイヤの半分くらいまで見えなくなっている。女は車のドアにすがりつき、無理やりドアを開け、中にもぐりこんだ。
「やべえ!」
 男が両手で捧げていたコンテナを放り出した。
「こっちも沈んでる!」
 しかしすごいもので、片手にひとパックだけちゃんとキープしている。
「おいこれ」
 俺は慌ててコンテナを指さすが、男は後も振り返らず車へと駆け戻った。バンも同じくタイヤの半分くらいまで土にめり込んでいた。

 

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