小説

『テロテロ坊主ゲロ坊主』ヰ尺青十(『オイデプス』『人、酒に酔ひたる販婦の所行を見る語:今昔物語集巻三十一第三十二』『太刀帯の陣に魚を売る媼の語:同巻三十一第三十一』)

 青森地方の郷土料理で、大根人参ゴボウなどの野菜とワラビ蕗ゼンマイ等の山菜、それに油揚げや凍み豆腐などを、みなみな細かく刻んで白味噌仕立てにした汁だ。イタリヤ人が好むミネストローネ汁でも具材はサイコロ大になるが、けの汁では米粒大の微塵にされてる。

 三人が観ていたのは所謂〈バイトテロ〉動画であった。当初は、冷凍食品ケースに入って寝そべるとか、ラーメン湯切りする網で股間を押さえるようにするとか、今にして思えばかわいいものだったが、今回のは桁が違う。
「これって前代未聞だよね、鬼沢ちゃん」
「いや、ほんと、おれなんか本省に怒られちゃってさあ」
「あ、多鬼村ちゃんも。おれんとこにも直接電話かかってきてまいったよ」
 局長同士が愚痴ってるのに、鬼怒川署長は〈わたしも〉とは同調しない、否、できないのが組織の構造だ。紛らわしいのでちょっと説明しておく。
 まず労働局も法務局も各都道府県に設置されているため、地方公務員の組織かと誤解されがちだが、双方ともれっきとした国すなわち厚労省と法務省の出先機関である。だから局長が直接怒られるとすれば、それは本省によってだ。他方、労働基準監督署は労働局の下部機関であるから、署長が本省から直接叱られる筋合いは無い。
 で、面倒なのは、労働局と法務局の事務所管である。前者の所管事項として〈産業安全、労働衛生、勤労青少年の福祉の増進に関すること〉があるのに、後者にも〈人権擁護〉という項目があるため、境界事案のようなものが出て来る。例えば、職場でのいじめなんてのはその典型で、だからこそ、両局は合同の庁舎に入っているのだ。
 そして今回の〈ゲロ汁〉動画もそういう類の事案だということにされた。発端は国会で、追及された大臣が〈総合的且つ抜本的調査対応〉を約束してしまい、これを受けて有識者会議を開いたところ、双方で事に当たるべしとの意見が大勢を占めたのだ。
 しかし、局長たちは納得できない。
「そもそもさあ、こんなの俺たちの仕事じゃないよなあ」
「そ、警察にやらせてさ、後は刑事でも民事でも裁判で片づけりゃいいじゃんよ」
 傾聴して署長も大きく頷く。
 なるほど、加害と被害とを単純に考えればそうかもしれない。
 まず、動画を撮ってSNSに上げた奴(A氏)が加害者で、店側は被害者。Aに対して風評被害の損害賠償請求する権利があるし、威力業務妨害で刑事告訴することもできるだろう。さらに、鍋に投入されたのが本当にゲロであったとすれば、食わされた客に健康被害を与えたとして投入者(B氏)を傷害罪に問うことも可能だ。
 で、微妙なのは、床にゲロを吐いた若者(C氏)だ。Cがやったのが不可抗力的な生理現象だけだとすれば、店側にも客側にも被害を与えたことにはならない。せいぜい、床を掃除すれば済む。他方、CがAやBと同一人物であったり、あるいは別人物であってもAやBの行為の目的を了解して黙許黙認していた場合には、相応の責任は免れない。
「とにかく、あれだよ、クズどもみんなまとめてしょっ引きゃいいんだよ」
「そ、バイトのボケナスどもな。どうせボロ大学の落ちこぼれかなんかだろ」
 首位大学法学部で同期だった二人、バイトなんかの必要も経験も無かったし、共感も敬意も持ち合わせていない。
 だが有識者会議は、バイトたちが置かれている労働環境や経済環境に加えて、その精神的心理的状況をも総合的に調べ、ゲロ動画のような愚行に至る根本原因を究明するように、との意見を出したのだ。

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