小説

『テロテロ坊主ゲロ坊主』ヰ尺青十(『オイデプス』『人、酒に酔ひたる販婦の所行を見る語:今昔物語集巻三十一第三十二』『太刀帯の陣に魚を売る媼の語:同巻三十一第三十一』)



「おまちどうさまでした、こちら切身丼のセットになります」
「ならないよ」
「はい?」
「な・ら・な・い、っての。だってこれ現時点で既に切身丼のセットじゃんよ」
「はあ」
「だろ。これから変化して切身丼のセットに〈なる〉わけじゃないよなあ」
「…」
「だから、セットで〈ご・ざ・い・ま・す〉って言いなさい」
 日本語にうるさい雉野又としては、バイト敬語使う輩をとっちめてやりたかった。しかし、まあ、今日は大事な仕事中だから、格段の御慈悲を以て見のがしてくれようぞ。
 妄想を掃いながら食べ終えた頃、一人の大学生風が入って来た。背だけは高くて6尺超、ひょろり痩せてるのが席にもつかずにキョロキョロしてる。件の兄ちゃんに相違なかろう。雉野又、卓を立って手を上げ招き、名刺を交換すると、
「雉野さんすか?」
 局長と同じく間違えるのに、〈雉野じゃないの。雉野又余白次郎、キジノマタスペースジロウね。宇宙とは関係ないけど〉、説明するのがめんどくさいので適当に受け流し、相手のを見ると〈小出節太郎〉とある。
「こいで君?」
「いえ、あの、自分、〈オイデブシ〉っす、〈おいでぶし・たろう〉になりますっす」
 訂正するのはいいが、〈デ抜き〉が癇に障る。加えて、じぶんでじぶんのことをじぶんじぶんと言うのも昔の兵隊みたいで嫌だし、〈になります〉ってバイト敬語も度し難い。
 かくて三重の怒りに青筋立てて、ならぬ堪忍するが堪忍、フルフル震えながら堪えていたが、終に袋の緒が切れた。鳩尾(みぞおち)深くストレート打ち込み、丼鉢で頭に一発食らわしてやる。兄ちゃん、堪らず、胃から内容物を上げて。そこへ雉野又、やさしくハンケチーフ差し出し、諄々と説教を垂れるのに、〈よいかな、そもそも敬語というものはだ…
「あのう、すいませんけど」
「あ、ああ、はい、はい」
 雉野又、ようやく白日夢から覚めて、ゲロ動画について聞き取りをしたところが、総合的抜本的事実など一つも出てこない。
「ゲロ吐いてるのは自分っす」
 シフトの時間が不規則なうえ、大学の授業もあって細切れに睡眠を取らねばならない。なかなか寝付けなくて、ついついアルコールに頼るのが常態化した。9%の500㎖缶酎ハイ呑むのが毎日3本を超え、呑み屋のお銚子7、8本にも相当して、完全な依存症になってしまった。吐いた日はバイトの直前にも呑んだのだろう。
「自分、今もAAに通ってるっす」
 AAすなわちアルコホーリックス・アノニマス、アメリカ発祥の世界的断酒団体だ。〈神様〉あるいは〈ハイヤーパワー〉に祈って〈一日だけ断酒〉を積み重ねる。
「でも、自分、鍋の中に吐いたりしてないっす、撮影とかアップとかも知らないっすよ」
 バイト中に嘔吐するのは何遍かあったが、動画に映ってたのはいつのだろうか。シフトの入れ替わりも激しくて、同僚の記憶も曖昧だという。
「小出節くん、大学は?」
「世界人間大学っす、国際地元学部ボランティア学科っす」
 あ、あの新設大学か。にしても、国際地元って? 表現矛盾じゃないか、〈冷たい熱湯〉みたいな。
「授業料とか高そうだね」
「そっす、なのでバイトしてたっす、奨学金じゃ足りないっす」
 奨学金という名の教育ローンのことで、月12万。4年で576万に利子がつく。
「親御さんは?」
「母子家庭っすから」

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