小説

『ラグナグの鏡』風呂屋龍乃介(『ガリバー旅行記 第三篇』)

 ハンカチの刺繍がふっと、飛び込んで来た。
 周りを囲う模様まで見えなかったが、赤と黄色の丸だけは見える。
 毎回、今西さんを注意して観ているが、結局はGの疑惑を越えられず止まってしまい、
 やがて黄色が点滅して「またね♪」と別れ、現状は赤信号で止まる日々。
 俺の現状を表す二つの色、そのものだった。

 
 俺はどっかりと研究室のイスに腰掛け、ため息をつく。
 スマホには今西さんからのSNSが来ている。
「明日会わない?」
 いつもなら喜ぶが、既読スルーをした。
 友だち以上、恋人未満の関係。
 一か月以上、彼女といて、Gの可能性は間違いようがなかった。
「論文が忙しいから、無理!」
 と、入力するが、直前で消す。
 Gだが、彼女に日々、惹かれているのは明らかだった。
 どうすればいいんだ――!
 不意に背中をつつかれる。振り返ると大見さんだった。
「あまりはかどってへんようなやな……ん? 何聴いとるの?」
 いつもなら、ヘッドフォンから強烈な音漏れがするのに、全くしないことに大見さんは気付いたのだろう。
「いや、今西さんから、いいよって。『虹色の湖』っていう昔の曲聴いてんだけど。昭和歌謡曲って言うの?」
「なんか、純君もじいさんになってきたよ」
 大見さんの目じりにたくさんの皺が寄る。
「あれ? 大見さん、風邪?」
 いつも豪快に笑う、大見さんの口がマスクで覆われている。
「そうなのよ。まぁ予防ってのもあるけど。年取ると、すぐに大事になるしな。若くなりたいわ」
「お、ついにヤングドラッグ飲むの?」
「あんなの、表面だけのインチキや。あ、そや。あのYカード、もしかしていろんな人に見せたりしとる?」
「ああ……まぁ、見せてって言う人には見せてるけど」
「それ……あんまりやめたほうがええで」
「え? なんで」
 大見さんは答えず、ツイッターを開き、とあるつぶやきを見せるてくれた。
「これ……知っとる?」
 ツイッターのつぶやきには、こう書いてあった。
『やっぱYのB飲むと、肝機能回復した!』
「YのB飲む? 何これ」
 大見さんは黙っていたが、やがてゆっくりと話し始めた。
「Yはヤング。つまり、若返り薬を飲んでない純粋な若者のことや」
「そうなんだ。じゃあ、Bは?」

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