「私のID」
「交換するの?」
「うん」
「さっき『イヤ』って言ったのは冗談?」
「うん。毎回、『これから冗談を言います』って宣言した方がいい?」
「――できれば、そういった方向でお願いしたいかも」
早乙女とのID交換を終えた。
「じゃあ」
それだけ言うと、早乙女は宮浦を置き去りにして信号を渡っていった。何を考えているか最後までわからなかった。
しばらくしてポケットの中のスマホが震えた。SNSの通知が届いた。早乙女からのメッセージだ。
『さっきはすごく楽しかった』
嘘だろ~? 思わず、声に出してしまった。まったく楽しそうに見えなかったのだが。隣家の柴犬とのほうがまだ話が通じるような。どう返信したものかよくわからないが、それでも宮浦の足取りは軽かった。
*
幾度、寝返りを打っただろうか。そのたびに浅い眠りから呼び戻される。
「亀は助けないといけない」
耳の奥で、早乙女の言葉がこだまする。
意味はわからないが、みょうに引っ掛かる。なぜ、早乙女は亀松を亀と呼んだのか。二人はそれほど親しい間柄には見えない。
早乙女、さおとめ、亀松、かめ……何かが頭の中で繋がりかけているような――もどかしい――もうちょっとで何かが出るような――そうか、名前……乙姫と亀だ。童話の浦島太郎。そうなると他はどうなる。亀を助けたのは宮浦、つまり浦島太郎で、亀を虐めているのは子安、子供たちになる。
だからどうなのだ。浦島太郎になぞらえたいから早乙女は宮浦に亀松を助けるよう求めたのか? そんなことをしてなんになる。そもそも名前の重なりなど単なる偶然じゃないか。
早乙女にメッセージを送ってみようか。しかし、なんて?
「僕たち、浦島太郎みたいだね?」って。急にどうした。気持ち悪すぎるぞ。冷静になれ。
仮にこの状況が浦島太郎だとすると話はまだ途中ということになる。亀を助けた浦島は竜宮城で乙姫のもてなしを受け、鯛や鮃(ひらめ)の舞い踊りを観て楽しく過ごすうちに時を忘れる。浦島が地上に戻るとき、乙姫は玉手箱をおみやげに渡す。竜宮城と地上では時間の流れが違い、地上に戻った浦島を知る者はもはや誰もいなかった。絶望した浦島は玉手箱をあけると老人になってしまう。乙姫はなぜ玉手箱を渡したのだろうか。あれのどこが贈り物なのだろう。