小説

『再び』川合玉川(『浦島太郎』)

「あの先輩さ、実はけっこう好きだったんだよね。よく声かけてもらったし。ほら、俺も駄目だったから……シンパシーっつうの? でも、俺はあんなふうにできないよ」
 入部早々に逃げ出した亀松と、三年になってもボクシングに打ち込み続けていた先輩を同一視するのはまったく違うだろと宮浦は軽い苛立ちを覚えた。もっとも宮浦も二年の夏にはケガを理由にボクシングから逃げたわけで、偉そうなことは言えない。
もし先輩が選手生命に係わるケガを負ったらどうしただろう。自分と同じようにあっさり諦(あきら)めただろうか。それとも周囲が止めるのも聞かず、納得のいくまでケガの克服に努めたかもしれない。もう少しできたのではという想いを抱えつつも、宮浦の心はポッキリ折れてしまった。
顧問は宮浦を励ましてくれたが、言葉とは裏腹にその目は憐(あわ)れみと失望が入り混じったものだった。部の連中の「あいつ、もう終わってるだろ」という陰口も宮浦を部室から遠ざけることとなった。
ケガを克服できたかはともかく、自分にしろ亀松にしろ、先輩のような粘り強さがあれば今と何かが少しだけ変わったのかもしれない。



 早乙女三(さおとめみ)津留(つる)の突き刺すような視線を首筋に感じた。なぜそれが早乙女のものとわかったのだろうか。だが、宮浦には根拠のない確信があった。宮浦が振り返ると射るような早乙女の視線と衝突した。意志の強そうな黒目勝ちの瞳は真っすぐに宮浦を捉(とら)えていた。
 なんなんだ、この女……宮浦は舌打ちしたい気分に駆られた。瞳を逸らすことが許されない異様な圧力を感じた。
 早乙女の唇がゆっくりと動いた。
『た・す・け・て』
 昼休みの教室では、子安が亀松にプロレス技をかけていた。いつものことでクラスメイトは誰も興味を持たない。子安は亀松の背中にまたがり、亀松の喉(のど)に手をかける。亀松の上半身は反り返り、苦しそうに顔を歪めている。親戚の家にあった漫画「キン肉マン」に出てきたキャメルクラッチという技だ。ラーメンマンはブロッケンマンにキャメルクラッチをかけて体をへし折り、ブロッケンマンをラーメンにして食べるんだっけ。そんなバカげた場面を思い出し、宮浦は笑いがこみ上げてきた。
 振り返ると、早乙女はまだじっと宮浦を見つめている。早乙女の表情は乏(とぼ)しく、感情を読み取れなかったが、何もしない宮浦を責めているふうでもあった。再び早乙女の唇が動いた。
『た・す・け・て』

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