小説

『再び』川合玉川(『浦島太郎』)

 答えになっていないが断定的な口調に気圧される。亀松は、亀ってあだ名だっけ? 仮にそうだとしても、早乙女と亀松はあだ名で呼び合う間柄とは思えないのだが。
 亀松は下を向いている。
 茜色の光が射しこむ夕暮れの音楽室には早乙女、宮浦、亀松の三人だけがいた。がらんとした空間に間が持たず、宮浦は床とクルクルにカールした変な髪型の肖像画と交互に視線を走らせる。
 早乙女は特に気まずさも感じないのか落ち着き払っている。ピアノの前に座り、細い指を鍵盤において指使いを確認している。音は鳴らしていない。右手首から先だけが別の生き物のようにしなやかに動いた。早乙女の右手首以外、時間が止まったように見える。
「早乙女さん……もういいかな?」
 亀松の声はうわずり、子安に締め上げられているときより緊張しているようだった。早乙女は亀松の言葉を無視し、譜面に目を落としている。
「あの……早乙女さん……」
 亀松は哀願するような調子で早乙女に呼びかける。
「ええ。もういいわ。宮浦君を連れてきてくれてありがとう。それと、さっき言ったことわかってる?」
「わかってはいるけど……」
「けど?」
 早乙女は亀松の方に向き直った。
「『けど』どうかした?」
「ああ……その……どうしたらいいのかなって」
「あなたをどうにかできるのは、あなただけ」
 亀松は恐縮したように頷(うなづ)いた。上司と部下のようだ。
「じゃあ、俺はこれで……」
 ペコペコと頭を下げて、宮浦に目配(めくば)せをすると亀松は足早に音楽室を出ていった。室内に死に関わる恐ろしい病原菌が蔓延(まんえん)していて、一刻も早くそこから離れたいとでもいうように。



 陽が短くなっている。
 高台の下、宮浦たちの眼下には白砂の浜辺が広がっている。
 早乙女と帰ることになるとは一日前には考えもしなかった。

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