小説

『水曜日の午後にシロツメクサが降る町』イワタツヨシ(『浦島太郎』)

 まず初めに一度、一瞬体が宙に浮いてそのままひっくり返ってしまうような大きな揺れが起きる。それは数秒間のことで、その後はぐらぐらして酔うような不快な揺れが起きる。それは一時間ほど続き、それが治まると、直方体の箱(町)はおよそ十分間、静止している。そして十分後、遡行するようにして、また不快な揺れが始まって最後に一度大きく揺れる。
 町を出ると決めて契約した人はその七月三十日に出ていった。直方体の箱が静止しているわずか十分間のうちに。なぜなら、そのときにしか直方体の箱の出口が開かれないからだ。その出口の場所は、町の貯水池のずっと下の方にあった。
 これは町を出ていくときまで知り得ないことだが――その日、町を出ていく人は、契約を交わした後で、小型潜水艦の操縦の講習を受けることになる。町を出ていく直前で睡眠薬を飲まされて、目が覚めたときにはもう一人潜水艦の中で、それからは自力でほかの町を探さなければならないからだ。少なくとも私のときはそうだった。
 町の出口について、それは一つだけではない、と考える人たちもいた。こういう言い伝えがあったからだ。「大昔、町で大規模な火災が起きたときに一度だけ町の天井が開いたことがある」と。
 それにしても、なぜ直方体の箱はその一日だけ動くのか。それに一体誰が動かしているのか。
「それは大昔この直方体の箱をつくった人物が初めからそういう仕組みに設計したから」という説が最も有力になっていた。その一説に基づくと、まずこの直方体の箱がつくられた目的は、町の人たちを外部の危険から守るためで、普段箱が静止しているのは、そこに留まっていれば決して見つかることがないから。それで出口をつくった目的は、町の人たちに選択肢を与えるため。それに私たちのように異論を唱えて内部を混乱させる恐れのある反乱分子を定期的に排出する目的がある。私たちはそう解釈していた。
「箱が町を外部から守るという役割は終わった。今はもうそうではない」と、ケイは言った。「戦争なんて大昔の話でもうどこでも起きていないし、外の世界は安全に違いない。大体、町の人たちは誰も実際に外の世界を見たこともないのに」
 しかしその点に関して、私はケイと意見が分かれた。私は、世界のどの町にも人々の争いはあり、どこかで戦争も起きているだろう、と思っていた。その理由はほかでもなく、あのリビーがそう言っていたからだ。



 その町にはおよそ六千二百の人が暮らしていた。リビーは近所に住んでいて、同級生だった。町に小学校は一つしかなかった。それでも私たちの頃は一学年に三クラスあり、リビーとは十歳のときに初めて同じクラスになった。
 リビーは、ずっと原因不明の病気を患っていて、一年の半分は学校を休んでいた。けれどテストがあるといつも満点かそれに近い点数の答案用紙を返されていた。真面目で、大人しい性格をしていた。いつも姿勢よく椅子に座り、話している相手の目を真っ直ぐ見て聞き、相手の目を真っ直ぐ見て話した。

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