小説

『水曜日の午後にシロツメクサが降る町』イワタツヨシ(『浦島太郎』)

 私が子供の頃に暮らしていた町は、直方体のかたちをしたケーキの箱のようなものの内部につくられていた。その箱は、外側から何も入ってこないように、普段は隙間なく閉じていた。閉じた空間だったが、その広さは十キロ平方メートル、高さは優に九百メートルあり、そこには風も雲も太陽も空もあった。ただ、私たちが風、雲、太陽と呼んでいたものは、いずれも人の手によってつくられたもので、私たちが空と呼んでいたものは、天井までの空間のことで、その空は色などもっていなかった。
 その町を出てから、人に、以前はどういう町で暮らしていたか聞かれたとき、私は水曜日の午後の話をよくした。その町では、決まって水曜日の午後に、シロツメクサやナズナ、オオイヌノフグリ、ハルジオンといった草花が降った。
 自然豊かな町で、そこかしこに草花が咲いていた。植物の存在意義について、私たちの居住地が限られた空間にあったことを話すと、酸素のつくり手としての役割が最も大きいと思うかもしれないが、町には空気をつくりだす装置と空気を清浄する装置があり、それらが空気の問題をひとえに担っていた。なかには、いずれはそういうものに一切頼らずに植物の特性だけでどうにかならないか、と研究を進める人たちもいて、そのために、私が暮らしていた間だけでも次々と新種の植物が生まれていた。水曜日には草花が降る。仮にそれが降り積もってやがて埋もれてしまうことになったとしても、町の人たちはおそらく誰も文句を言わないだろう。そう思えるほど町の人たちは草花が好きで、町は植物の緑で溢れていた。

 町の天井にも一面に草花が生えていた。そして、伸びてきた草花を定期的に剪定していた。それが水曜日の午後だった。天井の草花はロボットが剪定をする。午後になると、一斉放送が流れ、ロボットを乗せた小型の飛行船が次々と飛び立っていった。
 園児だった頃、私は一週間のうちでその水曜日がいちばん好きだった。一斉放送が流れると、放送が終わらないうちに私は傘をもって部屋を飛び出した。
 様々な種の草花がひらひらと舞って降った。私は傘を差しながら、傘の外に手を目いっぱい伸ばして、頭上から降ってくる草花を捕まえようとした。ときどきジャンプしながらキャッチして、手を開いて何をキャッチしたか確かめた。それから傘を差したまま屈み込んで、地面に落ちた草花の中から珍しいものを探した。それから大きい花、たとえばシロツメクサの花が一つ降ってくると、傘の上でボトンという音を立てて跳ねて、それが愉快で仕方なかった。

 そういう遊びをしたとき、私はよく友だちに傘を貸してあげた。その町では、自分の傘を持っている子供はほとんどいなかった。雨の降る時間帯も事前に分かるからだ。雨が降ると、私は友だちに「今僕のお父さんがこの雨を降らせているんだ」とよく自慢げに言って回った。実際、その頃私の父は気象庁に勤めていて、人工的に雲をつくって雨を降らせる仕事をしていた。いつ、どの辺りで雨を降らせるか決めたり、降雨量を調整したりすることも父の仕事だった。

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