小説

『羅刹の子宮』柘榴木昴(『羅生門』)

 介護なんてしていると、いくらでも機会があることはすぐに気づく。突き飛ばして勝手に転んだことにしよう。鼻からむりやり水を飲ませて肺炎にしてやろう、トイレに縛り付けて体力を奪おう、食事をへらして市販の下剤で脱水をおこさせよう。病院は金がかかるがこの地獄が続くよりましだ。弱ってしまえばあとは楽だ。
 隠そうと思えばいくらでもできるのだ。でもそんな隠ぺいはしない。はっきりと自分の手で幕を引く。責任を全うする。死よ訪れよ。こないならこの手をふりかざして終わらすのだ。責任を負うものは優しい。その死を、生活を引き受けたのだから。
 むしろ潔いじゃないか。誇りがあるじゃないか。
 でもこの女は。笑いながら何を言っているのか――。
 捨てた。実の母を、親子の絆を。
 あとはほんの小さな一歩だ。相手は世界で唯一殺しても自分を許してくれる相手じゃないか。ほんの一歩の勇気だ。
 そうすれば終わるのだ。
 その勇気を、背中を押すものがいた。
 私にはその背中を押すものが。悪霊という形の私の母の母。
 かつて母に殺された母。
 人殺しを殺して何が悪い。親殺しを子が殺して何が悪い。誇りのために生きたのだ。そうだ。羅生門の老婆だって自業自得なのだ。一歩、目の前の老婆に進みより、噛みつくように首を絞めた。
「そうだ。僕だってしょうがないんだ。もうあんたは母さんじゃない。僕は母さんのためにこれまでやってきたのに」
 私の体を動かすものはもはや悪霊でも祖母の怨念でもなく私の意志だった。細い首に指が食い込む。体を持ち上げる。小柄な体を。母と呼んでいた老婆の。親殺しの老婆の。
すぐさま女の鋭い爪が私の腕に食い込む。
 ぱさり、と何かが落ちた。帯だった。タンスの一番下の引き出しの奥にしまってあった帯。母が握っていたらしい。
 それは祖母の形見の赤い単帯だった。薄い格子模様が入っている。赤い影のように折りたたまる。テレビの声が奥の部屋と居間で同じことを言う。
 お母さんと思い出を作ろう、お揃いコーディネート……。
 私の手からも老婆の体がするりと落ちた。

 ルルルルル、電話が鳴った。

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