小説

『羅刹の子宮』柘榴木昴(『羅生門』)

 優しい気遣いに安心した分だけ叫び出しそうになる。気持ちが緩むとそれだけ喉から苦悶と憎悪が飛び出てくる。母のように何もかも思いのまま叫び出したらなんと楽になることか。だがいけない。大原さんに迷惑かけてもしょうがない。悪霊が母の秘密から漏れでてきたんです。そう言ったところで困惑に追い込むだけだ。
「いやあ、今日も派手に殴られましたよ」
 むしろ笑ってしまえばいい。快活さは人を安心させるのだ。そうだ。実際に何も変わっていない。母は、昨日も今日も日常を生きているだけだ。
「そうですか、じゃあ安心ですね」
 そういうと大原さんは笑いながら弁当から手を放した。
 扉が閉まる。
 これで今日は夕方までこの扉は空かない。次の配食までの六時間、この家は彼岸に建つ。世間の向こう、母への想いと母の真実の揺らぎの上に建つのだ。
 昼にはまだ早い。それに母がおとなしいうちに少しでも作業を進めたかった。ひとまず台所に弁当をおいて腰かける。最近膝が痛い。居間の座椅子が随分古いが買い替える余裕はない。もう少し高さのあるのが欲しいのだが。
 母の部屋から物音がした。タンスを開けているのだろう。ため息とともに部屋に向かう。電話の置いてある棚から南京錠のカギを取り出し部屋を開ける。案の定タンスから引き出しがほとんど出されていた。一番下の引き出しに手をかけているところだった。母がにらみつけてくる。
「なんだお前は。服を入れ替えなきゃいけないんでしょうが。片づけてるのが見てわからんのか。いそがしいんだアタシは」
 しかめた自分の顔に違和感があった。触ると目尻の下がミミズ腫れになっており出血していた。ビンタされた時に切ったのだろう。さっき大原さんが大丈夫か、と聞いたのはこれを見たからか。黙って部屋の戸を閉める。好きにしたらいい。衣類はまたあとで片づけなくてはいけないが、大体干してあるからそんなに量があるわけじゃない。顔を洗って鏡を見るとまだ少し血がにじんでいた。
 何度目かのため息をついて居間に戻る。テレビはコマーシャルに入っていた。ギイ、と座椅子に座ってボールペンを組み立てる。ヘッド部をはめて芯を入れて底部をはめてキャップをかぶせる。画面からは女の子の軽快な声。来週はいよいよ母の日。お母さん、いつもありがとう。感謝の気持ちを込めて、お母さんの喜ぶもの、取り揃えました……。ボールペンは100本で一箱だった。十の束を並べていく。繰り返されるコマーシャル。オシャレなお母さんにはスカーフ、お料理得意なお母さんには圧力鍋、いつも忙しいお母さんには入浴剤……。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10