小説

『羅刹の子宮』柘榴木昴(『羅生門』)

「人殺し! 警察を呼んで! 誰か、ああもう誰もいないのか! やめろこのろくでなし!」  
 叫び声、罵声、暴力。叩かれても爪を立てられてもこのまま家じゅうをうろうろされるよりはマシだ。それに手には大便がついてる時もある。内職の中身を大便まみれの手で漁られたことだってあるのだ。おむつはベッドの下に捨ててあった。殴打と爪をかいくぐり、裸の母をベッドに突き倒してあらかじめタンスの上に用意しておいた着替えを投げつける。多少不格好でもある程度は自分で服を着る。昼間はオムツではなくてリハビリ用の紙パンツだ。これなら自分でもはけるのだ。
「何するんだ! このクズめ! 親の顔が見たいわ! 暴力なんてね、男が女にね! 最低だわ!」
 言い返したら怒りをかうだけ。もう何も言わない。汚れた衣類はバケツにまとめて、部屋のポータブルトイレの中身を家のトイレに捨てる。ゴム手袋は余り汚れなかったので風呂場で洗う。「工事中」の札をひったくるように外す。とりあえず一通り水洗いして洗剤に着ける。もう一度洗濯しようか迷ったがやめた。どうせまた後で汚れ物が出るのだ。
 戻ると食べかけのパンは無くなっていた。母がカップを手にしている。「コーヒーもうないの? コーヒー。まあしけた旅館だねえ。食べるものこんなけかね。それで客が取れると思ってるのかね」
 無視して母の部屋のテレビをつける。カーテンは母がいるときは一日中締めてある。外の景色を見ると窓から出ていってしまうからだ。居間でくつろぐ母の腕をつかんで部屋に連れていき、ドアを閉めて南京錠をかけた。途端に絶叫する。扉一枚越しの金切り声はそのままベニヤのドアを切り裂きそうだった。実際に蹴り破られたことも何度かある。しばらくこちら側から押さえていると、今日はすぐに笑い声にかわった。多分、テレビに動物か子供か映ったのだろう。居間のテレビでも子供がみんなで朝の体操をしていた。腹が膨れた、というのもあるのかもしれない。扉の向こうの母は、私の知っている母の笑い声だ。
 こうした閉じ込めを役所の福祉課担当は拘束で人権の侵害に当たりますと真顔で言っていた。だがこうしないと勝手に出て行ってしまう。万引きし不法侵入し線路に飛び出し事故を招く。事故は被害者だけでなく加害者をも生む。当時JRに徘徊老人が跳ねられて訴訟問題が起きていたこともあり、役所の人間に解決策を問い詰めると「ま、家の中から全く出さないというわけではないですよね」と自己解決していた。私もそれ以上追及しなかった。
 だれが好きで母を閉じ込めるものか。人権より法律より家族の絆の方がはるかに当人を縛る力が強いのが、他人の家に入るとわからないのだろうか。
 はたからどう見られているかは知らないが、私は母に感謝していた。ずっと女手一つで育ててくれて、不自由はあっても笑い飛ばすような人だった。嫌な客の相手をした次の日には決まって男運の無さは息子にはあらわれなかったなあ、とやはり笑っていた。弟はあまり母と口を利かないままだったが、家を出るときも母はさみしがった。私が借金を背負ったときも、人に背負わせるよりましだと励まして返済を手伝ってくれた。

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