小説

『凡人』山賀忠行(『杜子春』)

 翌日、出勤した途端課長に呼び出された。内容は人員整理に伴うリストラであった。会社の業績の悪化は著しく部下から慕われていたベテランの課長ですら進退が危ういくらいで私に交渉権はなかった。呆然と目が開いているだけの体で15分前に歩いた通路を逆戻りする。社員駐車場で車に乗り同じルートで家に走らせた。
 35歳独身無職、恋人も頼れる家族も資格もない。安月給のせいで貯金は少なく退職金も雀の涙。
 将来の不安だけでなくふつふつと理不尽への怒りも湧き上がった。歯ぎしりと舌打ちが止まらなくなる。ゲームのように時速200kmぐらいで車も人も電柱も全てなぎ倒してやりたい気分であった。
 乱暴に車を止め自分の部屋に戻ると冷蔵庫に早足で直行し一升瓶を取り出した。
 やってられるか。
 蓋を開けると口に突き刺し無我夢中で飲み込んだ。喉に痛みに近い刺激が走り体は急激に熱を帯びる。意識が朦朧としてきたところで瓶を投げ捨て敷きっぱなしの布団に転がるように潜り込んだ。

 何時間、いや何日か分からない。とにかく長い間、眠った。

 寝起きは良好。目が覚めたと同時にしゃきっと全身に力が入る。
 よく寝たなあ
 顔を洗い、着替える。
 今何時だろう
 郵便受けに向かいながらスマホを見る。
 あれ……
 壁紙は見覚えのない山の写真。
 酔って設定変えちまったか
 郵便受けの封筒を見て体が止まる。宛名欄には住所は同じで名前は田辺大樹。すぐに表札の裏側を思い出す。扉を開け外に出る。表札は田辺になっていた。
 なんだよ。いたずらか。
 表札を取り出し裏返す。
「えっ」
 声が出た。そこに奥野の文字はなく真っ白。何度も表裏を確認したが片面に田辺と書いてあるだけ。

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