「私、『鶴の恩返し』のラストが嫌いなんです。納得できないの。あの男はどうして鶴を追いかけていかないのか」
翌日曜日。保護地域の防風ネットの点検をしていた与沢さんに、翔子は問うた。
鶴を追いかけていかない物語の男に、与沢さんの姿が重なったから。彼なら、その答えを知っているかもしれないと、翔子は思ったのだ。
『鮒女房』や『絵姿女房』等、妻を追いかけていった男たちの例を挙げて、翔子は尋ねた。
「与沢さんだったら、どうします? 鶴を追いかけます? 追いかけません?」
その問いかけが真に意味するところは、『どうして追いかけないの? 追いかけるべきでしょ!』である。
気負い込んだ翔子の様子に、与沢さんが無言で目を見はる。
翔子がその問いかけに至った経緯を察したのか、やがて与沢さんは寂しげに薄く微笑した。
「高二の時、雑誌モデルに採用されたのが、僕の人生の最初の躓きだった。そんなに大したものじゃなかったのに、自分には見込みがあると、僕は変な自信を持ってしまったんだ。何の見込みなのか、あの頃の僕は、それすら明確に認識していなかったと思う。だが、その見込みに一人で挑戦する勇気はなくて、美鶴と一緒に上京した。美鶴には歌の才能があると言ってね。美鶴には何の野心もなかった。成功するなら僕の方だと、僕は思っていたし、それは美鶴も同じだったろう。美鶴は、ただ僕を支えるためだけに、僕と一緒にいてくれた。美鶴が声を使い始めたのも、僕のためだったんだ……」
与沢さんの薄い千切れ雲のように静かな語り口に触れるだけで、その後の二人がどんな運命を辿ったのか、容易に想像ができる。
訊くべきではなかった。あまりのいたたまれなさに、翔子は思わず顔を伏せてしまった。