小説

『いつか、翼が』川瀬えいみ(『鶴の恩返し』)

 翔子の生まれた町には、十月になると越冬のために大陸から鶴がやってくる。やってくるのは、主にマナヅルとナベヅルで、それぞれ百羽前後。稀に、ごく少数のクロヅルが混じることもある。
 この町に鶴の中規模越冬地を創出しようという活動が始まったのは、今から十六年前。翔子が生まれた頃。
 当時、日本に飛来する鶴は、九州にある野鳥保護区一ヶ所に集中していた。世界の約九十パーセントのナベヅル、約五十パーセントのマナヅルが、一つの場所で越冬していたのだ。これは憂慮すべき事態である。もしその保護区に問題が起きれば、鶴の生存数が一気に減る。鶴の越冬地の分散化は、野鳥保護の観点での急務だった。
 その活動に町を上げて取り組みだしたのが、毎年数十羽前後の鶴の飛来があった翔子の住む町だった。
 翔子の父は公立高校の生物教師で、本業の傍ら、鶴の越冬規模拡大のための活動をしている。
 鶴の安全な居場所を作るために、心を砕いている翔子の父曰く、
「鶴は記憶力が優れている。一度快適に越冬できた実績(記憶)を作れば、翌年も必ず、この町に来てくれる」
 実際、町への鶴の飛来数は毎年少しずつ増えていた。

 ところで、翔子は、決して父たちの活動を否定するわけではないのだが、鶴という生き物に積極的に関わり合いたいという気持ちを持っていなかった。理由は、『鶴の恩返し』の物語が嫌いだから。
 罠にかかった鶴を見付けた男が、鶴を逃がしてやるのはいい。罠を仕掛けた人間の不利益を考えない迷惑行為は、傷付いた鶴への憐憫の情の深さゆえと考えれば、人情として許すことができる。

1 2 3 4 5 6 7