小説

『いつか、翼が』川瀬えいみ(『鶴の恩返し』)

「美鶴は僕に尽くしてくれた。心から僕を愛してくれていた。美鶴が歌い始めたのだって、僕が舞台で役をもらえるようにと考えてのことだったんだ。なのに僕は、仕事欲しさに美鶴を裏切ったり、うまく事が運ばない鬱憤晴らしに美鶴を傷付けたこともある。追いかけられるはずがない。美鶴は高潔なまま、僕は汚れた」
「で……でも、美鶴さんは、与沢さんに追いかけてきてほしかったんじゃ……」
 私が鶴なら、男に追いかけてきてほしい。
 翔子は、自分が『鶴の恩返し』の物語を嫌いな本当の理由を、今初めて理解したような気がしたのである。
 それは、『自分なら、追うから』ではなく、『自分なら、追ってきてほしいから』だったのだと。
 だが、それはあくまで『自分なら』。
 誰もが、翔子と同じことを望むとは限らない。

「美鶴は、自分を追わせるために僕の許を去るようなことはしない。美鶴は僕のために――美鶴の成功の傍らで僕が卑屈にならないように、僕のプライドを守るために、別れを決意してくれたんだ。僕が自分の才能に見切りをつけたことに、美鶴は気付いていた。あの頃の僕は、自分の成功の幻だけを見ていて、自分の真の姿が見えていなかった」
 そうして、自分の真の姿を見ることができるようになって初めて、与沢さんは美鶴さんの高潔に気付き、本当に美鶴さんを愛し始めたのかもしれない。
 だから彼は一人で故郷の町に戻り、腐り落ちた翼の羽根を一本ずつ拾い集めるような暮らしを始めたのだ。今度こそ、美鶴さんのために。

 一対の翼分の羽根が集まったなら、彼はまた飛べるようになるのだろうか。
「ここに、いつか、タンチョウが飛んでくることだってあるかもしれませんよ」
 再び防風ネットの点検を始めた与沢さんの背中に、翔子は小さな声で呟いた。

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