小説

『浦芝』太田純平(『浦島太郎』『芝浜』(落語)』)

 いつもは白い砂浜も夜になるとどこか神妙な雰囲気であった。ここは海岸沿いの町「浦芝」。静かに揺れる穏やかな波。そこへ背広姿の男がふらふらとやって来た。
「ったく部長もよぉ! 部長も……」
 彼はアルコールで小脳の機能が低下しているのか、うわ言のように何度も同じ言葉を繰り返した。そして陸に打ち上げられた手漕ぎボートの船体に背中を預けるように座ると、とっくに空になっている酒瓶を煽った。
「ったく部長もよぉ! 部長も……」
「オラオラオラァ!」
 ふと男の耳に乱暴な声が届いた。船体から顔を出して覗き見ると、何やら砂浜の奥のほうに人影が見える。どうやら二人組のようだ。何かを攻撃しているような口ぶりで、棒のようなものでしきりに地面を叩いている。
「なんだなんだなんだぁ?」
 男は軟体動物のようにぐにゃぐにゃと立ち上がると、覚束ない足取りで人影のほうへ向かった。
「うぉ~い、何やってんだぁ?」
 男が声を掛けても、二人の青年は見向きもしなかった。よく見ると地面には一匹の亀がいて、その亀を彼らは棒で叩いてイジメていたのだ。
「オイ、やめろやめろやめろぉ!」
 とっくに麻痺しているとはいえ、男の理性を司る前頭葉はまだ生きていた。男は青年たちから棒を取り上げると、動物をイジメるのはよくないと彼らを諭した。ところが青年たちは反省するどころか、体長十五センチほどの爬虫類から百七十センチほどの人類へと攻撃対象を変えた。
「なんだよオッサン! ふざけんなよ!」
「そうだよオッサン! ぶっ飛ばすぞ!」
 エスカレートした青年たちは、目の前の酔っ払い男を押し倒して馬乗りになった。しかしそれでも男の正義感は怯まなかった。
「弱い者イジメをするなんて最低だぞお前たち!」
「アァ?」
「亀さんだってなぁ! 一生懸命生きてんだよ!」

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