小説

『イチゴ沼』柿ノ木コジロー(『おいてけ堀』(東京))

 涙声になった少女の肩を母親はやさしく抱いてやる。
「だいじょうぶ、今はみいちゃんだけが頼りだから。あっ」
 母親が後部座席にまた頭を突っ込んだ。出て来た時には先ほどのイチゴパックをしっかりと持っていた。
「これ、これがないと大変なことになる」
 少しくたびれた感じになったが、一粒ずつ子どもに渡し、おごそかに告げる。
「いい? これはずっと持ってて、いいね?」
 いったい何が? と尋ねようとしたとたん、背後で男が叫んだ。
「おいなんだあれ」
 白いバンの背後、いっしゅん砂が沈み込み、それから小山ほどに盛り上がった。
 いや、砂が盛り上がったのではない、砂の中から何か巨大なモノが躍り上がったのだ。
 赤く、つやつやと輝き、汁気の多そうなしかしイチゴとは似ても似つかぬ何か巨大なものが長く連なって。
「走れ!」
 女の合図と、同時に起きた『何か』の咆哮が合図になった。地面が揺れる、だが俺も一目散に前に駆けだした。
 駆け出して重大なことに気づく。

 俺イチゴ忘れたわ。

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