小説

『われてもすえに』霜月透子(『詞花和歌集 巻第七 恋上 229番歌』)

「滝川さん」
 警官の声に現在に引き戻される。
「あ、はい。病院にあったかしら?」
「残念ですが、見あたらないみたいですね」
「そう……」
「とりあえず、こちらでもそこの公園とか歩道とかね、探してみますから。届けられたり見つかったりしたらお電話しますね」
「お願いします」
「ただね、あまり期待しないでくださいね。ほら、小さいものだし、他の人には大切なものだってわからないから拾ってもらえないかもしれないし」
「そうよね……仕方ないわね……」
 加代子は礼を言って交番をあとにした。警官は探すと言ってくれたけれど、手作りの根付けひとつを真剣に探してくれるとは思えなかった。世の中にはもっと大切なことがたくさんあるだろう。
 バス停のベンチに腰掛け、根付けのあったところに触れる。和男と交わした言葉は多くない。少なすぎて、すべて思い出せるくらいだ。近頃は物忘れも激しいというのに、昔のことは覚えているものだ。
 根付けがあったところに向かって語りかける。
「百人一首大会のことは謝りたいわねぇ」
 どの札だったのかも覚えている。
「滝川さん!」
 遠くから名前を呼ばれて顔を上げると、ガシャガシャと重そうな音が近づいてくる。先ほどの警官だった。加代子の前に立ち止まると装備品の音がやんだ。
「見つかりました! いま届けてくれた人がいて!」
 警官に連れられて再び交番に向かう。
「あ、ほら、あの人です。公園で拾ったんだけど、知っている人の持ち物なんじゃないかって。でもその人の連絡先を知らないから交番に届けてくれたって」
 白くかすむ風景の中、細身の紳士の姿が浮かび上がる。
 離れたままお辞儀をしあう。そして、加代子はゆっくり歩み寄る。
 一首の歌を小さく口ずさみながら。

  瀬を早み 岩にせかるる 滝川の
     われても末に 逢はむとぞ思ふ

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