小説

『われてもすえに』霜月透子(『詞花和歌集 巻第七 恋上 229番歌』)

 ――ない。
 加代子が手提げについていたはずの根付けがないことに気付いたのは、バス停で乗車用の敬老パスを取り出そうとしたときだった。
 普段はそこにあることなどすっかり忘れていたというのに、なくなったことには気付くなんて不思議なものだ。ただ、いつどこでなくしたのか、さっぱりわからない。
 バスに乗車するのをやめて、道端に目を這わせる。これかと思って膝の痛みに耐えつつ手に取れば石ころだった。ため息とともに道に捨てる。探そうにも眩しさに白くかすんでよく見えない。そろそろ白内障の手術を受けなければ。いやいや、今はそれよりも根付けを見つけないと。
 来た道を辿っていると交番があった。加代子は迷わず入っていった。
 対応してくれたのは若い警官だった。社会人になったばかりの孫とそう変わらない歳に見える。遺失届出書と書かれた書類を挟んで向かい合う。
「えっと、滝川さん。いつ頃なくしたかわかりますか?」
「さあ。気付いたのはさっきなんだけど」
「そのバッグにつけていたんですよね? 昨日はありました?」
「たぶん。なければ気付くと思うの。ここの、チャックの穴に通していたから」
「なるほど。では、最後にそのバッグを開けたのはいつですか?」
「病院でお会計をしたときかしら。ほら、その公園の向こう側にある内科に通っていて」
「ちょっと診察券を見せてもらってもいいですか? 電話して聞いてみましょう」
 警官の電話でのやりとりをぼんやり聞きながら、加代子は根付けがあったはずの穴を指先で撫でた。こんなものでもちゃんと探してくれるのね、と他人事のように感心していた。
 警官は「大切なものなんですか?」とは聞かなかった。聞かれても返事に困っただろう。高級品でもなければ土産物でもない、古いただのちびた鉛筆だ。それも大昔の。大切なものかと聞かれたら、否定するしかないようなものだ。本来はゴミなのだから。

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