小説

『われてもすえに』霜月透子(『詞花和歌集 巻第七 恋上 229番歌』)

 文具も満足に揃えられないにもかかわらず、和男は勉強がよくできた。試験の成績もいい。家庭教師に教わっている加代子よりも点数が高いこともあるくらいだ。みんなは和男の成績など気にもとめていないようだが、いつしか加代子は和男を超えることを密かな目標にしていた。かつて作ってもらった鉛筆こけしに向かって「負けないからね」と宣戦布告したりもした。
 それは加代子が密かに張り合っていただけなのだが、直接対決をする機会もあった。学校行事のひとつである百人一首大会だ。
 五人組同士の源平戦の何戦目かで加代子の組と和男の組が対戦することになった。接戦のうちに迎えた終盤のことだった。
 読手である先生が読み上げる――
「せ――」
 一枚札だ。しかも一字決まりの。
 なんとしても和男に勝ちたい加代子は身を乗り出して手を伸ばした。
「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の――」
 札に掛かる手は加代子だけではなかった。
「――われても末に 逢はむとぞ思ふ」
 手と手が触れた加代子と和男は二人ともとっさに手を引いた。
「――われてもすえに あはむとぞおもふ」
 下の句が復唱され、ほかの対戦グループからは喜びや悔しさの声が上がる。
 加代子たちの場はまだ札が残されている。加代子の友人たちは立ち上がって主張する。
「今のは加代子ちゃんが早かったね」
「私もそう見えた。どうなの、岩瀬くん?」
 一瞬、加代子と和男の目が合った。そしてすぐに和男はすっと視線を外して言った。
「……滝川さんの札です」
 そう言って、札を加代子の前に滑らせた。
「やっぱりね。すごいね、加代子ちゃん」
 友人たちの言葉にどうにか笑顔を返しながら、手のひらに残る和男の手の甲の温かさを握りしめた。私の手の下にあった手のぬくもりを。
 それ以降、卒業まで加代子と和男の接点を持つことはなかった。加代子はいわゆるお嬢様学校といわれる高校に進学したし、和男は牛乳配達をしながら公立高校に通ったと聞く。

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