小説

『われてもすえに』霜月透子(『詞花和歌集 巻第七 恋上 229番歌』)

 その後も一度だけ、再会らしきものがあった。加代子が社会人になったばかりのころのことだ。
 職場の飲み会の帰り道、一人で歩いていると数人の男性に声をかけられた。断ってもつきまとわれて困っていた。道行く人はおもしろそうに横目に見ては通り過ぎるだけで、助けてくれる人はいない。
 また男性数人の一団が通り過ぎようとしていた。この人たちも助けてはくれないんだろうなと思ったそのとき。
「おい、岩瀬、どこ行くんだよ」
 連れの声を無視してひとりの細身の男性が千鳥足で近づいてくる。加代子につきまとう男たちが「なんだよ、酔っぱらい、あっち行けよ」と突き飛ばした。その反動なのだろうか、岩瀬と呼ばれた男性は派手に嘔吐した。
「うわっ、なんだよ、きたねーな!」
 絡んでいた男たちは文句を垂れながら去っていった。
「あの、ありがとうございます」
 ハンカチを差し出しながら礼を述べると、受け取れないというように手のひらを見せた。連れの一団がやってくる。
「なんかすみません、こいつ、普段はこんなじゃないんですけど」
「あ、そうなんですね」
「汚れませんでした?」
「はい、大丈夫です」
「おい、岩瀬も謝れ」
 岩瀬と呼ばれた男は、うつむいたままお辞儀をすると、仲間に抱えられて去っていった。
「岩瀬……」
 聞き覚えのある名前だった。
 加代子はバッグの中で手を彷徨わせ、財布につけた鉛筆こけしの根付けを握りしめた。

 加代子にとって鉛筆こけしの根付けはお守りのようなものだった。心を強く保つための。
 バブル崩壊で実家の不動産業が廃業に追い込まれたときも、夫に先立たれたときも、世界規模の感染症で入院したときも、あの鉛筆こけしの根付けを握りしめて気丈に振る舞った。

1 2 3 4 5 6