小説

『夢が浮く、橋を渡る』行川優(『更級日記』『源氏物語』)

美恵子の死は全国区で報道されました。日本海沿岸のある都市の鉄道が脱線し、旅行客を中心に数百人に渡る死者出ました。原因は積雪によるスリップでした。遺体の多くは家族の下へ送還されました。しかし美恵子の遺体は送還できませんでした。なぜなら美恵子はすでに身寄りを無くしていたからです。身寄りのない遺体の処理を巡ってマスコミが騒ぎ立てるようになった頃、この寺の住職が黙って遺体を引き受けたのでした。そしてわたしはそんなマスコミの報道を通して初めて美恵子の生い立ちを知ったのでした。
わたしは初めのうちその事実を信じられませんでした。美恵子に教えてもらった住所を訪れたとき、そこにもう誰もいないことを大家から教えてもらって、初めて事実を受け止めることができました。しかし、事実を受け止めることと、実感を持つことは全く別のことでした。
「故人も喜んでいらっしゃると思います。あなたがこうして来てくださったのですから。あなたのおかげで故人は無名ではなく、ちゃんと姿形を持った存在として、成仏できるのですよ」そう言って住職は静かに奥へと下がっていきました。
 わたしは美恵子のことを何も知りませんでした。美恵子は、高校生の頃に台風で両親で亡くし、身寄りなく生きて、最後に美恵子自身も不運な事故で亡くなったのでした。理不尽に振り回されて理不尽に死んでしまったのでした。
 わたしは墓前に立って、紙袋から二枚のレコードのジャケットを取り出しました。そして墓前においてライターで火をつけました。ビル・エヴァンスとフィッツジェラルドの顔にシワが寄って、歪み、ただれ、煤けた一筋の煙が天へと上って行きました。
 美恵子。
 わたしは一言呟くと、言葉が堰を切ったように溢れ出てきました。
 美恵子。美恵子。美恵子。美恵子。美恵子。
 煤が眼に入ってわたしは目元を拭いました。手のひらは濡れていました。手で顔を覆っても、指の先から涙が滑り落ちていきました。わたしの頭の中には無数の美恵子の顔と、交わした言葉と、ログハウスの匂いと、夕焼けに染まる天橋立がぐるぐると回り始めました。
 美恵子と呼ぶたびに、美恵子がそこに立っているような気がしてわたしはただひたすらに美恵子の名前を呼びました。でもそれはもう途中から言葉になっておらず、ただ一人の人間が生み出す音だけが世界に響いていました。
 どのくらいの時間が経った頃でしょう。わたしの頬を優しい手のひらがさっと触れた気がしました。驚いてわたしは眼を開きました。しかしそこには誰も立っておらず、ただ春の陽気の中で桜の花弁がひらひらと舞っているだけでした。
 それがわたしなりの供養でした。
 そこからわたしの人生は始まったように思います。供養から始まる人生というのもおかしな気がしますが、そうとしか言えないのです。
 大学に入ったわたしは歌を歌い始めました。そこからわたしの人生が始まるのですが、今日は書き疲れたので、そこからの話は次回にしようと思います。

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