小説

『星になんてならなくていいのに』古村勇太(『よだかの星』『雨ニモマケズ』)

 誰かの問いかけにも私は無反応で、ゆっくりと立ち上がった。さっきまで一様に笑っていて誰が誰だか判別がつかなかった周りの人たちの顔が、今は不思議とはっきり見えた。
「本は返してもらいました。それでは皆さん、さようなら」
 建物を出ていく私を、止める人はいなかった。

 学校を出て、私はフラフラと夜道を歩いていた。
 後になって、私は幾分冷静さを取り戻していた。なぜあんなに危険なことをしたんだろうか。あれほど感情的になったのは初めてだと思う。まるでおかしくなったみたいで、さきほどの一連の出来事が夢の中のことに思えた。
「おい、あんた」
 ぼんやりと河川敷を歩いていると、ホームレスのおじさんに声をかけられた。
「大丈夫か、あんた。普通の恰好じゃねえぞ」
「大丈夫です。気にしないでください」
「いやいや、今にも死にそうな顔してるぞ。その格好も……警察呼ぶか?」
 確かに、今の私を見たら、なにか犯罪に巻き込まれたと思われるかもしれない。
「おじさんは、なんで死にそうな顔だとわかるんですか?」
 私の問いに、おじさんは、「はあ?」と答えた。

 河川敷の斜面に、私とおじさんは並んで座っていた。おじさんは「俺も昔は文学青年でよぉ、宮沢賢治も好きだったんだ」と言って、兄の本をパラパラとめくっていた。私は川の流れを眺めながら、兄の死や先ほどの出来事をぽつりぽつりと話していた。
「ひどい話だねえ。そいつら誰も自分が悪いと思ってないんだろうな。いや、罪悪感はあるけど、それを認めたくないんだな」
 私の話を聞いたおじさんは、軽い調子で言った。
「しかしよ、本も取り返して目的は果たしたわけだろ。あんたは何に悩んでんだい。やっぱり復讐したいとかか?」
「あの人たちのことは、もういいんです、復讐とかは考えていません」
 これは本心からだった。彼らのことを世間に訴えても、兄は戻ってこない。許すわけではないけれど、もう関わりあいたくない。
「ただ……ただ、心残りなんです。兄は多分、私の一番の理解者でした。だから、私も兄のことを一番わかっていると思っていたんです。けど、私は兄が死ぬなんてこれっぽっちも思っていなかった。なんで死んじゃったのか、わからなかったんです。だから私も、同罪です。兄の支えになれなかった」
「いやぁ、それは飛躍しすぎじゃないかなぁ」
 おじさんは本から目を離さずに答えた。もうほとんど読めないだろうに、いやに熱心だ。
「いくら兄妹だろうが、他人だから。全部を理解するなんて無理な話さ。知られたくないことだってあるしな。本当のところは、その人自身にしかわからないさ」
「けど、それじゃあ孤独じゃないですか」
「大人ってのは孤独なものさ。その点、お嬢ちゃんはまだ子供だ」
「別に、自分が大人だなんて思っていません」

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