小説

『手の鳴る方へ』焉堂句遠(『桃太郎』)

 彼女と出会ったのは、きっと何か特別な意味があるに、違いない。
 胸の奥から熱気が駆け巡る。
「この出会いこそ、意味のあることですよ」
 男は急に、前のめりに語りかけた。
「いや、単なる偶然であって、意味はないですよ。たまたま、ですよ」
 女はつまらなそうに吐き捨てる。
「そうですか……」
 女の気乗りなさに、男は萎む。
「私は、あなたのことが好きですよ」
「え?」
「結婚しますか」
「え?」
 女は別にどんな男を選んだとて、大差ないと思っていた。どんな人間も高々一年で、体の細胞すら全て入れ替わる。
 幸せに永遠の約束を誓った男女の半数近くが離婚する現代。
 だったら、自分の気分がなんとなく乗っている時にパッと決めてしまおう。別にその「気分」に意味はない。ぐちゃぐちゃと考えるのは面倒だ。
 どんなに栄華を誇っていても、テロみたいに退治される昔話の世界から、そんなに世間は変わっていないのだから。
「意味はないですよ」
「意味はあるでしょう。と言うか、意味は必要でしょう。だって、結婚ですよ」
「でも意味を持たせるなら大変ですよ。世界には無限に女がいるわけじゃないですか」
「はい」
「そこから「私」を選ぶことに意味はあるのでしょうか。意味を、つけられるのでしょうか」
「ちょっと待ってください」
 ちょっと、ちょっとと男は大きな手を振る。
「僕、一旦、帰ります」
 男はドアを開ける前に一礼をして、大雨の中に飛び込んでいった。

 西武の灰色のシャッターが、軋みながら下がっていく。
「なぜ、連絡をくれなかったのですか?」
 男は、跳ね返った雫を払いながら聞いた。
 もう、この間の出会いから、一ヶ月が過ぎようとしていた。
「最近、雨が降っていたでしょう」
 外に出たくなかったの、と女が続けた。
「僕はあれからずっと、あの日の会話について考えていました。てか、急に帰ってしまいすいませんでした」
「なるほど」
 渋谷の街を勝手に進んでいく女を、男は追いかける。
 どこに向かっているかは、男も女もわからない。
「どうぞ、考えた結果をご披露ください」
 無言で歩くこと二十分、女が切り出した。
「あなたは、結局、意味を持たせることが怖いんじゃないですか?」
 男が躊躇いながら、心の内を言葉で紡ぐ。
「どういうこと?」

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