小説

『手の鳴る方へ』焉堂句遠(『桃太郎』)

 ミルを無心に挽きながら、永遠に挽き終わらないでくれと願った直後、女がミルを無造作に受け取りに来た。
 この不安定な状況を押しとどめていたミルを、名残惜しそう受け渡す。
 女は、お湯を沸かしながら、どこか愉快な気分になっていた。
 男が下着姿で呆然としている姿は、ちょっとした罪悪感と無害そうな安心感に、どう転ぶかわからない不安定さが相まって、女の心を心地よく刺激する。
「話をしましょう」
 女が淹れた直後のコーヒーを手渡しながら、丁寧に提案した。
 珈琲の温もりが、冷えた体を溶きほぐす。
「話ですか?」
 この台風の中、丁寧に淹れたコーヒーを持って、何を?
「何か、話してください」
 女は体育座りをして、両手で赤色のマグカップを持っている。
 なぜか、自分のコップは白い薄手の紙コップだった。
 いや、別にいいのだが。なぜか、細かな処で動揺してしまう。
「その前に、その、濡れたままで大丈夫ですか?」
 男が女に尋ねた。
「大丈夫ですよ。今まで体の病気になったことはないので」
 「あぁ、そうですか」しか、男は返せなかった。
「話、ですか。そうですね。例えば、僕も昔から健康良好児で病気とは縁がなくて」
「それは見た目通りですね」
 女が上から下まで眺めるので、男は少し恥ずかしかった。
「すべてのエネルギーが頭より下で止まっている感じですよね」
「いやぁ、そうなんですよ。昔から体だけで頭に栄養が行かなくて……」
「それは遺伝的なサムシングですか?」
「はい。親父もお袋も、先祖代々みんなそうなんです」
 あれなんですよ。男はただ、沈黙を埋めるように話し続ける。
「先祖が、ほら、あの、桃太郎なんですよ」
「桃太郎って、あの、鬼退治したファンタジー脳筋野郎ですか?」
 はっと顔を見ても、そこに何も変わらない女である。
 熱でもあるのかと、額に手を当てた。
「あ、はい。最近は歌も人気ですよね。ほらキッビーダーンって」
 男のカラオケの十八番だった。
 女はクスリとも笑わなかった。
 唯、じっと男を見つめる。
「お供の皆さんとは、まだ仲良しで?」 
「あぁ、連中ですか?最近は全然」
「所詮、団子で繋がった仲ですもんね」

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12