小説

『手の鳴る方へ』焉堂句遠(『桃太郎』)

「あなたはなんで来たの?」
「それは」
 沈黙の中、男は自分の気持ちを再点検する。
「どうせ、下半身に引っ張られたんでしょ」
「いや、それは違いますよ」
 男は慌てて否定する。
「さっきの話に戻るのですが」
 女がまた話題を急に巻き戻す。
「あなたが生きる意味を、あなたはどのように考えているの?」
 女の目は、男を捉えて離さない。
「希望とか、平和とか、愛とか」
「自分の中で定義もない言葉を使うと、バカに見えるから気をつけたほうがいいよ」
 男の混乱がピークに達する。
「ちなみに、貴女は?」
 男は言ってから後悔した。
「貴女は、なぜ、生きているの?」
「死なないのはね、周りに迷惑をかけるから。結婚しようと思っているのも、親に安心してもらいたいから」
 女は前から準備していたかのように、スラスラと詠む。
「じゃあ、本当に君に意思はないのかい?こう、なんか。この世界を君なりに意味付ける根拠になる意思が」
「逆にあなたにはどんな意思があるの?」
「少しでもいい世界にしたい」
「それが、あなたが生きる意味?」
「そう、思って生きてきた」
 力強く答えた後、「すいません」と付け加えた。
「なんで謝るの?」
「いや」
「今私は少し不快な気持ちになっているのだけど、どうする?」
「えっと」
「あなたは少しでも世界を良くしようと思っている。だけど、今近くにいる私すら不快にさせている。あなたの思ういい世界って何?最大多数の最大幸福?」
「この議論の結論が世界をもう少しマシにするヒントかなぁと」
 男は自信なさげに答える。
「そんな大したことじゃないわ」
「ただ、二人の話よ」
 女は優しく微笑んだ。
 「もう少し、小話に付き合ってくれます?」という女の打診に、男は怯えながら黙って頷く。
「実は、私はあなたの先祖が退治した鬼の子孫なの」
 女が前髪を持ち上げる。
 そこには、可愛らしい角がちょこんと二本、生えていた。
「え?鬼って?もっと体がこう、しっかりしていませんでしたっけ?」
「母親似でして……」
 その体格の良さで学生時代に虐められていた女は、過度なダイエットで薄く痩せ細っていた。未だに、嘔吐が止まらない夜がある。
 男は驚くとともに、突然に意味の必然を感じた。
 一瞬、音が止まる。

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