小説

『手の鳴る方へ』焉堂句遠(『桃太郎』)

「あぁ、はい。主従関係って今の時代、重いんですよね。あ、イヌの子孫とは今でも仲良くしていますよ」
「それは、良いことで」
 女がタバコを取り出し、火をつけた。
「あ、タバコ吸われるんですね」
「ここは私の部屋で、喫煙所と名付けています」
 女はクスリともせず、煙を吐き出した。
「陳腐な悪ではなく、巨悪を飲み込んでいる気がして良くないですか?」
「そうですか」
「そういえば、再帰的近代って知っていますか?」
「なんですか、その難しい熟語は」
 男は首を捻る。
「いくら何かを解決しても、その解決策がまた新しい問題を生み出す、つまらない話です」
 女も、実は少し動揺していた。タバコはいつも、ベランダか、換気扇の下で吸っている。
「それがどうしたんですか」
「私は、世の中には大層な意味がないじゃないかと思っているのです」
「意味がない?」
「はい。みんな、不安だから何か意味や言い訳をつけようとするじゃないですか」
「いや、全てに意味がないっていうのは、流石に言い過ぎだと思いますが」
 男は答えた。
「何かしても、結局、解決しなければならない悪を生み出すとしたら、私が何かを頑張ることに意味があるのかしら」
 これは難しいぞ。と男は思った。
 この手の話は、一歩間違えると血みどろの宗教戦争になってしまう。
「あなたはそれでいいのですか?」
「それでいいとか、悪いとかじゃない。そうなっているということ」
 女はポケットから灰皿を取り出し、灰を捨てる。
「じゃあ、あなたの言葉を借りるなら、あなたは今私と話していることに、どんな意味を見出しているの?」
 男は戸惑う。いつの間にか、自分が答えることになっていた。
 てか、濡れた女が妙に色っぽい。
「それは、例えば。お互いの相互理解を深めるとか」
 男は雑念が伝わらないよう気をつけながら答える。
「深めて、どうするの?」
「それは……」
 女は軽いため息をついた。
「それに、私もあなたも変わっていく。今の時点でのお互いを知ることに、なんの意味がある?」
「では、君はなぜ今日、僕を呼んだのですか?」
「なんとなく。私、直感と気分で生きることにしているの」
「そうですか」

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