小説

『手の鳴る方へ』焉堂句遠(『桃太郎』)

「JRは八時に運転見合わせ。私鉄各社も運休を検討しており……」
 カーテンを開くと、大粒の雨が、遠くのビルの光に照らされていた。
 女は無造作にスマホを開いた。
「今、何していますか?」
 送ってすぐ、既読がついた。
「今日は休日だったので、ジムってました!」
「今から、お会いできませんか?」
 今度は既読がついても、返信がない。
 部屋の中まで、雨がベランダを叩きつける音が響く。
「わかりました!」
 到底男には似合わない可愛い犬のスタンプが現れる。
「どちらに向かえば良いですか?」

 タクシーを降りると、外は視界が霞むほどの激しい雨。
 雨粒叩く液晶画面が、女の住所を照らす。 
 傘もなくジム帰りの格好のまま土砂降りに一人スマホを眺める男を、運転者は不審そうに眺めながらも、早々とアクセルを踏んだ。
「つきました」
 反応はない。
 ひとまず、近くのマンションの軒下に避難する。
 濡れた服は体を冷やし、足早に通り過ぎるマンションの住人は男を一目見て、さらに足早にその場を通り過ぎていった。
 何か、重大な事故があったのかもしれない。
 不安が渦巻き、脳内に女の苦しんでいる顔が浮かぶ。
 しかし、電話をするほどには、自分の予測に自信はない。
 自分の勘違いかもしれない。
 スマホを握りしめて、立ち尽くす。
 もはや人っ子一人通ることはなく、ただ雨が地面に落ちていく。
 スマホの振動を感じ、濡れた手で慌てて画面を開く。
「すいません。スマホの誤作動が起きたようです」
 良かった。
 男は胸をなでおろした。
 女は今日も平和に生きている。
 男が帰ろうと雨の中に一歩踏み出す。
「今日はもう電車は動いてないらしいですよ」
 声の元へ振り返ると、女がぼんやりと立っていた。

「いや、すいません。シャワーも借りてしまって」

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