小説

『堪忍卵』虹埜空(『堪忍袋』)

 近野が死んだと分かったのはその二日後のことだった。
 昨日は姿が見えないから風邪でも引いたのかと思っていた。それが今朝出社したらどことなく部内が騒然としていて、同僚の一人が斉藤に話しかけた。
「おい聞いたか。近野、昨日亡くなったってよ」
 にわかには信じられなかった。だって二日前はあんなに元気に喋ってたじゃないか。斉藤はとっさにスマートフォンを取り出し、近野へ連絡しようとした。だが「亡くなった」なんていう話を冗談でも同部内の仲間同士で交わすはずがないことに思い当たり、画面を触ろうと立てた人差し指をふつと降ろした。しばらくして正式な通達があり、近野が死んだことは覆しようのない事実としてデスクの上に置かれた。
 職場は密やかにざわついて、それは昼休みに入ると一層ひどくなった。だからその日は休憩室に入るべきではなかったのだ。斉藤がそう気がついた時にはもうカップラーメンにお湯を汲んだ後で、「斉藤くん、斉藤くん」と呼ぶ声に捕まっていた。パート事務の中年女性らが数人ひとかたまりになって、ひそひそと噂話に群れていた。斉藤は引きずり込まれるように群れの端に座らされた。
「近野くん、可哀想だったねえ、まだ若いのに。斉藤くんとほとんど歳同じでしょう?」
「ああ、はい」
「あなたたち仲良かったわよね。何かあったの近野くん。持病?」
「いや……思い当たることは俺には何も」
「じゃあ事故かしら」
「いいえどうもね、」
 訳知り顔の一人が群れの中心に低く身を乗りだすと、他もつられてぐぐっと輪を狭める。斉藤はその外側にぽつんと取り残され、筒抜けのひそひそ声を聞いていた。
「変死らしいの」
「変死!?」
「警察の人が来てたらしくてね……私も又聞きだからあれだけど、なんかね、自宅で倒れてたんだって。頭がぱっくり割れて」
「いや怖い」
「朝ご飯を作ろうとしてた時だったみたいよ。コンロにフライパンがあって、床に卵が割れてたって。本当に、気の毒にねえ……」
 どこからそんな生々しい情報を仕入れてくるのだろう。彼女らのネットワークは計り知れない。斉藤はやたら味のしないふにゃふにゃのカップラーメンを胃に流しこむと、その日は早々に昼休憩を切り上げた。突然いなくなった近野が担っていた分をカバーするため、仕事の優先順位もとっ散らかったままなのだ。全くこれはとんだ堪忍卵案件である。家に帰ったら早速卵に愚痴を言ってすっきりしなければ。
 と考えたところで、妙な悪寒が斉藤を襲った。

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