小説

『裏島物語』高崎登(『浦島太郎』)

 三平がそういうと、またその話か、とおかめは思った。
 海人漁の役割は、岩のある海底まで潜って貝殻や海藻を採取する「トマエ」と、船上からトマエを引き上げる「フナド」に分かれる。おかめは三平と海人の仕事をはじめて以来、ずっとフナドを受け持ってきた。漁のイロハも分からない身で、技術を要するトマエをやり切るのは無理があった。それでも、同じ船にのって二年近くたつことだし、お前もそろそろトマエをできるようになって俺の負担を軽くしてほしい、というのが三平の言うところである。
 おかめには何でもやる覚悟はできていた。が、トマエをやるには、上半身裸になって潜らねばならない。三平に邪まな気持ちがなければよいのだが、とてもそう受け取れる雰囲気ではなかった。
「最初に、お前はトマエをやらなくていいって言ったべ。海人は役を決めてやる。変わることはしなくていいって。最初にそう言ったべ」
 おかめはいつもの返答で突っぱねた。
「トマエは体力を使う。もうオレは年だ、体に堪える。なあ、変わってくれないか」
 いやらしい目つきをしている。この男は本当に正直だとおかめは思った。
「体がきついんだったら、船を下りればいい」
「何?」
「おら、小太郎とふたりで、やる」
 三平は、鼻水を垂らして貝殻で遊ぶ小太郎とおかめを交互に見て、豪快に笑った。
「悪い冗談だ。これだから女は。海をなめすぎだ」
 自分がいかに狂ったことを言っているか、それはおかめ自身がよく分かっていた。そう答えてしまうほどに、自分を縛る男から一刻もはやく離れたいという気持ちがおかめのなかで大きくなっていた。
 太郎はなぜ遠くへ行ってしまったのか。妻と子、年老いた父母を残して。なぜあの日、行くなといったのに無理をして、荒れる海へ出ていったのか。小さくなる背中を思い出し、おかめは泣きそうになった。

 漁師がまたひとり、亡くなった。原因は船が大きな海の生きものにぶつかったか何かで転覆し、そのままおぼれ死んだという。いけなかったのが、その漁師が酒を飲んでいたことである。船の上でも多少の酒は仕方ないが、酒好きが高じると不運がかさなり取り返しのつかないことになる。漁に生きる男たちは、海から生をもらい、死を与えられる運命にあった。
 不幸な話を聞いて、おかめはまるで自分の身に降りかかったかのように感じ、暗くなった。
この地では、海の事故で人が亡くなると、カミの怒りを鎮める儀式が行われる。海のカミは赤いものを好むと信じられていた。
「ぬさ」と呼ばれる供物をささげるための儀式は、黎明の時間、岬近くの海辺で行われる。夜明け前から朝日が昇るまでの時刻は、あの世といちばん近くなれる時刻である。陸地から突き出るようにそそり立つ岬は、ときおりカミが姿を現す場所である。そんな考えが古来あり、それに沿うかたちで鎮魂する習わしだった。
 薄墨の夜と溶け合う海原には、幾艘もの船が漂う。最前に浮かぶのは漁師頭の船で、頭と夫を失ったみるが乗っている。おかめは白い服をまとった女の背をじっと見つめていた。みるの表情は見えないが、その背中からは彼女の哀しみがいやというほど伝わった。

1 2 3 4 5 6 7 8 9